説教余禄
創世記13章12節 口語訳 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住み、天幕をソドムに移した。 新共同訳 アブラムはカナン地方に住み、ロトは低地の町々に住んだが、彼はソドムまで天幕を移した。 新改訳第三版 アブラムはカナンの地に住んだが…
昨日の主日礼拝はヨハネ福音書6章の五千人給食のところ。「過越しが近づいて」とあることが示すように、この奇跡とその後のヨハネ6章53節から58節「人の子の肉を食べ、人の子の血を飲まない者は・・・・」というイエスのことばは聖餐と関連して記され…
これはテラの歴史である。テラはアブラム、ナホル、ハランを生み、ハランはロトを生んだ。ハランは父テラに先立って、親族の地であるカルデア人のウルで死んだ。アブラムとナホルは妻を迎えた。アブラムの妻の名はサライであった。ナホルの妻の名はミルカと…
昨晩から沖縄に聖会の御用でうかがっています。H先生が出迎えてくださって、沖縄そば屋さんで腹ごしらえをしました。ソーキ(豚バラ)、三枚肉、軟骨の入ったミックスで、平麺というのを食べました。軟骨がトロトロで、これを食べていたらウチナンチュの年寄…
説教準備のために心に留めていることをここに載せておきます。 一番上は、神学校時代小畑進先生によるチャートです。私は今もときどきこのチャートを眺めます。 二番目は、ボンヘッファー『説教と牧会』に書かれていたものの書き写しです。これも時々眺めま…
律法のとらえ方の間違いとして、律法主義と無律法主義があります。 律法主義とは、律法を守ることによって、神の前に自分の義を立てようとする態度です。そうすると、律法の文言につじつまを合わせるために、往々にして形式的に守ったことにしなければ、とい…
主イエスが復活された日の夕方、10人の弟子たちはユダヤ当局のイエス残党狩りを恐れて隠れ家の鍵を閉めていたが、彼らの真ん中に主イエスが現れてくださった。シャローム!とおっしゃって、彼らに福音宣教の使命とととも聖霊を与えてくださった。ところが…
新改訳2017 「あなたがたも知っているとおり、二日たつと過越の祭りになります。そして、人の子は十字架につけられるために引き渡されます。」 文語訳 『なんぢらの知しるごとく、二日の後のちは過越すぎこし[の祭まつり]なり、 口語訳 「あなたがたが知って…
マルコ伝14章には、ベタニアのマリアがナルドの香油を注いだ事件について、以下のように記している。 1**,過越の祭り、すなわち種なしパンの祭りが二日後に迫っていた。祭司長たちと律法学者たちは、イエスをだまして捕らえ、殺すための良い方法を探していた…
1.主イエスはたとえ話で個人名を入れないのに、この話ではラザロという名が入っています。→これはたとえでなく、実際にイエス様が知っている出来事なんでしょう。 2.金持ちは名前は名無しで、乞食はちゃんと名があることにも考えさせられます。これはこ…
一昨日、主の日、主イエスに「永遠のいのちを得るにはなにをしなければなりませんか?」と尋ねて来た人物の個所から話をした。この人物は、青年であり、役人であり、金持ちであり、律法の実践に忠実で品行方正であった。主イエスから「完全になりたいなら、…
昨日イブの集いでは、オスカー・ワイルド「幸福の王子」の紙芝居のあと、ピリピ書2章を解き明かしました。こちらにあります。幸福の王子は、キリストを表しています。ではツバメは誰を表しているのでしょうか。 よかったら、こちら↓をご覧ください。 http://…
最近、「神様は生きていて、祈りに応えてくださった!」という喜ばしい経験を聞きました。そのポイントとなった先日の説教の部分をお分かちします。 山を動かす信仰の祈りのはずなのに答えられない。それを妨げているものは何か?そして、それを打ち破る祈り…
マルコ伝はダイナミックで生の証言という印象が強いとはいうものの、では粗野な書きぶりなのかというと、そうではない。むしろ、その文章の構成には工夫が見られる。たとえば「挿み込み法」である。このネーミングは筆者が勝手につけたもの。第一の例はマル…
マルコ福音書の山上の変貌記事で気になることを書いたついでに、ルカの変貌山の記事の特徴もメモしておく。それは、不思議な眠気である。「ペテロと仲間たちは、眠くてたまらなかったが、はっきり目がさめると、イエスの栄光と、イエスといっしょに立ってい…
マルコ福音書の記者はある青年のストリーキングを記録している。ゲツセマネにおける次の記述である。「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだか…