苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

福音を

うぐいす団地

今朝はのぞみ町の散歩を終えて、ずっと奥の樽前カントリークラブの入り口にある「うぐいす団地」という半分別荘地みたいな感じのところ数十軒を歩いてきました。周りは森に囲まれたところで、鹿のうんちがぽろぽろ落ちています。なんとなく信州を思い出しま…

秋はてんこ盛り

今朝の福音散歩で明徳町の残っていた場所が完了して、のぞみ町に入りました。ところが、雨が本格的に降り出してしまって、札幌のほうは大雨警報というラジオニュースもはいって、1区画で退散してきました。 車の中でラグビーの放送を聞きました。前半はいい…

伝道の考え方

今朝は妻と明徳町を福音散歩してきました。福音散歩というのは、苫小牧市の全戸にキリストの十字架の福音について単純に記した『苫小牧通信』特別号を配布することです。教会の中に、ほかに3人ほどこの伝道に加わっている方がいます。なぜ苫小牧福音教会はこ…

出た!

昨夕、土砂降りの大雨が降って苫小牧は猛暑がどこかへ去り、朝起きると涼しい風がビュービュー吹いていました。今朝は、北星町というところを福音散歩してきました。原っぱと森に隣接した分譲中の新しい町なので、「ヒグマが出ませんように」と祈りながら配…

『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓ー』

5月末に出版された『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓』は、アマゾンのキリスト教神学売れ筋ランキングに何度か取り上げられていますから、多くの読者を得ているようで感謝しています。今回「はじめに」の箇所を紹介しておき…

海沿いの家々

おはようございます。今朝苫小牧は霧が出ていました。国道の南側海沿いの東西に細長いところに、ぽつりぽつりと集落があるので、そこを家内と散歩してきました。海鳴りと国道を走る大型車の音が聞こえている地域です。よっぽど海が好きで、こういうところに…

宮前町

今朝は涼しくて、青雲町散歩を終えて、西隣の宮前町に入りました。小川が流れるほとりの戸建ての地域です。 壁を右に折れると、「ワッ!!びっくりした。」となりました。玄関の前にしゃがんで、上下真っ赤な服のおじさんが一人タバコを吸っていたんです。お…

東西に長い苫小牧市

苫小牧の町はとても長細く東西に40kmもあります。南北は3~4kmくらいでしょうか。3年前の4月に市の真ん中辺にある教会周辺から始めました。東端にはすでに到達。また、国道の南はすでに西端に達し、その北の国道と鉄道の間の地域も西端に達しました。…

アロハ! 美原町

アロハ!今朝は妻と一緒にときわ町の福音散歩が終わって、美原町に突入。区画が広くて大きな家が多いです。写真はきのう二番通百貨店-2nd Streetーで手に入れたアロハシャツです。苫小牧にもやっと夏がやって来たお祝い。

暑すぎるので早朝散歩

これほど暑いと、歩くのはやっぱり早朝しかないということで、今朝は4時45分に起きて、家内といっしょにときわ町を福音散歩しました。この時間だとさすがに涼しかったのですが、それでも1時間も歩くと汗びっしょりでした。 黒マメシバを連れてワンコの散…

福音散歩

このところ、早朝でなく午前中に家内と一緒に配布散歩しています。川沿町を終わって、今は常盤町です。いずれも住宅街。苫小牧は涼しいとはいえ、1時間半ほど歩くと汗びっしょりになります。コロナから回復できて、感謝です。教会にはあと二人の姉妹が、この…

「救いの全体像」という注文

早朝は川沿町散歩、あと一息です。 そして、今日は「未信者の大学生に救いの全体像を語る 6800字」という課題で原稿書きです。コロナの最中に依頼されて、かなり考えて苦労しましたが、ようやく書き上がりました。「未信者の大学生を相手に」というのは、あ…

伝道者の精神衛生

コロナ後しばらく、何かするとすぐに息が上がっていましたが、もう元気になったので、久々に今日は午前中1時間ほど川沿町で福音新聞「苫小牧通信」を配布をしました。伝道者として召された者にとって、伝道の働きをすることは、妻の表現でいえば「精神衛生…

白井聖書教会で伝道に関するお話

昨日は白井聖書教会で朝礼拝で大宣教命令に関する説教、午後は聖書的な伝道に関する講演でした。どちらも守られて終えたこと、まず祈って支えてくださった兄弟姉妹に感謝です。お話の概要は次の通りで、これは私がその昔奥山実先生から教わったことが基本で…

こんな本、売れるのかなあ?

