苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

地図と現場ー組織神学と釈義神学

 今朝は苫小牧の西の端っこ近くの宮前町4丁目を、家内といっしょに福音散歩してきました。いつもgooマップを印刷したものをプラスチックファイルに挟んで、どこまで配ったかを確認しながら歩くのですが、今日はその地図と現場が合致しないのでいささか混乱しました。そこで、通りすがりの青年に、場所を聞かねばなりませんでした。私はここ3年間で苫小牧市の3分の2ほど歩いてきましたが、地図と現場がこれほどずれているのは初めてです。帰宅してgoogle mapで調べたら、こちらは正確でした。

 私たちは目的地に行く前に地図を見て、おおよその見当を付けて出かけます。そうしないと、とんでもない所に行ってしまうこともあります。けれども、地図を見てから実際に出かけてみると、現場が地図とずれていることがごく稀にですが、あります。その場合、地図を修正しなければなりません。私はgooマップに修正するように伝えようと思います。

 地図と現場の関係は、組織神学と釈義神学の関係に似ています。私たちが聖書を読んで、とんでもない間違いをしないためには、聖書に取り組んだ古代教会、宗教改革時代の教会がまとめた教理問答書・信仰告白(組織神学)で鳥瞰的に聖書全体を見わたす知識を身に着けておくことが必要です。組織神学は地図です。そうして聖書の各巻、各箇所の丁寧な釈義は現場を踏査することにあたります。実際に現場を車で走るのでなく、てくてく歩いてみると地図と違っているところを見つけることがたまにはあるように、聖書本文を丁寧に釈義していると組織神学が教えていることと、微妙にずれていることがあります。その場合、教理には修正が加えられる必要があります。