大学時代、国文から哲学に専攻を変更して哲学書を読み始めたとき、難しくて何を言いたいのかがさっぱりわからなかった。そこで指導してくださる先生に「何か哲学辞典を買うべきでしょうか?」と質問したところ、先生は「いやすぐれた哲学者というのは、その時代にあって誰も疑問に思わなかったことについて問いを立て、その問いになんとかして答えようとした人である。哲学書はそうした哲学者が、考えに考えて文章をつづったものであるから、彼の用いることばは当時の言葉を用いながらも、当時の言葉遣いとは異なる独特の意味を含んでいるものなのです。ですから、辞典では通り一遍の意味をとりあえず確認はできても、その哲学者が言わんとすることは、そう簡単にはわからない。その哲学書を何度も熟読玩味することが何よりも大事です。そうして通り一遍の考え方と異なる点にこそ、哲学者の主張があるのです。」というふうな内容のことをおっしゃった。この哲学教師のことばは、聖書解釈において同時代資料を用いることについて、重要な示唆を与えている。
新約聖書を解釈するために、同時代のヘレニズムとの類似性という観点から解釈しようとすることが、20世紀半ばくらいに流行した。ブルトマンの時代である。けれども、その後、むしろ新約聖書を理解するためにはヘブライズムとの類似性から、つまり、同時代(第二神殿期)のユダヤ教文献の観点から解釈すべきだということが強調されるようになって今日に至っている。その一例がN.T.ライトである。日本長老教会のN.T.ライトに関するレポート37頁2段落目に、ライトが聖書のある概念を理解するための方法を次のようにまとめている。
①ライトはまず第二神殿期のユダヤ教文献においてそれがどのように教えられているのかを調べ、②次にユダヤ教文献の概念や理解が使徒たちの理解と同じてあると仮定し、これを新約聖書の解釈に適用する。③そして最後に旧約聖書を開き、第二神殿期のユダヤ教文献および新約聖書とのつながりを確認する。
間違いは「②次にユダヤ教文献の概念や理解が使徒たちの理解と同じてあると仮定」することである。というのは、同時代のユダヤ教文献からわかる事柄というのは、イエスやパウロの思想ではなく、当時イエスの周囲・パウロの周辺にいたユダヤ人たちの一般的な思想なのである。第二神殿期のユダヤ教文書によれば、当時のユダヤ人たちは自分たちは先祖が神に背いた罪のゆえに、神の裁きとしてバビロン捕囚にあって以来、ずっと異邦人の支配下に置かれて主権を回復できないままに来ていると考え、しかし、神は終りの日には異邦人の暴虐な支配を罰して自分たちを回復する義なる裁きがなされると思っていたそうである。新約聖書の同時代のユダヤ人たちが抱いていた罪観と贖い観と終末観は、イスラエルの民が神に赦され神の民として認められることであった。
実際、福音書を読んでみれば、イエスの周りのユダヤ人たちは、弟子たちも含めてこのような罪観と贖い観と終末観を持っていたことがわかる。彼らはイスラエルの贖われることを願い、イスラエル民族が政治的主権を回復することを願っていた。群衆はイエスを理解することができず、五千人給食の時にはイエスを王として担ぎ出そうとしたし、イエスの身近にいた弟子たちとその親たちまでもイエスがエルサレムで王座に着いたら自分たちを右大臣に、左大臣にと的外れな政治的野心を抱いていた。だから、もし私たちが同時代のユダヤ教との類似性に着目してイエスやパウロの言動を解釈しようとすると、イエスの周辺・パウロの周辺の的外れなユダヤ人たちがイエスやパウロを誤解したのと同じ的外れな誤解をすることになるであろう。実際、筆者にはライトの義認論はそうした誤解の産物であるように見える。
ではイエスを正しく理解したければ、どうすればよいのか?それはまず福音書そのものをしっかりと熟読玩味することである。パウロを正しく理解したければ、パウロ書簡そのものをしっかりと読むことである。そうして、もし同時代の文化・文献を参照するとすれば、表面的類似を見つけ出したら、その表面的類似でなんでもわかるなどという軽率な判断をせず、本質的な相違点がどこになるのだろうかとよく考えることが大切である。
もし類似性について考えるとすれば、むしろ旧約聖書からの類似性に注目すべきである。旧約と新約の関係は、「恵みの上にさらに恵みを受けた」(ヨハネ1:16)ということ、予型と本体、預言と成就という関係であることをわきまえつつ、旧約からの連続性と新しさ(非連続性)の両方を捉えることである。