神学
もし主と教会のお役に立つならばと思って、『神を愛するための教理問答』(仮題)の原稿をまとめつつあります。その中で聖書の読み方について述べたいくつかの問答のうちの一つを、紹介しておきます。 問2-9 聖書解釈において文化・言語的背景を参考にす…
「拠り所がこわされたら正しい者に何ができようか。」詩篇11:3 私が東京基督神学校の学生であった時代、宇田進教授がチャペルで上記のみことばを引いて聖書信仰の重要性について説教をされたことがあった。聖書信仰とは、「聖書はすべて誤りなき神のみこと…
先週、所属教団の秋の研修会に参加して思ったこと。 「ルターはカトリックの神人協働説(律法主義)に苦しんで、信仰義認を聖書に発見しました。救いは恩寵のみ、信仰のみです」というプロテスタント教会の牧師が、バリバリ頑張って伝道牧会していて成果主義…
1.義認には、個人主義と、無律法主義という罠がある。 義認において、人は聖なる審判者の前における被告として独りの罪ある自分を意識させられる。それは信仰の経験において重要なことであるが、義認からは教会(神の民)は見えてこないので、個人主義に傾…
昨日、札幌で教会の女性たちの集まりがあって、アッシー牧師たちが数名、別室で交わりをしました。最初大谷翔平君はもちろん話題になりましたが、近年気になっている神学的動向、それから健康によい体操などが話題になりました。そういえば若い日、先輩のY牧…
ローマ8:28 28:神を愛する人たち、すなわち、神のご計画にしたがって召された人たちのためには、すべてのことがともに働いて益となることを、私たちは知っています。(中略) 30:神は、あらかじめ定めた人たちをさらに召し、召した人たちをさらに義と…
昨日の主日礼拝はヨハネ福音書6章の五千人給食のところ。「過越しが近づいて」とあることが示すように、この奇跡とその後のヨハネ6章53節から58節「人の子の肉を食べ、人の子の血を飲まない者は・・・・」というイエスのことばは聖餐と関連して記され…
私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。 使徒20:27(新改訳第三版) 使徒パウロはエペソの長老たちとの訣別のあいさつの中でこのように語っている。ここには使徒が説教をするにあたって心がけていたことが記されて…
「1:15御子は、見えない神のかたち(εἰκὼν τοῦ Θεοῦ)であって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 1:16万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである…
Psalms teach us how to worship; Proverbs, how to behave ; Job, how to suffer ; Song of Solomon, how to love; Ecclesiastes, how to live. – J.I. Packer 「詩篇は如何に礼拝するかを 箴言は如何にふるまうかを ヨブ記は如何に苦しむかを ソロモン…
今朝たまたまニュースを見たら、わざわざ女性専用車に乗って、乗客や乗務員に注意されると、「女性専用車は一般車両だから、法律上、男性が乗っても問題ないのだ。日本は法治国家だ。」という内容のことを口汚く罵るユーチューバー男性が出ていた。 法律はそ…
Youtuberをしている整体の先生が話していたのですが、ハワイ大学から「すぐに来い。死後間もない人体が手に入った」という知らせがあったので、そんなチャンスはめったにないので出かけて、その死後まもない人体を動かしつつ解剖するのを見て勉強することが…
今日は北海道聖書学院での2023年度最後のカテキズムの授業だった。対象は信徒コースと聴講生たち3人である。時間配分が今一つうまく行かず、最後に1コマ余ったので、聖書的教理体系をカテキズムで学んだ者として、実際に聖書を読んで行くときに、それ…
ameblo.jp リンク先をごらんください。先日投稿したものではありません。
表題の文章を、「神学ノート」に掲載しておいたので、ご一読ください。 清水武夫先生が神学校で言われたことについて、神学校卒業後、聖書解釈についてずっと考えて来たことです。 リンク先 ameblo.jp
教理史を学べば学ぶほど、悪魔は、昔から今日まで人間が己の罪を認識することと、キリストがその罪に対する神の聖なる御怒りを宥めるためにゴルゴタの十字架にかかってくださったことを、なんとしても覆い隠したいと願っているのだとわかる。これは、ペラギ…
