廣田具之先生召天という報せが入りました。先生は土浦めぐみ教会出身という意味で、私の先輩にあたったせいか、天城山荘で教団90周年記念大会のとき、「靖国問題に関心ありますか? 」と声をかけてくださったのが最初でした。当時、私は大学4年生でした。
廣田先生は十字架の福音の宣教とともに、地 に遣わされた者として常に社会的な責任を自覚し、主体的に行動しておられました。
私は伝道者となってから、不思議と先生の近くで働くことが多く、東京西ブロックで、教団理事会で、また信 州宣教区でお交わりがありました。先生は、場の空気に流されず、人の顔色を見ず、芯のある発言をなさる方でした。
そういえば、朝岡茂先生は土浦めぐみ教会の草創期、廣田先生と下村茂先生が右腕左腕だったそうですが、お二人が次々に献身して神学校に進まれたとき、「両腕をもがれたと思ったよ。廣田さんは冷たいという人がいるけれど、心の中は熱いんだ、」と仰っていました。
次々とお世話になった方たちが、去って行かれる。私もそういう年齢になりました。
ヤコブがファラオを祝福
☆本日は、礼拝のユーチューブ配信がうまく行かなかったので、礼拝説教だけですが、掲載いたします。
創世記46章28-47章12節
ファラオを祝福する
2026年9月6日 苫小牧朝礼拝
序 再会、ゴシェンの地に
創世記16章28節から34節は再会の場面です。老ヤコブは息子ヨセフとの再会を果たし、「もう私は死んでも良い。おまえがまだ生きていて、そのおまえの顔を見たのだから。」と言います。ヤコブは130歳に達していました。
エジプト人は羊を飼う民を忌み嫌うという習慣がありました。そこで、ヨセフの考えとしては、1つには、エジプト人と同じところに住むことによる無用なトラブルを避けようという配慮なのでしょう。しかし、もっと大事な理由がありました。イスラエルの民が、エジプト人と混じって同化して神の民としてのアイデンティティを失ってしまうことを避けたかったのでしょう。こうして彼らはゴシェンの地に住まうことになります。
1 ヤコブ、ファラオと会見する
今朝、特に見たいのはヤコブがエジプトの最高権力者であるファラオとの会見する場面です。もう50年ちかく前、土浦めぐみ教会に講師として招かれた下川友也先生の説教で、このヤコブのパロに対することばを取り上げて、「いい言葉ですねえ。私も年をとったら、こういうことばが言えるようになりたい。」とおっしゃいました。
47章9節「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」
「一見すると単なる年寄りの愚痴か繰言にしか思えないけれど、これは実にいい。こういうことが言える年寄になりたい。」と先生はおっしゃいました。
たしかに一見年寄りの繰言か愚痴にしか聞こえないことばです。どうしてこんなことばが、いい言葉なのでしょう。以来、私にとってこの言葉は謎となりました。私は図書館に行って20冊以上、内外の聖書学者たちの創世記の注解書を読みましたが謎は解けませんでした。その後、神学校に進み、牧師になって、東京練馬区9年、長野県南佐久郡22年、そして苫小牧10年、合計41年間、さまざまな出会いを経験し、アブラハム、イサク、ヤコブと続く族長たちの生涯と、神様の彼らへのお取り扱いをみことばに味わうなかで、「ああ、なるほど。こういうことだろうな。」と思える答えに行き当たりました。
下川先生に電話をしてお尋ねしましたら、先生は「そういうことです。私は水草先生ほどに明快に説明できるわけではありませんが、私がこのみことばに感じたのは、そういうことです。」とおっしゃいました。「水草ほど」とおっしゃったのは、先生の謙遜ですが、とにかく先生がおっしゃったことの意味はわかりました。
今朝は、老いたヤコブがこの世の権力者ファラオを祝福し、そして語った一見、単なる年寄りの愚痴とも誤解され見過ごされてしまうようことばを味わいたい。そして、陶器師でいらっしゃる主なる神様が、ついにヤコブというご自身の器を完成されたことを見たいのです。
2 ヤコブはファラオを祝福した
