神学
16世紀の自由思想家ソッツィーニ、そして19世紀のシュライエルマッハ―以来今日に至るまで自由主義神学に立つ人々は、キリストが罪ある人間の身代わりとなって十字架にかかってくださったことを受け入れない。彼らは人間の本性は善だと考えるので、キリストが…
A.A.ホッジは、罪観は神学体系のアルキメデス点であると指摘し、罪認識の深浅によって、三つのタイプの神学体系が形成されてきたと指摘している。罪認識が徹底していれば恩寵救済主義となり、原罪を否定すれば自力救済説となり、罪認識が中途半端であれば神…
自家製教理問答を推敲していて、説教の定義について考えています。 そんな作業の中で、K.バルトとその追随者がしばしば「第二スイス信条」から引っ張ってくる有名な「神のことばの説教は神のことばである(Praedicatio verbi Dei est verbum Dei.)」という命…
1コリント13章4節から8節には、愛の具体的な中身の説明が豊かに説明されている。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を嫉みません。愛は自慢せず高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず。怒らず、人のした悪を思わず。不正を喜ば…
自然宗教の種類として宗教学者はさまざまな分類をするが、神の数で分類するならば、多くの神々を立てる多神教と、ただ一つの非人格の神を立てる汎神論に分けられる。多神教における神々はオリエントの諸神話、ギリシャ神話、古事記などを見るとわかるように…
多神教において、神々はギリシャ神話、古事記、北欧神話にみるように、しばしば個性豊かな人格的な存在である。その神々と人間との境界線はあいまいであり、神々はみな有限であり、不道徳でもある。多神教の神々は、人間の延長線上に空想されたスーパーマン…
2018年にノーベル生理学賞を授与された本庶佑氏が、その受賞記者会見の前段で、「マスメディアの人たちはその論文がネイチャーだとかサイエンスに掲載されたことを云々するけれども、まあ、ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年たったらま…
愛と義とを対立概念として説明する場合が多いが、それは聖書にかなっているだろうか。義の対立概念はむしろ「あわれみ」であろう。 聖書に「神は愛である。」(1ヨハネ4:16)とある。また、第一コリント13章では「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をね…
5月末に出版された『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓』は、アマゾンのキリスト教神学売れ筋ランキングに何度か取り上げられていますから、多くの読者を得ているようで感謝しています。今回「はじめに」の箇所を紹介しておき…
今朝、宮前町三丁目を散歩しながら、三位一体の神ということは、神が人格的存在であり愛であられることと切っても切れない関係にあることを思いめぐらしました。 古代の哲学者は、多神教の不合理性には気づいていて、「第一原因としての神」という唯一神観に…
今日、キリスト教界では「神の国」ということばは、しばしば主イエスの用語法と異なる用い方がされている。すなわち、「神の国」とは「神の支配」という意味であるから、その範囲は教会にとどまらず神のことばの影響が及ぶもっと広い範囲であるというのであ…
今朝は苫小牧の西の端っこ近くの宮前町4丁目を、家内といっしょに福音散歩してきました。いつもgooマップを印刷したものをプラスチックファイルに挟んで、どこまで配ったかを確認しながら歩くのですが、今日はその地図と現場が合致しないのでいささか混乱し…
デカルトは『方法序説』で、理性の働きは万人に共通のものであり、正しい方法を用いれば真理にいたることができると述べている。『方法序説』は、その理性の正しい使用方法について述べている。この正しい方法を用いるならば、理性は何者の影響も受けず、自…
神のご計画の全体を見るためには、創世記の創造の記事と黙示録の神の王国の完成の記事を見る必要がある。スタートだけでなく、ゴールを見るのである。両者の類似点と相違点に着目する必要がある。 創世記1,2章における被造物世界はほとんど手つかずの自然…
昨年7月から毎週火曜日の晩に、教会の兄弟姉妹たちとオンラインで続けてきた『新・神を愛するための神学講座』読書会が、昨晩で終わりました。参加者はそれぞれに手ごたえや感動を、毎回得ているようで楽しいときでした。
