先週、所属教団の秋の研修会に参加して思ったこと。
「ルターはカトリックの神人協働説(律法主義)に苦しんで、信仰義認を聖書に発見しました。救いは恩寵のみ、信仰のみです」というプロテスタント教会の牧師が、バリバリ頑張って伝道牧会していて成果主義に陥って、くたびれてカトリックの黙想の家で癒されて立ち直ったという例を幾人か散見します。静まってみると、成果を上げなくても、主は私を喜んでいてくださることがわかったということです。癒されたことは感謝なんですが、なんだか神様の皮肉かなあと感じます。
プロテスタントの正統的な「信仰義認」の神学が見落として来たことがあるのではないでしょうか?それはいつくしみ深い天の父が、(私の働き以前に)私の存在を喜んでくださっているという事実を見落としてきたことではないか。義認と聖化だけでなく、子とされた恵みの重要性を見落として来たからではないか。
詳しくは、下の本の第17章を読んでみてください。
私自身が神の子とされた恵みを体験し、その後理解したプロセスは次のようでした。
「存在の喜び」
一九八二年三月末、東京基督神学校の入学許可が下りると、私は宮村武夫牧師(写真001)が仕える青梅キリスト教会を訪ねました。先生と執事さんたちを前に、「どんな奉仕でもします。お便所の掃除から始めましょうか。」と申し上げました。すると、黒々とした髪、広い肩幅の宮村先生は、分厚い眼鏡の奥から私を見つめて、鼻のつまったような声で「水草さん。神学生として最も大切な奉仕は、礼拝者として、そこに存在することです。」とおっしゃいました。しかし当時の私には、そのことばの意味がよくわかりませんでした。
実はその一か月前、故郷神戸の父が食道がんで手術をしても余命半年と宣告を受けていて、四月十日が手術日と決まっていました。神学生になった私には、すぐに葛藤が生じました。奉仕神学生として誰よりも忠実に教会に仕えねばならないのに、折々帰省して看護する母を休ませてやらなければと思ったからです。そのため奉仕教会を欠席するたびに、心の中で『お前はそれでも献身者なのか?』という思いが私を責めていました。
しかし、その後の数か月間、青梅キリスト教会と隣町の小作伝道所で教会学校の子どもたちと賛美歌を歌い、礼拝をささげ、みことばを聴き、折々の交わりを通して、宮村先生が言われた「礼拝者としてそこに存在すること、それが最も大切な奉仕です」ということばの意味が、まだことばにはできませんでしたが、なんとなくわかっていきました。
十月十日、父が天に召されました。医師の余命宣告どおり、手術の日からちょうど半年でした。苦痛にさいなまれる日々のなか、「神様が遠くに行ってしまった。」とつぶやくこともあった父でしたが、天に召される前夜には、母に「君と結婚して幸せだった。キリストを信じて天国に行けるから。帰ろう。帰ろう。」ということばを遺して逝きました。五十三歳でした。父と母は私が洗礼を受けた一年後に揃って受洗したのですが、どちらかというと母の方がしっかりとした信仰を持っていたのでした。
葬儀が終わって一か月が経ったもみじの美しいころ、宮村先生が白に黄緑の帯がかかった表紙に、もみの木の前を園児が駆けている素朴な絵をあしらった本を手渡してくださいました。青梅キリスト教会付属もみの木幼児園の記録文集『存在の喜び―もみの木の十年―』でした(写真002)。宮村先生は、「存在の喜びの『の』は、主格的属格でなく対格的属格の『の』なんです。つまり、存在が喜ぶ喜びではなくて、存在を喜ぶ喜び、神が私たちの存在を喜んでくださっている喜びです。」と、いかにも新約聖書学者らしい説明をしてくださいました。神学校の寮に帰って本を開きました。ページをめくるごとに、この半年余り、礼拝説教で、ふとした語らいの中で宮村先生から聞かされたことばで、心に残りながら十分に理解できなかったことが解き明かされていきました。聖書が与える目には、これほど喜ばしい世界が映ることを知りました。そして、次のくだりに至ったとき、胸が熱くなって、しばらく先に進むことができなくなってしまいました。
「園児にとって、何が無くとも、これだけは是非必要なこと、それは自らの存在が喜ばれている確認です。両親が自分の存在を喜んでいてくれる。園でも、教師や友人たちが自分の存在を喜び受け入れてくれている。自分の存在が少くとも或る人々に心から喜ばれているとの自覚は、必要不可欠なものだ。これこそ、この十年深まりつづけてきた確信です。何が出来るか、何の役に立つかと機能の面からのみ判断されるのでなく、ただそこに存在していること自体が喜ばれ重んぜられる。この経験なくして幼児は、いや人間は真に人間として生きることは出来ないのではないでしょうか。」(第一版48~49頁)
神は、私が何ができるできないによらず、私の存在を喜んでいてくださるのだということがはっきりとわかりました。浪人生活の終わるころ、今までの無神論者としての的外れな生き方を悔い改めて、私の罪のために十字架に死んでよみがえられた神の御子イエス・キリストを信じたあの時、私は確かに神の前に義と認められました。しかしその後、献身者は主のしもべであると心得て奉仕に励むうち、いつのまにか自分の行ないに恃む律法主義に逆戻りしていたのです。だから十分に奉仕ができないときには、牧師の顔色をうかがい神の怒りにおびえる奴隷状態に陥っていたのです。ところが主は、「わたしにとっては、おまえが何ができるとか、できないとかいう以前に、おまえがただそこに存在していることが喜びなのだ。」とおっしゃったのです。私のうちに、喜びが湧きあがりました。私は嬉しくて、寄ると触ると『存在の喜び』を話題にして、友人たちに何冊も売ったのでした。友だちは「水草君は『存在の喜び』のセールスマンだね。」と笑っていました。