ファラオは快くヤコブ一族をゴシェンに住まわせました。そのあと、ヨセフは族長ヤコブをファラオのところに、あいさつをさせ、お礼を言わせるために連れてきます。ところが、このとき、ヨセフも周囲の人々も、そしてパロもあっと息を呑みようなことが起こったのです。7節。
「それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、ファラオの前に立たせた。ヤコブはファラオを祝福した。」
新改訳第三版までは「あいさつした」と訳されていましたが、2017訳では「祝福した」と改めてくださいました。ヘブライ語でバラクです。文語訳聖書には「ヨセフまた父ヤコブを引入りパロの前に立たしむ ヤコブパロを祝す」とあり、口語訳には「ヤコブはパロを祝福した」とあり、「ヤコブはファラオに祝福のことばを述べた」とあります。
「天地を造られた主なる神から、ファラオよ、汝の上に豊かな祝福があるように。」と老ヤコブは手を上げてファラオに神からの祝福を授けたのでした。
ヨセフは「あっ」と息を呑み、ファラオの家臣たちは驚いたでしょう。というのは、当時の常識として祭司としては「下位の者が上位の者から祝福される」(ヘブル7:7)ものだからです。エジプトは当時世界において最大の国家でした。ピラミッドや巨大建造物に象徴される古代エジプト王国の文明のすばらしさは、今日でも驚異の的です。ましてヤコブの時代にあってエジプトの栄光はどれほどだったでしょう。そして、ファラオはこの超大国エジプトに君臨する王であり、神聖な存在とされたのです。ですから、世間の常識では、もし祝福するならば、ファラオがヤコブを祝福するはずでした。
ところが、カナンの地から飢饉で逃れてきた難民の棟梁にすぎない、一人の老人が、あろうことかファラオを祝福してしまったのです。下手をすると無礼打ちになりそうなところですが、ファラオを含めその場にいる人々は息をのむだけでした。
とはいえ、ヤコブは「われこそは、まことの神のしもべである」と気負ってファラオを祝福した様子はありません。「自分は飢えてエジプトに身を寄せた惨めな一族の族長にすぎないけれど、ぼろは着てても心の錦だ、卑屈にはなりたくない。たとえ権力者ファラオの前でも誇り高く振舞いたいものだ。」と気負ってファラオの前に出て、芝居がかった祝福を祈ったわけではありません。彼は神の器でしたから、ヤコブは自分を通して世が祝福されることをよく知っていましたから、「ファラオよ、あなたに天地の主から祝福あれ」とごくごくあたりまえのこととして祈ったのです。
45章8節でヨセフが「神は私をファラオには父としてくださった」とありますから、ファラオはヨセフより歳が若かったのです。若いファラオは白髪の老人ヤコブの祝福に、気をのまれたようです。彼は「ご老人、お年はいくつになられますか。」とたずねただけです。霊的な権威がヤコブには感じられたのです。
3 年寄りの繰言か、神の人のことばか
ファラオの質問に対してヤコブは答えました。
9**,「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」**
確かに、ちょっと聞けば、ただの年寄りの愚痴みたいですが、前後の文脈をあわせて味わうと、なんともいいことばであることが、わたしにもわかるようになりました。
もしヤコブの中に変な気負いがあって、あのパロに対する祝福をしたのだとすれば、決してこんなことばは彼の唇から出なかったでしょう。「天地の主から、あなたの上に祝福があるように。」と言っておいて、「私の生きて来た年月はわずかで、いろいろな災いがあり・・・」とは言いにくいでしょう。祝福を祈った本人は、災いだらけの人生を歩んできたというのは、矛盾していますから。もしヤコブが気負っていたならば、虚勢をはって、「ファラオさまはお若く見えますな。私は百三十歳になります。これまでの人生は、実に神様の祝福に満ちていました。」とでも言ったか、あるいは「この年になるまで、わたしもいろいろ苦労しましたが、私は実にしあわせでした。」と、やせがまんでも虚勢を張ったでしょう。
