A.A.ホッジは、罪観は神学体系のアルキメデス点であると指摘し、罪認識の深浅によって、三つのタイプの神学体系が形成されてきたと指摘している。罪認識が徹底していれば恩寵救済主義となり、原罪を否定すれば自力救済説となり、罪認識が中途半端であれば神人協力説となる。罪観は堕落後の自由意志の状態がどうであるかという議論になる。
恩寵救済主義<罪観は全的堕落―キリストは救い主―代償的贖罪説>
自力救済主義<性善説-キリストは模範者―道徳的感化説>
ペラギウス-アベラールーソッツィーニ―近代自由主義神学
(ただしアベラールは代償的贖罪を否定したわけではない)
神人協力説<罪観は部分的堕落―救い主模範者キリスト―代償的贖罪と道徳的感化>
トマス主義―アルミニウス主義
(ただし、神人協力説は神・人の配分によって幅がある)
この秋、TCUを会場に開かれた日本新約学会における贖罪論の発表について伝え聞くと、ことばはいろいろ工夫されているものの、結局その中身は道徳感化説つまり自力救済主義である。「贖罪は本来、神のわざなのに、これではもはや神学ではなく、人間学なのではないか」というコメントが教義学部門の研究者からあったという。よくぞ言ってくださった。