苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神学

N.T.ライトの是と非

このところ、N.T.ライトの本が何冊も翻訳出版されています。なるほどという点と、おかしいんじゃないのという点の両方がまじりあっているので、私なりに整理しておきます。 まず、「福音とは『キリストは王である』という宣言である」というのは、たしかに福…

<書評>聖書を愛するすべての人に

O・パーマー・ロバートソン著 『契約があらわすキリスト ―聖書契約論入門』 (清水武夫監修/郄尾直知訳) 「やっと出ますか!」本書の邦訳・出版の知らせを受けて、フェイスブックに思わず書いてしまいました。首を長くして待ちに待ってすでに三十数年です…

O.P.ロバートソン『契約があらわすキリスト』出版間近!

35年前の神学生時代、「創世記から黙示録まで一貫する神のご計画をどのように読み取ればよいのだろうか。その鳥観図を得てこそ、各巻・各部分の正しい位置づけと解釈ができるだろう。」という願いをもっているなかで、 The Christ of the Covenantsに出会い…

創造の契約とアブラハム契約

最近、気づいたことがあります。 創造の契約において、人は地の相続人としての任務を与えられました。 アブラハム契約は、相続の契約です。 キリストにあって、信仰によるアブラハムの子孫が世界のあらゆる民族になったので、「地」が世界に拡張されました。…

組織神学集中講座

月曜からスタートした「神を愛するための神学講座」は、序論、啓示論に始まり、金曜夜9時半に終末論で終わりました。楽しく充実した一週間でした。しかし、さすがに、くたびれました。毎日11時間くらい勉強しましたからね。

『創造からバベルまで』

苫小牧の教会の水曜日の聖書研究祈り会で順々に読んできたものです。 創造からノアの大洪水で歴史の一回目は終わり、再出発したということで、創世記1章から12章には神と神の救いの計画の全体が圧縮されているという観点から、読んでみました。学問的なもの…

「新・神を愛するための神学講座」の第2回「啓示について」

ハレルヤ、感謝します。苫小牧、今朝は青空が見えています。気温18.4度です。 「新・神を愛するための神学講座」の第2回「啓示について」を載せていただいた『舟の右側』7月号が届きました。 アウトラインは次の通り1.啓示は必要不可欠 2.被造物啓…

お知らせ「新・神を愛するための神学講座」連載スタート

「舟の右側」6月号から、「新・神を愛するための神学講座」の連載が始まります。前の「神を愛するための神学講座」は絶版になって20年ほどたちます。その後、教えられて来てみなさんにぜひお伝えしたいことがあり、また、そろそろ向こうからお呼びがかかるよ…

王であり祭司であるキリスト

ここ2,3日頭の中にあること。 創世記3章には「原福音」と呼ばれる二つのメシヤ預言がある。一つは、蛇に対する呪いの中で、「女の子孫」が蛇の頭を踏み砕くというものであり(3:15)、もう一つは、神がアダムと妻に獣の血を流して彼らの恥をおおう皮衣を作…

N.T.ライトの体系

N.T.ライトについてかつてメモしたことを眺めて、会堂からの帰り道、思いめぐらしていたら、彼の体系が見えてきた。やはり、罪観は神学体系のアルキメデス点です。 ライトにとって罪観は、神の前の人間の罪責でなく、悪魔の力。ゆえに、ライトの贖罪論は、キ…

恩寵のみ・信仰のみ・聖書のみ

2テモテ3:14−17、ローマ1:16,17、3:19−24 恩寵のみ・信仰のみ・聖書のみ 2017年9月23日 JECA北海道聖会 第1回メッセージ はじめに ご紹介にあずかりました、日本同盟キリスト教団苫小牧福音教会牧師水草修治と申します。このたびは、この宗教改革5…

ただ神にのみ栄光を

2列王22章 ただ神にのみ栄光を(Soli Deo Gloria) 2017年9月 JECA北海道 第2回目メッセージ 宗教改革のスローガンといえば、まずは、ドイツの宗教改革では、「Sola Scriptura、聖書のみ」「Sola Gratia恵みのみ」「Sola Fide信仰のみ」です。スイスの宗教改…

アメブロに、講義ノートを置いておきます。

以前、はてなダイアリーで「神を愛するための神学講座」というブログを半年くらい書いた後、私のミスで消滅しました。 HBI(北海道聖書学院)で話している内容を読んでみたいと言ってくださる方がいるので、昨日、こういうのをはじめました。 アメブロは初め…

N.T.ライトについて、遠藤勝信先生の講演を聞いて 

今週月曜、火曜、北海道聖書学院では、遠藤勝信先生をお迎えして、NPPの特にN.T.ライトさんの説についての講演をしていただきました。 丁寧に慎重に紳士的になさった遠藤先生の講義の前半を、大雑把すぎる方法で超簡潔にまとめてメモしておきます。(まとめ…

悪から罪へ

アウグスティヌスは、若い日から悪の問題に悩んでいた。特に、彼自身、抑えがたい性的欲求に翻弄されていたからである。そういう彼はマニ教という精神を善とし肉体を悪とする二元論の合理的宗教にはまり込んでしまう。彼は詳細を語っていないので、想像する…