かつてのヤコブは勝てる相手だと思えば、策略をめぐらし嘘をついてでも、相手より優位に立とうとし、もし相手が強くて勝ち目がないとすれば、きわめて卑屈な態度をとるかのどちらかでした。ヤコブは兄エサウがお人好しで鈍い男だと見たので、策略をめぐらして兄を出し抜いて優位に立とうとしました。
しかし、兄エサウの殺意を恐れてふるさとから遠ざかってから20年ぶりに故郷に帰ったとき、兄エサウが圧倒的に武力があるとなると、今度は兄の前に平身低頭して「私はあなたのしもべです。あなたの顔を神の御顔を見ております」などと歯の浮くようなことを言ったものでした。
かつてのヤコブなら、ファラオの前に出たら、「ファラオさま。しもべはあなたのお顔を神の御顔を見るように見ております。」などとおべっかを使ったでしょう。けれども、ヤコブはこのたびは最高権力者ファラオの前に出て、「ファラオに天地の主からの祝福があるように」と静かな権威をもって祈り、また、年齢を聞かれると飾ることもなく、「私がたどってきた年月は百三十年です。私の生きてきた年月はわずかで、いろいろなわざわいがあり、私の先祖がたどった日々、生きた年月には及びません。」と述べました。それが事実だったからです。
ヤコブのたどってきた人生を読んできた私たちから見れば、「ほんとうにそうだなあ。ヤコブの人生は実にふしあわせだったなあ。」とうなずいてしまいます。生まれる前から、ヤコブは兄エサウとお母さんのおなかのなかで喧嘩していました。長じては兄をだまして長男の権利を奪い取り、後には父までもだまして兄への祝福を奪い取ってしまいました。このことからヤコブは兄にいのちを狙われる身となり、今度はおじラバンのところでだまされて14年間ただ働きをさせられ、悔しい思いをしました。
家庭についてはどうか。ヤコブは四人の妻を持ち十二人の子供をもうけましたが、一夫四妻というありかたが、その家庭に不幸を招きます。妻たちの嫉妬と憎しみのなかにヤコブはずっと翻弄されつづけました。子供たちの間にも争いが満ちていました。
いよいよふるさとに帰ることになりました。ヤコブは兄エサウとの再会を恐れていました。兄エサウとは仲直りできたものの、直後最愛の妻ラケルが末息子ベニヤミンを産んで死んでしまいます。
ヤコブはラケルの忘れ形見ヨセフを偏り愛します。その結果、兄たちはヨセフをねたみ憎み、奴隷商人に売り飛ばし、父ヤコブに対しては野獣に八つ裂きにされたらしいとうそをいいました。ヤコブはヨセフは死んだものと思い込んで、失意のどん底に晩年20年間をすごさねばならなかったのです。
ですからヤコブが「私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで・・・」というのは、もっともなことでした。ヤコブの生涯は実際、争いと悲しみに満ちていたのです。そして、その原因の多くはヤコブ自身にありました。ヤコブはその事実を、たいへん率直に認めているのです。
神様は130年間、ヤコブを取り扱ってこられました。陶器師が粘土を自分の望む器に作り上げるように、主はヤコブを長い年月をかけてご自分の器として作り上げてこられました。
かつてのヤコブは自我にとらわれた人でした。ヤコブが欲していたのは神の祝福ではありましたが、その祝福を自我の力で獲得しようとしたのです。だから彼はいつも人と争っていて、いつも人との勝ち負けという観念の虜でした。勝てる相手にはひそかな優越感をいだき、勝ち目のない相手には卑屈なまでに手練手管を尽くしたのです。
しかし今、ヤコブは陶器師である主の御手の中で徹底的に練られ、肉に頼むことをやめました。そのとき、すると人に劣等感をいだいて卑屈になる必要がなくなったことに気づきました。また人に対して虚勢を張る必要もなくなりました。虚栄も策略も必要なくなりました。彼は神がたまわった神の祭司としての任務ゆえに、相手が誰であれ、その祝福のために手を上げて祈るのです。またヤコブは虚飾も自慢もなく「私の人生はふしあわせな人生でした。」と率直に語る人となったのです。
