苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

汐見町散歩

 今朝は汐見町という、その名の通り、海沿いの町を神学生といっしょに福音散歩。最初はグレーの海が、途中から空が晴れて青くなりました。日差しは夏の色ですが、空気はひんやりしています。
 そういえば、幼い日に暮らした須磨寺町の近所にも汐見台という地名がありました。海と森がある点で、神戸と苫小牧は似ています。

嬉しかった主の日

 先々週火曜日から千葉にある神学校の神学生I君が来てから、早朝5時から毎1時間ちょっと、毎日、霧雨のなか福音散歩(苫小牧通信配布)をして来ました。そして、今朝、三光町の福音散歩を完了しました。三光町は、新しく立派な家が多い住宅街です。今朝はほんとうに久々の青空の下、ひんやりした空気の中を歩けて気持ちよかった。他の地域は40度といっているのに、申し訳ない。

 そして、今日は朝礼拝でI神学生に説教をしていただきました。エルサレムへと急ぎ足の主イエスが、エリコの町の道端で物乞いの盲人バルティマイが「ダビデの子よ、私をあわれんでください!」の叫びに、主イエスが急ぐ足を止められた、あの箇所からでした。若々しくファイトあるよい説教でした。

 また、礼拝には茅ケ崎から老夫妻が訪ねてくださいました。うかがえば、最初は信州新町の教会で、その後、前任地の小海キリスト教会の礼拝でもお会いしたとのこと。そして今日でしたが、私は福音紙芝居で、会堂司ヤイロの娘と長血の女の箇所のお話をしました。「先生の紙芝居は初めてでした。あの箇所が初めてよくわかりました。」とのこと。この方が、なんと東頭先生の知り合いの知り合いだとのこと。

 そして、今日、何より主に感謝したのは、は数年前から体中が痛む難しい病気で、自宅療養をしyoutube配信で礼拝しておられた、私とおない年のM姉がようやく公同礼拝に出席することができたことです。礼拝堂のうしろの方で妻が、席に着いた彼女を指して私に知らせてくれました。賛美しているお顔を遠くから見て、胸がつまって目から汗が出そうになりました。主よ、感謝します。次は夫君もご一緒に、と信じて祈ります。 

 

励ましの子

 先に出版した『私は山に向かって目を上げる―信州南佐久における宣教と教会形成―』を読んでくださった神学校の同僚が、「水草さんは、人生の要所要所で出会った先生や友人から課題を与えられ、その課題に応えるように歩んで来られたのですね」と感想を語ってくださいました。

 そうした友人の一人に山口陽一君がいます。彼はともに農村伝道を志した日本福音土着化祈祷会「葦原」の同志であることはすでに、あちこちに書きましたが、また、彼は私にチャンスを与えて、神学の研鑽を励ましてくれた人でもあります。1989年春、都立大学大学院でアウグスティヌスに関する修士論文を書いて修了したとき、当時、板橋区徳丸の教会に仕えていた彼は、隣の練馬の大泉学園の教会に仕えていた私に、「自分は連続講解説教をしているけれども、教理的な教育は得意でないので」と言って、月に一度、夕礼拝で教理説教をするようにと求めてくれました。私は、それが大学院で学んだことを教会に生かす機会を与えようという、彼の配慮なのだと受け取りました。私は月に一度、環状8号を自転車で走って徳丸町まで出かけて、教理説教をしました。その1年分を綴じたのが『神を愛するための神学講座』初版でした。徳丸町キリスト教会にあったリソグラフで印刷し、水色の表紙を付けたB6のものです。
 もう一つは、母校の東京基督神学校で、ある事情で教会史担当の教師に突然欠員が出た時に、その多分3年ほど前から校長をしていた山口先生が電話をかけてきて、私にその欠員を補うように求められたことでした。私は歴史の専門家ではありませんから、当然躊躇しました。しかし私には、その依頼を簡単には断れない理由がありました。
 実は、その4年ほど前、学園理事長と教団理事長を兼任しておられたA先生から私に神学校校長職のオファーがありました。しかし、「開拓7年目ようやく小海キリスト教会の会堂が建ったばかりで、これからという状況であり、自分よりもふさわしいのは宮村武夫先生か山口陽一先生だと思う」と申し上げてお断りしたのです。それでA先生は当時日本基督教団吾妻教会の牧師をしていた山口陽一先生に校長職のオファーをしたのでした。
 それで、山口君は私に「ぼくは校長は水草君が適任であると思う。話がしたい。」と言って電話をかけて来たのです。そのあと軽井沢で二人で食事をして、私は「小海の教会が会堂が建ったばかりのところで、会堂返済の責任もあるし、宣教はこれからなので現場を離れるわけには行かない。」と話しました。彼の方は故郷の日本基督教団吾妻教会の立て直しは一区切りがついたところでした。また私には、「聖書は神のことばである」という信仰に立つ山口先生が同盟基督教団、また福音派に戻って来るならば、もっと神様のために貢献できるに違いないという思いがありました。結果、彼は神学校の校長職を引き受けてくれたのでした。ところが、校長職というのは、彼の予想に反して教務だけでなく運営の負担が重い激務で、頑健な山口君が体調を崩したという報せを受けました。そんな中、キリスト教会史の担当教師が突然学校を去らざるをえなくなって、困り果てて、私に電話をかけてきたのです。
 私は歴史に素人ですから躊躇したのですが、彼に重荷を背負わせてしまったという負い目もあって、思い切って引き受けることにしたのです。引き受けた以上は、自分の限界をわきまえつつも、良いクラスをしたいと思いました。「キリスト教会史概論」講義ノートの序に「わたしは学者ではなく牧師であるが、学問的にも極力正確でありたく願っている。しかし、本講義においてそれ以上に願っていることは、宣教の最前線に立つ者として必要な歴史神学的洞察力と伝道者精神を養うことである。」と書いてあります。
 後から振り返れば、キリスト教会二千年の歴史を4年間講じたことは、私の神学の学びに厚みを与えてくれました。神学・教理というものは、単に学者が机の上で聖書を文法的に釈義してできたものではなく、具体的な教会の異端・異教との闘いと牧会のなかで生まれてきたものです。もしこの経験がなかったなら、恐らく2022年に『新・神を愛するための神学講座』という組織神学書を書くことはできなかったでしょう。そういう意味でも、山口君は私の神学の研鑽を励ましてくれた人なのです。私にとって山口陽一君は、サウロを教会に受け入れ、一度失敗した青年マルコを励まして主のお役に立つ者とした人物バルナバ(励ましの子)のような存在です。山口先生は『新・神を愛するための神学講座』の出版をわがことのように喜んでくれました。