真の神にして真の人となられたお方

今日はHBIでキリストが真の神であられつつ、真の人性をまとわれたことをまなびました。 その結論だけ、紹介します。(1)二性一人格ゆえに贖罪が可能だった キリストは、人であるゆえに人の罪を担うことができ、キリストが神であるゆえに贖罪の能力を持って…

十字架のことばは・・・(1)道徳的感化説の誤り

「十字架のことばは、滅びに至る人々には愚かであっても、救いを受ける私たちには、神の力です。」(1コリント1章18節) キリストの十字架の死は、私たちが神の御前に犯した罪に対する罰を身代わりに背負うためであった。しかし、人間はこの聖書の明白な教え…

十字架のことばは・・(2)劇的贖罪説と悪魔のほくそ笑み

「神は罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。」(2コリント5:21) 1.劇的贖罪説 キリストの十字架の死は、悪魔の奴隷になっている人間を解放するために、神が悪魔に対して支払っ…

神学の三体系とJ.I.パッカーとN.T.ライト

神学には、罪のとらえ方を支点として、3つのタイプ体系が生じる。恩寵救済主義、自力主義、そして両者の中間の神人協力説である。これはA.A.ホッジがOutlines of Theologyで言っていたこと。1.恩寵救済主義。 人間の罪は自由意志までも罪しか選べない状態…

J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』

「罪人はいったい何から救われなければならないのか?」この問いに正しく答えられるかをさぐられるでしょうか。 友人の長島勝君が翻訳した、J.I.パッカー『十字架は何を実現したのかー懲罰的代理の論理』(いのちのことば社)が、ついに出版となりました。ア…

預言は預言者の意図を超える

11:49 しかし、彼らのうちのひとりで、その年の大祭司であったカヤパが、彼らに言った。「あなたがたは全然何もわかっていない。 11:50 ひとりの人が民の代わりに死んで、国民全体が滅びないほうが、あなたがたにとって得策だということも、考えに入れていな…

Theist(有神論者)を自任しつつ、deist(理神論)的に考えている人々

大学時代に小川圭治先生からキルケゴールを手ほどきしていただいた。ゼミで読んだのは『哲学的断片』だった。小川先生はカール・バルトに直接学んだバルト研究者であり、先年、天に召されたとうかがっている。卒論はパスカルに関するもので、主査にはパスカ…

「正典的聖書解釈」の来歴にかんする目見当

ウィトゲンシュタイン後期における「言語ゲーム」という考え方が、近年のリベラル神学の正典的聖書解釈の背景にあるという件についての、目見当のたんなるメモ。1.デカルトの還元主義 デカルトは『方法序説』で「部分の総和イコール全体」という考え方を提…

藤本満『聖書信仰』を読み終えて・・・ポストモダンの効能と使用上の注意

本書は「聖書信仰」について、<宗教改革、17世紀プロテスタント正統主義、経験主義、合理主義とプリンストン神学、ファンダメンタリズム、戦前日本における聖書信仰、アメリカの新福音主義、第二世代のエリクソンとピノック、シカゴ宣言、聖書信仰を『生き…

「物語神学」の「物語」という用語の問題性

藤本満師『聖書信仰』続読。 「ジェラール・ジュウェットは、ストーリーとナラティヴを区別した。ストーリーは、実際に起こっている出来事の歴史的内容そのものであり、ナラティヴはその出来事を物語る文学的な言説である、と。歴史的な出来事としてのストー…

「自然」という用語の問題性

数年前から考えている「自然」ということばの問題性について。 「神・人・自然」というふうに、神と世界を把握する表現がある。神は人をご自分の似姿として作り、自然を治めさせることになさった、と言った具合である。 だが、気になるのは「自然」というこ…

教理の学び方 19921011 →20161027改

1.知識と愛 「私は祈っています。あなたがたの愛が真の知識とあらゆる識別力によって、いよいよ豊かにな り、あなたがたが真にすぐれたものを見分けることができるようになりますように。また、あなたがたが、キリストの日には純真で避難されるところがな…

「神のかたち」の観点から創造から終末まで見通す

今、四半世紀前に書いた『神を愛するための神学講座』にペンを入れて、少しだけ書き直しつつあります。そこにどうしても入れたい視点は、この件なのです。 人間はもともと三位一体の第二位格「神のかたち」である御子にあって造られ(コロサイ1:15)、被…

聖書の権威の射程

ああ、まさにそうだと思ったことば。 「聖書も、徹頭徹尾宗教的であり、救済を目的とした神の言葉である。しかし、それゆえにこそ、聖書は、まさに家庭や社会、学問や芸術のための言葉でもあるのである。」 「聖書は学問や芸術にとっても道の光であり、足の…

非キリスト者の葬に教会が携わることについて  <追記あり>

以前から、教会の葬儀について、また教会墓地使用規定について、考えるところがあったので、その根本にかかわる聖書からの考え方を、少々ここにメモをしておきたいと思います。 ある人たちは、キリスト教会が非キリスト者の葬にかかわることは世との妥協であ…