自分がふしあわせであったということを率直に認めるということは、実はなかなかできないことなのではないでしょうか。こんな愚痴とも繰言ともつかないようなことばですけれど、ヤコブにとってみれば、それは自分における、うれしかったことだけでなく悲しかったことも苦しかったことも、みんな人生を神の御手のなかにあったのだとして、受け入れたことばなのでしょう。自分の人生を受け入れるということ、これはたいへんたいせつなことです。それは、摂理者・配剤者である神をしることによってこそできます。
10節 そして、ヤコブは再びファラオを祝福してパロの前を立ち去りました。
ヤコブは、自分が祖父アブラハム、父イサクの約束を相続した神の器であることをはっきりと自覚していました。自分が不幸せだったことはそれとして、自分はたしかに世にあって神の器であり、神はその祝福とのろいを、自分を通して世にもたらしたまうということを認識していたのです。主はヤコブの祖父アブラハムにおっしゃいました。「あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族はあなたによって祝福される。」(創世記12:3)
この約束をヤコブは祖父アブラハム、父イサクから受けついだので、ファラオを祝福して、自分の家に帰って行ったのです。
結び
私たち一人一人も小なりとはいえ神様の器です。私たちの人生は主の御手のうちにあります。うれしかったことばかりでなく、悲しかったこと、苦しかったことも、主の御手のうちにあってのことです。自分が主の御手のうちにあると知れば、誰と比べる必要もありません。主をあがめ、主を恐れて、主のしもべとして生きるとき、私たちは人を恐れる必要も、また、卑屈になる必要もなく、自由な人となり、祝福の通り管として、出会う人々の祝福を祈る者となりたいものです。
ああ、寂しい
1960年に苫小牧福音教会で洗礼を受け、以来、福音のために献身して病院伝道にも励んで来られた姉妹が高齢になられて、このたび苫小牧を離れて、弟さんの家の近くの札幌の施設に転じることになりました。家内と二人で今日、苫小牧の東端の施設にお目にかかってきました。
「Sさんが一番大事にしているみことばはなんですか?」と尋ねると、「詩篇23篇」とおっしゃって、「主は、わたしの羊飼い。わたしは乏しいことがありません。主はわたしを緑の牧場に伏させ、いこいの水のほとりに伴われます。」と暗唱されました。
私は詩篇歌の23篇を謳って差し上げました。また鼻笛で、「主我を愛す」を奏でました。
クリスチャンの交わりは永遠のもの。
けれども、ああ、寂しい。
洪水
昨夜、苫小牧は土砂降りに落雷で、大雨警報レベル4でしたが、大きな被害はなく大丈夫でした。
今日は、青空に秋の風です。
しかし、能登、ネパールのニュースを見ると、「ここでも、いつ何時」という感じです。
ネパールは氷河の崩壊が原因で自然のダムができ、それが決壊したということで、恐ろしい。前任地「小海」という名の由来となった、<八ヶ岳崩壊・自然ダム形成→一年後の崩壊→大洪水>というの平安時代の出来事を思い出しました。下のリンク先に関連記事があります。
https://koumichristchurch.hatenablog.jp/entry/20100114/p1
話はもどって、もし地球温暖化による氷河の崩壊が引き起こした大洪水であるとすると、他の氷河がある地域でも同じようなことが起こる危険性があるということです。
矢代町散歩
新富町の散歩が終わって、今朝から矢代町。王子製紙の工場の近所で、町の古い部分です。王子製紙の工場が、排気をうまく処理できない時代は、悪臭ただよう地域だったそうですが、1974年に200メートルの煙突が出来てから、悪臭問題は解決したそうです。
苫小牧という町は、古くは江戸時代末期、東の端っこの海のそば勇払というところに、幕府が八王子の侍たちを送り込んで会所を置いたのが最初だそうです。ロシアの船が沖合に現れるのに対して警戒したのです。
その後、明治6年(1873年)町の中心が勇払郡開拓使出張所を苫細に移転。そのころは「苫細」と書いたそうで、のちに、苫小牧と書くようになったそうです。そのころ苫小牧村は小さな漁村で、そのあたりを今は元町といいます。