今般発行された、『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓ー』について、実は、「こんな本、売れるんかなあ?出版社の迷惑にならへんかなあ。田舎での伝道に関心持っている人なんてほとんどいないのだから。」と、私は妻と息子、出…

キリストが生きておられる

ガラテヤ2:19,2019**,しかし私は、神に生きるために、律法によって律法に死にました。私はキリストとともに十字架につけられました。**20**,もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。今私が肉において生きているいのちは…

『私は山に向かって目を上げる—信州南佐久における教会開拓ー』

今日、信州南佐久郡開拓伝道の本『私は山に向かって目を上げる』が、ついに出来上がったということで、出版社から連絡をいただきました。内容は、連載した原稿だけでなく、いろいろと信州で経験した興味深い出来事を書き加えて倍くらいになっているかなあ。 …

「神の子とする」恵み

昨日から斎藤五十三先生をお迎えしてHBI春の特別公開講座。テーマは<「神の子とする」恵みー宗教改革信条史における「神の子」概念再考ー>。 1992年春、結城晋次先生が仕えておられた横浜上ノ町教会でご奉仕に招かれてうかがったとき、大学生だった五…

福音散歩の時間変更

福音散歩の時間を変えました。 こに2年ちょっと前から、年を取って目がやたらと早く覚めるようになったので、春から秋の終わりまで5時前に起きて、6時まで散歩してから帰宅して、しばらく静まって、ご飯を食べて、妻と祈るようにしていました。 でも、こ…

小糸井福音散歩

昨日、今朝は海沿いの有明町から小糸井までを福音散歩しました。小糸井あたりに来ると、人家はぽつりぽつりという感じです。今朝は王子サーモンからスタートして、人家がなくなる西の端の川まで行きました。「地の果て」という感じ。 帰りは海沿いの遊歩道を…

主は生きておられる!

今朝は、日吉町を散歩してきました。お天気がよくて感謝でした。♪ 主イエスはわがため 十字架にかけられ わが罪 贖い 墓よりよみがえられた 主は今生きておられる わがうちに おられる すべては主の御手にあり 明日も生きよう 主がおられる♪という賛美が浮か…

わが力なる主

今朝は永遠の福音町2丁目の福音散歩、もう少しで終わりそうだったのに、蒔く種がなくなりました。 歩いていると、「わが力なる主 わが( )なる主、主わがすべて。心を尽くしてあなたをたたえる。しゅわがすべて。イエス、神の子羊、主よ。その御名に栄光あ…

『苫小牧通信』配布

朝5時で摂氏8度くらいになったので、今年も『苫小牧通信』配布を始めました。この程度の気温になれば、手袋をしないでも歩けるので、通信の配布はできるのです。今日は海沿いの王子サーモンの向かい側あたりでした。ここにはバプテスト教会の白い美しい会堂…

近刊『私は山に向かって目を上げる -信州南佐久における教会開拓の記録-』

昨日、私は満65歳になりました。神様が、この地上であと何日、何年歩みなさいとおっしゃっているのかはわかりませんが、いつ主が来られてもよいように、福音のために一日一日生きて行ければなあと願っております。 今、南佐久郡開拓伝道の記録の本を作ってい…

キリストは王

カルヴァン以来、キリストの職務は預言者・祭司・王の三つであるという言い方がなされてきました。三つの働きが切り離せないので、キリストの三重職(three-folded offices)とも言われます。しかし、福音書を読むと、「時が満ち、神の王国は近くなった。」と…

コオロギの話題

このごろコオロギ食について話題になっていて、ものすごく毛嫌いする人もいます。私は信州に22年間住んでいて、イナゴとハチの子を食べていたので、別にどうということはないと感じています。信州伊那地方では川虫であるザザ虫というのも佃煮として食べます…

「国外宣教」を「全民族宣教」に改めよう

マタイ福音書末尾の大宣教命令を新改訳2017は「ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としさない。云々・・・」(マタイ28章19節)と訳しているが、これはいかがなものか。「あらゆる国の人々を」はパンタ・タ・エスネーであり、同じマタイ…

子どもクリスマス会

今日は午前から子どもクリスマス会をしました。こういうご時世で、あまり大々的に宣伝はできませんでしたが、主の日の子ども礼拝に来る子たちと、水曜日に遊びに来ている子供たちがつどってくれました。 こどもはゲームが好きですね。最初はジェスチャーゲー…

「十字架のことば」は愚かである・・・・「包括的福音理解」への疑問

伝道とは、共通恩恵の器に特別恩恵をいれて渡すことです。しかし、伝道のためには他のことはその手段と考えればよいと主張しているわけではありません。そのような姿勢は、神の御心にもかなわないと思います。福音を伝えることは、確かに人々を永遠の滅びか…

イエス様を信じると顔が輝く

教会に集っている中国人の姉妹のお母さんが、今日、イエス様を神の御子救い主としてはっきりと受け入れました。娘さんが通訳をしてくれました。 三位一体の神様のこと、神様と私たちを隔てているのが罪であり、その結果自分自身も隣人も愛せなくなって孤立し…