 その後、東京基督教学園は大きな変化を迎えます。TCC,共立女子聖書学院、東京基督神学校の三校が合同したときからの課題であった、一体化へと向かったのです。東京基督神学校を廃校とし、その教育内容は東京基督教大学大学院へと移行することになります。このきわめて困難な改革を実現できたのは、事柄の歴史的経緯を深く理解し、その歴史を踏まえて粘り強く人々を説得することのできた歴史家・山口陽一先生であったからこそでした。

☆東京基督神学校における「キリスト教会史概論」講義ノート

歴史・思想・倫理 | tolovegod


☆『新・神を愛するための神学講座』

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ゴスペル・ライブIN 苫小牧

 今日は「ゴスペル・ライブin 苫小牧」を、苫小牧福音教会会堂で開催しました。青年会のメンバーが、アドマイアという名前のグループ(ギター2本、ベース1本、ピアニカ、ドラム、ボーカル3名)をつくって、初めての賛美集会でした。練習中は大丈夫かなと思いましたが、とても良い集会となり、教会員の人だけでなく、外からも十数名集ってくださいました。
 気づいたのですが、ゴスペルというジャンルの場合、会衆そろって歌うことができるので、演奏者はうまいにこしたことはありませんが、「完璧」でなくても大丈夫だということでした。むしろ、心から主を喜ぶ心、感謝する心が大事なんだなあ、と。

皇室典範改正の件

 一夫一婦制を前提とし、かつ、少子化の時代に、男系男子にこだわるならば、皇統は早晩絶える。だから旧宮家を復活させて、そこから養子を取るという。
 悠仁さんが将来結婚をして男児をもうけることができなかった場合、自らの基本的人権を放棄して天皇につこうという奇特な男性を旧宮家からさがすという。そんな人はいるのだろうか?たといいたとしても、「室町時代に皇室から分かれた家系の出身というだけで、それまで見たことも聞いたこともない男性」は大多数の国民の支持を得られず、その発言・所作が日々チェックされ、批判される針の筵上の生活を強いられ、国民統合の象徴どころか、国民分断の象徴となるでしょう。気の毒すぎます。
 国家体制の安定のためには、国家には、統治機構(司法‣立法・行政機関)と国民から尊敬される権威が必要です。ドイツでは実務者は内閣、尊敬される権威は大統領が担当しています。今回の皇室典範改正によると、国民がまるで知らない人物が天皇となることによって、日本社会の安定性が損なわれることでしょう。