この元町の北に接するあたりを今は矢代町といい、今日から散歩を始めた地域です。矢代町には明治天皇が来て、ここで昼飯を食べました、という札が立っています。維新になって、明治天皇は御簾の奥から出て、精力的に日本全国を回りました。明治14年には明治天皇が札幌に来て、札幌農学校などを見たついでに、苫小牧まで馬車で足を延ばしてやって来て、海が見える石の上に腰かけてお弁当を食べたんだそうです。この件は、以前、ブログにも書いて、FBでも紹介しましたね。私は幕末から維新にかけて興味があります。
小さな漁村が、大きな町に変貌したのは、1910年(明治43年)、広大な敷地の王子製紙の工場が矢代町に接するところに操業してからです。その工場の場所は今は王子町といいます。この工場は新聞紙を作る工場として今日まで続いています。今でいうインターネットのハードにあたる働きをしてきたというふうに言えるのでしょうか。
王子製紙は、北海道の木材を切り出してチップにし、溶かしてパルプを作って、紙にするわけです。王子製紙は木材を運ぶために自ら鉄道を敷き、発電所を造ったということですから、大したものです。王子製紙に多くの人々が働くようになり、苫小牧の人口は急増し、社宅、住宅地も建設されて行き、大正7年(1918年)には町政がしかれています。昭和23年には市政がしかれています。当時の人口は3万3千。苫小牧が「王子製紙の城下町」と呼ばれるのは、もっともなことです。
その後、大きな転機は、1963年に苫小牧港が開かれ、さらに東港も拡張されたことです。苫小牧は元来、遠浅の砂浜なので、大きな船舶が停泊できるような地形ではありません。その遠浅の海の底を浚渫して深くしたのです。世界初の内陸掘込式港湾だそうで、これで大きな船舶が出入りできるようになり、石油基地もでき、トヨタの工場もでき、そして北海道の農業・漁業の物産を積みだすことができるようになりました。
足で歩いて、歴史を振り返ると、興味深いことがいろいろ出てくるものです。
キリストに原罪があったとする説について ローマ書8章3節 2026年8月28日改(アンダーライン部付加)
「肉によって弱くなったため、律法にできなくなったことを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪深い肉と同じような形で、罪のきよめのために遣わし、肉において罪を処罰されたのです。」ローマ8章3節 2017訳
鞭木由行氏の『パウロの福音を生きる』は緻密であるだけでなく、氏の敬虔な情熱を感じさせる講解である。ただローマ書8章3節の、キリストが取られた人性に関する重要な箇所の説明にだけは、大きな疑問符を付けざるを得ない。鞭木由行氏は、この箇所を根拠として、キリストはアダム堕落後の人性、すなわち「原罪をもつ人性」を取られたという主張を展開している。しかし、この解釈は、聖書全体の証言および歴史的キリスト論との整合性において相当無理がある。
氏の主張の要点は、次のとおり。
第一に、キリストは堕落後の罪をもつ人間性をとった(p437)。(水草:堕落後の罪とはすなわち神学の伝統のことばでいえば原罪にほかならない。)
第二に、それにもかかわらずキリストが実際に罪を犯されなかったのは、神性が人性を支え、罪の誘惑を退けたからである(p438)。
第三に、キリストが私たちと同じ罪の肉を持つからこそ、その御子の罪の肉が処罰されることによって、罪の肉において罪が敗北した(p449)。
1.聖書自体から
(1)「罪深い肉と同じような形」という慎重な表現
まず、ローマ書8章3節の「神は御子を罪深い肉と同じような形で(エン・ホモイオーマティ・サルコス・ハマルティアス)遣わされた」という持って回った表現に注目したい。ポイントは、「罪の肉」と断言せず、「罪深い肉と同じような形(ホモイオーマ)」という表現を用いていることである。この「同じような形」は、キリストが真の人間でありながら、罪そのものには属しておられないという点を示す慎重な言い回しと理解するのが自然である。
(2)他の聖書箇所は何というか?