神学校の最終学年になって土浦めぐみ教会に奉仕神学生として帰ったとき、朝岡茂先生は癌で闘病中でした。三年前は直腸がんでしたが、このたびは膵臓がんで発見が遅れたのです。病床の先生は二年ぶりに私の様子をご覧になって、ある日「君は伸びた。」と言ってくださいました。朝岡先生は、私のような者が真の意味で伸びるためには、宮村先生に委ねることが必要だと見抜いておられたのでしょう。私は朝岡茂先生のもとで主の兵士としての厳しさを学び、宮村武夫先生のもとで神の子とされた喜びを知ったのです。いずれも得難い学びでした。あの日からすでに四十年が経ちました。もし「存在の喜び」との出会いがなかったなら、私はきっと家庭生活でも、田舎での開拓伝道でも、とうに燃え尽きてしまったことだろうと思います。
神の子とされたこと
しかし、私はこの「存在の喜び」の神学的位置づけがわかりませんでした。宮村先生は、それを創造論に基礎づけられるとおっしゃいましたが、納得できなかったのです。ずっと後年にパウロ・ネメシェギ神父の『神の恵みの神学』を読んでわかったことですが、宮村先生が若き日に学んだネメシェギ神父に存在の喜びに通じる思想があり、ネメシェギ神父はその思想をプラトンの存在を善とする哲学から得たのでした。
数年後、J・I・パッカー著『神について』の「神の子たち」の章を読んで、私が経験した「存在の喜び」の聖書的根拠を見出しました。パッカーは、「義認は基礎的で根本的な祝福であるが、神の子とすること(adoption)は最高の恵みである」と教えていました。十七世紀のウェストミンスター信仰基準は、キリスト者がこの世で受ける主な祝福として、義認・神の子とすること・聖化の三つを挙げていますが、近代の神学史において長年にわたって「神の子とすること」の重要性は見過ごされ、義認論の一部として軽く扱われてきました。ですから、救済のプロセスといえば、「義認・聖化・栄化」であると教えられてきました。
「神の子とすること」とは、神が信徒を養子として、つまり実子であるキリストの弟や妹として、特別な愛の対象として迎えてくださることです。義認において神は裁判官ですが、子とすることにおいて神はあの放蕩息子の父なのです。父は「もう、息子と呼ばれる資格はありません。雇人の一人にしてください。」と言おうとする弟息子に最後まで言わせず、接吻して抱きしめ、相続人の指輪をはめました。指輪は「雇人ではない。お前はわが子だ」という証でした。
私は高校三年の秋の祖母の死によって、自分がいかに愛に欠けた利己的な罪人であるかを思い知らされ、また自分には生きる目的がわからないのだということを知りました。そして、増永俊雄牧師との出会いを通して、神の栄光を現わすことが人生の目的であることを知って、悔い改めて神に立ち返り、キリストの十字架の死と復活のゆえに、神に義と認められ、神の栄光を現わすことを目的とする人生をスタートしました。ですが、主の奴隷としての信仰生活はいつしか律法主義に逆行してしまい、それを神学校入学前に朝岡茂先生に厳しく指摘されたのです。ところが、神学生になるとすぐに父の癌が発見されて折々奉仕教会を欠席することになり、自分にとってのいわば律法であった「献身者としての完璧な教会生活」ができなくなってしまい、人の評価と神の評価を恐れるようになっていました。しかし、そのとき神は宮村先生との出会いを通して私に、神は父として私の行い以前に私の存在を喜んでいてくださるのだということを知ったのです。それは、奴隷的信徒になっていた私が、実はすでに神の子とされていた自分を再発見した瞬間でした。まさに「あなたがたは、人を再び恐怖に陥れる、奴隷の霊を受けたのではなく、子とする御霊を受けたのです。この御霊によって、私たちは『アバ、父』と叫びます。」(ローマ8・15)ということでした。
私がたどったプロセスは<罪の認識→義認→聖化→聖化の挫折→すでに子とされたことの発見→子として聖化>という順序でした。最近、この順序は、ローマ書の1章から8章に至るパウロの記述の順序と重なっていることに気づきました。客観的には義認と子とされることはほぼ同時なのですが、信徒が主観的に子とされたことのありがたさを認識するのは、聖化の挫折の後になるということです。
「存在の喜び」を知ったとき、主にある兄弟姉妹の存在も輝いて見えてきました。ある真冬の朝、神学校の早天祈祷会の薄暗い教室に、白い息を吐きながら一人また一人と集ってくる兄弟たちを見たとき、主ご自身の「見よ。わたしと、神がわたしに下さった子たち」(へブル2・13)という感動が私のものとなりました。以来、主日の朝ごとに、会堂に集まってくる兄弟姉妹の姿を見るたびに、同じ感動を覚えます。
義認と聖化という教理は、ひとり神の前に立つ自分を意識させる働きがあり、それはそれで重要なことです。罪認識は「みんなもやっている」と思っているうちは、確かなものとはなりません。ひとり神の前に立たねば、自分が罪人であることはわからないのです。そして罪がわからなければ、義認の恵みは理解できません。しかし、罪から救われた人は、ひとりぼっちではなく、父・子・聖霊と兄弟姉妹との交わりのうちに招かれている存在なのです。(『私は山に向かって目を上げる』45‐52頁)