山口夫妻と小樽、函館の旅

 月曜日から金曜日、夏休みをいただいて、友人の山口陽一夫妻を迎えて、千歳ー小樽―洞爺湖ー函館―伊達―白老―苫小牧と回りました。私としては生まれて初めて計画をちゃんと立てた旅でした。
 小樽は、かつて北海道における経済・金融の中心で、北の商都と呼ばれたそうで、日銀・三井・三菱etcといった金融機関や新聞社の石造りのビルがあり、長い長い商店街があります。当時、人口は30万人。その後、金融機関はすべて札幌に移動しました。でもそのおかげで、小樽の美しい街並みが保存されたというわけです。
 函館では、キリスト教関係の史跡をめぐりました。新島襄密出国記念碑、ロシア正教、カトリック教会、聖公会、日本キリスト教団の礼拝堂を回り、海に臨む外人墓地を訪ねました。翌日は五稜郭タワーから眺望を楽しみ、箱館戦争を振り返りました。
 今回、地域のソウルフードを食べようということで、小樽の若鶏半身揚げ、函館のアジサイの塩ラーメン、ラッキーピエロのハンバーガー、豚肉で出来た焼き鳥弁当、焼きそば弁当、苫小牧マルトマ食堂の驚愕の海鮮丼とホッキカレーを食べました。
 天気予報は思わしくなかったのですが、雨からはずっと守られて、帰りに函館から伊達に向かう内浦湾(噴火湾)を走るときは、真っ青な空に美しい海でした。
 山口陽一牧師と私は東京基督神学校の85年卒の同期で、地方・農村伝道を志して日本福音土着化祈祷会「葦原」をいっしょにやっていました。卒業後、山口先生夫婦は板橋区に、私は練馬区に赴任して隣だったので、行ったり来たりして若い夫婦同士、カルヴァン『綱要』の読書会をしたものです。その後、山口先生夫妻は群馬県吾妻の無牧になろうとしていた教会に転じ、その翌年、私たちは長野県南佐久郡小海に開拓に立ちました。旅をしながらこの44年間にあった、さまざまなことを思い出していました。

 夢のように楽しい五日間でした。

福音はキリスト

ライフラインの集いで配布。表紙はシンガポールStジョージズ教会のステンドグラス

 「福音」と書いて、「ふくいん」と読みます。その意味は「良い知らせ」です。二千年前、イエス様がイスラエルで宣教を始めたとき、「時が満ち、神の国は近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」と宣言なさいました。聖書が言う「福音」とはなんでしょう?

 私たち人間は、忙しく立ち働いている時には、「真理とは何か」とか「人生の目的は何か?」などと考えません。でも、悲しみや苦しみに出会うと、「ああ、もう生きる力がない。死にたい。でも死んだら天国に行けるのかわからない。もしかして地獄?・・・」と気弱になってしまうことがあるかもしれません。家事や仕事や勉強や部活やゲームで気を紛らわせているときには、そんなこと考えもしないのですが、仕事を失ったり、愛する人を失ったり、病気で寝込んだりすると、そんなことを考えてしまう。あなたには、そんな経験はないでしょうか。

 高校三年生の秋に、わたしは身近な者のあまりに急な死に衝撃を受け、かつ、身近にいながら止めることができなかった自分の愛のなさに愕然とさせられました。そして、「いったい、何のために生きていくのか?」「自分のような愛の欠けた人間が生きていていいのか?」という問いが頭の中をグルグルとまわるようになってしまいました。でも、どんなに考えても、何の答えも見つかりません。当時、私は受験生で、「あの大学にはいって、あの先生に師事して学者になって・・・」などと考えてはいましたが、「それは何のためだ?」と自分自身に問うてみると、答えがなくて、「ああ、ただの自己満足、欲のためにすぎないのか・・」と、なんだか空しくなってしまいました。

 道とはなにか?真理とはなにか?生きるとはどういうことか?死んだらどうなるのか? このような問いは、昔から宗教家や哲学者と呼ばれる人たちが探求してきました。でも実は、そんな人々だけでなく、こうした問いは心の深いところに誰もが持っていることです。人間は土の器にすぎないのに永遠的なことを、なぜか考えてしまうのです。不思議です。旧約聖書にこうあります。

 

「神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。しかし人は、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見きわめることができない。」(伝道者の書)

 

 聖書の言うとおり、私たち人間は死ねばやがて土に帰っていくものにすぎませんが、その心に永遠への思い、真理への渇望、天国へのあこがれを与えられています。けれども、あこがれはあっても、到達はできません。孔子は「いまだ生がなんだかわからないのに、死がなんであるかなどわかるわけがない。」と言い、釈迦は、自分は道を探す者であるとして、死後のことについては沈黙しました。

 ところが、イエス・キリストは、あと数時間後には逮捕され、私たちの罪を背負うため十字架にかけられようとしている夜、弟子たちと食事をしたあと、不安を感じている弟子たちに対して、おっしゃいました。

 

「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。・・・あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。・・・わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。」(ヨハネ福音書)