この理解は、ヘブル書の証言とも一致する。ヘブル4章15節は、「すべての点で私たちと同じように試みに遭われたが、罪は抜きにしてである(コーリス・ハマルティアス without sins)」と語る。
さらに、ヘブル7章26節では、キリストを「敬虔で、悪も汚れもなく、罪人から離され、また天よりも高く上げられた大祭司」と呼んでいる。ここでは単に「罪を犯さなかった」という行為だけではなく、その本性が「悪も汚れもない」ことが強調されている。ローマ書8章3節の「罪の肉と同じような形」という微妙な表現が、キリストには本性として原罪はないがまことの人となられたことを示すことは、もっと率直で明瞭な表現をしたヘブル書の上記の二か所を読めばあきらかである。
他にも、キリストが罪なきお方であったことを告げる聖書箇所はいくつか挙げておく。
「神は、罪を知らない方を私たちのために罪とされました。それは、私たちがこの方にあって神の義となるためです。」2コリント5:21
「キリストは罪を犯したことがなく、その口には欺きもなかった。」1ペテロ2:22
「あなたがたが知っているとおり、キリストは罪を取り除くために現れたのであり、この方のうちに罪はありません。」1ヨハネ3:5
(3)根っこにある釈義の方法の問題
思うに鞭木氏の特異な主張は、聖書釈義の方法に原因があるように思われる。すなわち、必ずしも明瞭でない箇所は、他の明瞭に書かれている箇所によって解釈するという「信仰の類比(analogia fidei)」をことさらに避けるという姿勢である。
確かに聖書各書、各箇所の釈義は、その箇所・その書の文脈の中で進めることが第一原則ではあるが、それが不明瞭な場合に他の箇所を参照すべきである。analogia fideiは、旧新約聖書66巻の究極の著者は唯一の聖霊であるという事実に基づいた有効な聖書解釈法として宗教改革者は大切にしていた。宗教改革の成果の集大成である「ウェストミンスター信仰告白」1章9節には次のようにある。
「聖書解釈―聖書は聖書によって解釈する
聖書解釈の無謬の規準は、聖書自身である。従って、どの聖句の(多様ではなくて、ひとつである)真の完全な意味について疑問のある場合も、もっと明らかに語る他の個所によって探究し、知らなければならない。」
聖書学は18世紀啓蒙主義時代に始まった、神学諸科の中では比較的新しい学問である。近代聖書学は、啓示や奇跡を認めない自然主義を前提とする。また、古代教父や諸信条など教会の伝統的解釈も規範としてではなく、歴史資料の一つとして位置づける。近代聖書学において、聖書は諸々の古文書の集成にすぎない。ゆえに、合理主義を背景とした近代聖書学の釈義の方法においてはanalogia fideiは無効である。
鞭木氏は厳格な聖書信仰に立ち、合理主義を背景とした近代聖書学を批判して来られた畏敬すべき聖書学者である。だが、近代聖書学に対峙するために、近代聖書学の土俵にあがって論じる必要がある中で、聖書釈義の方法において近代聖書学の方法の影響を受けたせいなのか(?)、あるいは、当該聖書箇所に関する思いが強いせいなのか(?)、不明瞭な聖書箇所を他の明瞭な箇所に照らして解釈するanalogia fideiを、この個所の釈義に関してはことさらに避け、古代教会、宗教改革の成果を軽視することによって、ローマ書8章3節の特異な主張が出てきてしまっているように見える。
2.鞭木説によって生じる諸問題
(1)鞭木説にしたがえば、キリストが贖いを必要とする存在となってしまう
西方教会においては、原罪とは、神の前の罪責という法的面と、神に逆らう堕落した性質・罪への傾向性という両面から理解されてきた。もしキリストがこの意味で原罪を持っていたとすれば、キリストご自身も贖われなければならない存在となる。そうであれば、罪人の贖い主ではなく、自らも贖いを必要とする罪人となってしまう。これは、上にも掲げた新約聖書が一貫して証言する「罪なき神の小羊」というキリスト理解とは両立しない。
「(あなたがたが贖い出されたのは)、傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。」(1ペテロ1:19)
(2)罪ある者でなければ犠牲に適さない?
鞭木氏によれば、キリストが私たちと同じ罪の肉を持つからこそ、その御子の罪の肉が処罰され、罪の肉において罪が敗北したという。つまり、氏の理解によれば、キリストの人性(肉)が罪があるものでなければ、犠牲には適さなかったというのである(pp448,449)。だが、これは聖書における犠牲の思想と明らかに異なっている。旧約時代に神が求められた動物犠牲の条件は、傷なきものであることであった。傷なきものが犠牲になるのでなければ、罪を償うことはできなかった。だから、新約聖書は一貫して「傷もなく汚れもない子羊のようなキリスト」と述べているのである。
(3)キリスト単性論に近づくかも・・・