昨日から斎藤五十三先生をお迎えしてHBI春の特別公開講座。テーマは<「神の子とする」恵みー宗教改革信条史における「神の子」概念再考ー>。 1992年春、結城晋次先生が仕えておられた横浜上ノ町教会でご奉仕に招かれてうかがったとき、大学生だった五…
1.女性の短髪の件から読み取られる普遍的規範 ポストモダンの現代は、しきりに「みんな違ってみんないい」と多様性が異常に強調される相対主義の時代である。その風潮の影響を受けて聖書解釈においても、聖書の記述を何でもかんでも当時の文化・歴史現象と…
聖書が「神のことば」であるということと、聖書の解き明かしとしての説教が「神のことば」であるということとの違いはどこにあるのか?どのように考えればよいのだろうかとずっともやもやしていたが、今日、牧田吉和先生が導いてくださる土佐改革派神学塾で…
カルヴァン以来、キリストの職務は預言者・祭司・王の三つであるという言い方がなされてきました。三つの働きが切り離せないので、キリストの三重職(three-folded offices)とも言われます。しかし、福音書を読むと、「時が満ち、神の王国は近くなった。」と…
北総大地キリスト教会会員の永瀬哲也兄が、『新・神を愛するための神学講座』の書評を書いて送ってくださいましたので、ここに掲載させていただきます。要望されている事項索引は、出版のときに作ろうかなと思って手を付けたのですが、とても面倒な作業で断…
お正月5日目、午前中、年に一度の健康診断に行ってきました。精一杯、背筋を伸ばしましたが、身長が175センチを切っていました。縮んでいます。外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされる人生を神様からいただいていることは感謝なことですね。 で…
聖書釈義には、相反するように見える二つの原則がある。第一は、聖書記者が第一の読者に伝えようとしたことを読み取ることに努めることである。これはほかの人間の書いた書物においても同じことが言える。第二は、聖書全体は聖霊によって導かれて記されたも…
拙著『新・神を愛するための神学講座』を読んでくださり、感謝します。 聖句索引と正誤表がこちらにありますので、ダウンロードしてご活用ください。 moriaogael.wixsite.com https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E3%83%BB%E7%A5%9E%E3%82%92%E6%84%9B%E3%81…
平和の神ご自身が、あなたがたを完全に聖なるものとしてくださいますように。あなたがたの霊、たましい、からだのすべてが、私たちの主イエス・キリストの来臨のときに、責められるところのないものとして保たれていますように。(1Thess5:23) ですから、私た…
『新・神を愛するための神学講座』を書いていて、一番むずかしいと感じたのは、キリスト論だった。多くの牧師たちがそうであるように、私がもっとも多くの説教をしてきたのは福音書であるのに、そこに記されたキリストについて考えて表現するのが一番むずか…
昨日、少し残暑を感じましたがが、それでも今朝はひんやりとした空気の中、海に近い新富町というところを1時間半ほど歩いてきました。大きく新しい家もあり、錆びた鉄階段のついたアパートもあり、手入れされた玄関前の庭もあり、草ぼうぼうの玄関もあって…
いわゆる現代神学は、現代的課題への対応、または現代思想を聖書解釈に応用するということをします。それは結局は、古代においてグノーシス派がギリシャ思想で聖書を読もうとして陥ったのと同じように、一種のシンクレティズムになってしまうのではないかと…
書評:水草修治著 『新・神を愛するための神学講座』(地引網出版 2022年1月) 本書は、夕礼拝の「教理説教」に発し、その後の信州小海における開拓伝道と教会形成、さらには苫小牧での伝道牧会の中で育まれ、30年を要して結実した書である。「神を愛する…
友人の山口陽一先生が書いてくださった書評です。「舟の右側」誌掲載のものです。アマゾンで手に入ります。 「要するに」が口癖の水草先生は、煩雑な議論を咀嚼してまとめてくれるので、ややこしいテーマも、スッと理解できて、ありがたいことこの上ありませ…
「理性と信仰」という主題は、古代教会からの課題であった。「アテネとエルサレムに何の関りがあろうか」といったテルトゥリアヌスは、アテネ(理性)とエルサレム(信仰)とはかかわりがないものであるとした。不合理なるがゆえに信ず、という立場である。…