16世紀の自由思想家ソッツィーニ、そして19世紀のシュライエルマッハ―以来今日に至るまで自由主義神学に立つ人々は、キリストが罪ある人間の身代わりとなって十字架にかかってくださったことを受け入れない。彼らは人間の本性は善だと考えるので、キリストが…
A.A.ホッジは、罪観は神学体系のアルキメデス点であると指摘し、罪認識の深浅によって、三つのタイプの神学体系が形成されてきたと指摘している。罪認識が徹底していれば恩寵救済主義となり、原罪を否定すれば自力救済説となり、罪認識が中途半端であれば神…
自家製教理問答を推敲していて、説教の定義について考えています。 そんな作業の中で、K.バルトとその追随者がしばしば「第二スイス信条」から引っ張ってくる有名な「神のことばの説教は神のことばである(Praedicatio verbi Dei est verbum Dei.)」という命…
1コリント13章4節から8節には、愛の具体的な中身の説明が豊かに説明されている。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を嫉みません。愛は自慢せず高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず。怒らず、人のした悪を思わず。不正を喜ば…
自然宗教の種類として宗教学者はさまざまな分類をするが、神の数で分類するならば、多くの神々を立てる多神教と、ただ一つの非人格の神を立てる汎神論に分けられる。多神教における神々はオリエントの諸神話、ギリシャ神話、古事記などを見るとわかるように…
多神教において、神々はギリシャ神話、古事記、北欧神話にみるように、しばしば個性豊かな人格的な存在である。その神々と人間との境界線はあいまいであり、神々はみな有限であり、不道徳でもある。多神教の神々は、人間の延長線上に空想されたスーパーマン…
2018年にノーベル生理学賞を授与された本庶佑氏が、その受賞記者会見の前段で、「マスメディアの人たちはその論文がネイチャーだとかサイエンスに掲載されたことを云々するけれども、まあ、ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年たったら…
愛と義とを対立概念として説明する場合が多いが、それは聖書にかなっているだろうか。義の対立概念はむしろ「あわれみ」であろう。 聖書に「神は愛である。」(1ヨハネ4:16)とある。また、第一コリント13章では「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をね…
5月末に出版された『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓』は、アマゾンのキリスト教神学売れ筋ランキングに何度か取り上げられていますから、多くの読者を得ているようで感謝しています。今回「はじめに」の箇所を紹介しておき…
今朝、宮前町三丁目を散歩しながら、三位一体の神ということは、神が人格的存在であり愛であられることと切っても切れない関係にあることを思いめぐらしました。 古代の哲学者は、多神教の不合理性には気づいていて、「第一原因としての神」という唯一神観に…
今日、キリスト教界では「神の国」ということばは、しばしば主イエスの用語法と異なる用い方がされている。すなわち、「神の国」とは「神の支配」という意味であるから、その範囲は教会にとどまらず神のことばの影響が及ぶもっと広い範囲であるというのであ…
今朝は苫小牧の西の端っこ近くの宮前町4丁目を、家内といっしょに福音散歩してきました。いつもgooマップを印刷したものをプラスチックファイルに挟んで、どこまで配ったかを確認しながら歩くのですが、今日はその地図と現場が合致しないのでいささか混乱し…
デカルトは『方法序説』で、理性の働きは万人に共通のものであり、正しい方法を用いれば真理にいたることができると述べている。『方法序説』は、その理性の正しい使用方法について述べている。この正しい方法を用いるならば、理性は何者の影響も受けず、自…
神のご計画の全体を見るためには、創世記の創造の記事と黙示録の神の王国の完成の記事を見る必要がある。スタートだけでなく、ゴールを見るのである。両者の類似点と相違点に着目する必要がある。 創世記1,2章における被造物世界はほとんど手つかずの自然…