苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「多様性」一辺倒、混乱の時代に:『新・神を愛するための神学講座』

 昨日、札幌で教会の女性たちの集まりがあって、アッシー牧師たちが数名、別室で交わりをしました。最初大谷翔平君はもちろん話題になりましたが、近年気になっている神学的動向、それから健康によい体操などが話題になりました。そういえば若い日、先輩のY牧師に言われました。「君たちは若いから集まると、最近、聖書のどの箇所から説教しているとか、註解書はあれがいいとか、最近読んだ本を話題にしているけれども、ぼくくらいの年齢になると、『あれが血圧にいい』とか『これが肩こりにいい』とかいう話題になるんだよ。」北海道の牧師の集まりは、まだ神学的動向が話題になるだけ、気が若いようです。
 話題になったのは、新使徒運動、セカンドチャンス論、終末預言の独断的あてはめ解釈、それからLGBTQ神学によるローマ書2章の文脈を逸脱した解釈の問題、それから、聖書的救済論をわかりやすく整理する必要といったことでした。ややこしい時代です。根っこにあるのは、人権崇拝~個人の主観の絶対視から生じたポストモダンの多様性中毒による混乱です。

 このような時代の中で道を踏み外さないためには、聖書を解釈するのには、文脈をわきまえ、教理史をわきまえて読むことが大事だと思います。下に掲げたのは拙著『新・神を愛するための神学講座』の「はしがき」の抜粋です。

本書は説教集ではなく、最初から「神のご計画の全体」(使徒20:27新改訳第三版)を体系的に理解するための手助けをする本として書かれました。『舟の右側』に連載したものが元なのですが、わかりやすくするために相当ペンを入れ、新しい章も加えました。本書には、前著『神を愛するための神学講座』発行後、この三十年間教えられて来たことが、全体に加わっていますので、ここでいくつか特徴を紹介しておきたいと思います。

第一は、聖書啓示の特徴とそれにふさわしい解釈のあり方について触れたことです。聖書啓示が真理の源泉ですから、その解釈が本書の土台です。神論において、世の哲学思想との比較をしていますが、それはあくまでも聖書啓示を明確にするためであって、それ意外の意図はありません。また聖句主義に陥らず聖書主義でありたいと志しているので、各教理の根拠には文脈から切り離された聖句でなく、聖書解釈が提供されています。

第二は、古代教会が信じていた「『神のかたち』のかたち」としてのキリスト論的人間論が加えられたことです。これは大きな変化です。旧新約聖書六十六巻は神のことばであると信じる私たちは、聖書を一冊の神の啓示の書として読んだ古代教父、宗教改革者の成果に、もっと謙虚に耳を傾けるなら、有益なことが多いと感じています。

第三は、第二と関係していますが、創造から終末に至るまでキリスト論的に把握できるように意図したことです。その鍵は「『神のかたち』としてのキリスト」です。

第四は、神の王国の完成を目指して、創造から終末へと進んでいく旧約聖書の諸契約が、キリストの契約において集約・成就されていく展望を加えたことです。

第五は、キリストの贖いの職務「王であり祭司であるキリスト」をもって、救済論(義認・聖化・子とすること)の土台としたことです。ここでも古代教父と宗教改革者に学ぶところ、大でした。

第六は、救済論については、ローマ書一章から八章の叙述の順序(義認・聖化・子とすること)にしたがって解説したことです。ここでE・P・サンダース、N・T・ライトについて若干触れました。

第七は「教会と国家」に関する章を加えたことです。このテーマは旧新約聖書と二千年におよぶ新約の教会の歴史に流れていることですし、また、今日、教会が世にあってどうキリストに従うかに関して大切な課題です。

第八は、終末に関して三つの章を加えたことです。世界終末論における再臨の前兆の理解のカギは、寄せては返す波のような「産みの苦しみ」の理解であると考えています。