「ポリティカルパン」というドラマ
「ポリティカルパン」というドラマがフジテレビで今放映されています。自民党の議員世襲問題、企業団体献金、政党交付金、裏金、議員報酬などをあからさまにしています。それが自民党ヨイショのフジテレビで放映されているのが、少し不思議な感じがします。そのうち、経営陣から圧力がかけられるんじゃないかなあ、と心配になるくらいの内容です。
石原さとみという女優は、何年か前に見たことがありますが、すごく上手になっているのにも、勉強したんだろうなあと感心しました。
AI時代に、人間の固有性は
カルヴァン『綱要』の読書会をしました。特に第二章の16節から18節で、人間固有の自然的賜物は理性であるということが論じられていました。そこで話題になったのは、AIのことです。推論、判断、対話など人間固有の機能と思われて来たものが、AIに可能となり、こういう機能についていえば、すでにAIの方が人間に優った時代となって、人間固有のものとは何なのかが問われる時代になったということでしょう。
理性を人間の固有性であるというならば、いわゆる頭のいい人が素晴らしい人、偏差値の高い人が素晴らしい人と言うことになるでしょうが、そういう基準ならAIの方が何百倍もすぐれているということになる。だとすれば、人間において理性は固有のものではないということになる。
そういう中で、最後に第一コリント13章13節「こういうわけでいつまでも残るものは、信仰と希望と愛です。」ということに思い当たりました。
説教原稿のフォントのこと
半年くらい前から、見えにくくなったので、説教原稿を明朝体から全文ゴシック体に代えました。BIZ UPDゴシックというのです。字の大きさは10.5ポイントのままですが、よく見えるようになりました。
とはいっても、一度書き下ろしてしまえば、本番では、原稿に目を落とすことはそんなにないのですけれども、全文原稿を書いてはいるのです。
「古い進化論」は単線的進化を教えていなかったのか?
koumichristchurch.hatenablog.jp
上の記事の中で、筆者は「古い進化論は単線的進化を教えていた」と書いたが、これに対して、「古い進化論は単線的であった」というのは言いがかりであり、そもそもダーウィンは『種の起源』において、進化は枝分かれによって起こったと言っているのだ、という言い訳を読むことがある。的外れである。
ダーウィンが『種の起源』で枝分かれについて述べていることは当たり前である。それは、彼が生物の「共通祖先」を想定し、そこからさまざまな系統が分岐してきたと考えたからである。したがって、ダーウィンが枝分かれを論じていたという事実は、古い進化論やその教科書的説明に単線的な進化図式が存在しなかったことの証明にはならない。実際、1970年代の高校の生物学教科書には、生物を単純なものから複雑なものへと一列に並べ、進化を単線的に描く図式が見られた。「古い進化論」の問題は、ダーウィンの理論に枝分かれがあったかどうかではなく、進化論が教育の場でどのような図式によって説明されてきたかなのである。
苫小牧福音教会の草創期から
今私が仕えている苫小牧福音教会を開拓したのは、スウェーデン・モンゴルミッションの宣教師たちでした。戦後、モンゴルが共産化されて国外退去を命じられて、また門戸が開かれるまでということで、とりあえず北海道で待機していた宣教師たちでしたが、やがて、北海道を宣教の地と思い定めて、室蘭、伊達、登別、苫小牧、日高、富川、札幌に教会開拓をしたのでした。
今日、お葬式をする85歳の姉妹は、小学生時代に、苫小牧駅のバスターミナルそばにあった日通の建物で宣教師が開いていた日曜学校に通い始めたという草創期からのメンバーです。