さらに、「神性が人性を抑えていたので罪を犯さなかった」という説明にも神学的な問題がある。カルケドン信条以来の正統的キリスト論は、キリストの神性と人性は「混同されず、変化せず、分割されず、分離されない」と教えてきた。もし神性が人性を常に制御し、人性そのものに存在する罪への傾向を押さえつけていたのであれば、人性は本来の働きを十分に果たしていたとは言えなくなる。キリストの受肉後は神性のみだとした単性論とまでは言わないが、単性論に近づくことになる。
福音書は、キリストが第二のアダム(第二の人間の代表)として、人間として父なる神に従われたことを強調している。したがって、キリストが誘惑に勝利された理由は、神性が人性を制御したからではなく、罪のない完全な人として、聖霊によって父に完全に従われたからと理解する方が、聖書全体の教えと調和するのではなかろうか。
ちなみに、罪とのかかわりにおける人間の状態は、①罪を犯しうる罪なき、創造における状態、②罪を犯さないことができない罪ある堕落後の状態、③キリストを信じた罪を犯さないことができる恩寵の状態、④罪を犯すことができない完成の状態に整理できるが、キリストがとられた人性とは創造におけるアダムと同じく①試みを受けて罪を犯しうる罪なき状態であったが、聖霊に満たされたイエスはその誘惑を退け、勝利したのである。
(4)堕落後の世界に属する人間性とはー弱さと罪を混同してはならないー
キリストがある意味で「堕落後の世界に属する人間性」を取られたのは事実である。キリストは疲れ、飢え、苦しみ、死ぬことのできる人間性を取られた。ゆえに、へブル書がいうとおり、キリストは私たちの弱さに同情できるお方である(へブル4:15)。しかし、それは道徳的に堕落した人性を意味するのではない。罪深さと弱さを混同してはならない。キリストが受肉において摂られたのは苦しみと死を経験する弱さを帯びた体であり、原罪を抱えた堕落した本性ではない。この理解は、ローマ書8章3節の「罪深い肉に似た姿」という表現とも一致する。キリストは私たちと同じ苦しみを担われたが、罪人ではなかった。
以上のことから、ローマ書8章3節は、「キリストが堕落後の罪深い人間と同じような形を取られた」ことを教えているとは言えても、「原罪を有する人性を取られた」ことを教えていると言えない。「原罪」という言葉が歴史的教会において用いられてきた意味を保持する限り、「キリストは堕落後の罪(つまり原罪)をもつ人間性をとった」という表現は、聖書の明白な証言とも、古代教会以来の正統的キリスト論とも矛盾する。
むすび ローマ8章3節の真意
ローマ書8章3節は、キリストが私たちと同じ弱さをになう人間となり、苦しみと死を経験されたことを示しつつ、「罪深い肉と同じような形」という慎重な表現によって、その人性が原罪に汚されていなかったことを同時に表現しているのである。
今朝は新富町ー福音散歩のことー
聖書に「すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい」とあるので、11年前苫小牧に赴任してから、毎月「苫小牧通信」を書いて、新聞折込をし始めて、5年続けました。でも、新聞購読者数がみるみる減ってきました。いまどき新聞を取っているのは、経済的に余裕がある高齢者がいる世帯が中心だなあという感じです。新聞折込のお願いに通っていた会社の建屋が、大きなビルから小さなプレハブに替わってしまったことが、それを象徴しています。
「それでは、苫小牧の全戸にキリストの福音を満たすにはどうすればいいか?」
そのころ、ちょうど「健康のために毎日8000歩あるく」という記事を見つけたので、歩き始めたころでした。でも、ただ歩くのではもったいないなあと感じていました。「そうだ!」ということで、足を使って、福音文書『苫小牧通信』を九万二千戸に配り始めました。単純なことです。
1年目はほぼ一人で散歩しましたが、2年目から「私も配りたい」という兄弟姉妹が二人、三人と現われたので、3年で一回目の散歩が完了しました。2回目は、2年とちょっとでこの春、完了し、今は3回目を歩いているところです。昨日、海沿いの「元町」の福音散歩を終えて、今朝から「新富町」の散歩を始めました。・・・毎日といっても、4月から11月頭までで、厳冬期はサボっています。厳冬期は手袋をしているので、紙が持てません。そんな言い訳をしない新聞屋さんは偉い。
新富町を歩いていたら、二人のおばあちゃんと少しお話しました。
お一人はゴミ出しをしていらっしゃいました。
「どこの人ですか?お見受けしたことがありませんが。」
「双葉町の教会の牧師で、水草といいます。これ、私が書いたので、読んでみてください。」
もうお一人は、鉄階段を上って行ったら、ちょうど扉があいて、「そこの階段、すべって危ないでしょう。ご苦労様。」と言って、にっこり受け取ってくださいました。
「おばあちゃん」と書きましたが、きっと歳を聞いたら、私とさほど変わらないのでしょうね。まあ、足が動く限り、福音を伝えたいなと願っています。
「足には平和の福音の備えをはきなさい。」エペソ6章15節