苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神が人格であることと三位一体であること

 多神教において、神々はギリシャ神話、古事記北欧神話にみるように、しばしば個性豊かな人格的な存在である。その神々と人間との境界線はあいまいであり、神々はみな有限であり、不道徳でもある。多神教の神々は、人間の延長線上に空想されたスーパーマンやスーパーウーマンなのである。

 哲学者たちはこういうものは神と呼ぶに値しないものであることに気づいた。そして考え出したのは汎神論である。汎神論において、神は1である。汎神論において神は大海に譬えられ、個物はその海面に現れては消える波にすぎない。汎神論においては、善悪の区別、動物と植物の区別、動物と人間の区別など、区別という区別は本質的なことではない。真に実在するのは大海だけなのであり、個物は現れては消える波にすぎないからである。汎神論における神は、神とは呼ぶものの、全てを生み出し全てを呑み込む非人格的な存在であって、祈りの対象ではない。
 人間の論理によって考え出された神は、多神教と汎神論であり、多神教の神々は人格的であって祈る対象にはなりうるが弱弱しく真実に欠けるので信頼に値せず、汎神論の「神」はすべてを生み出した非人格の原理であって祈りの対象とはなりえない。

 三位一体の神は、神は人格的な交わりの神であられ、かつ、唯一絶対のお方である。私たちが祈ることができる人格であり、かつ、絶対のお方である。十分に表現できないが、とりあえずのメモ。