苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

伝道の考え方

 今朝は妻と明徳町を福音散歩してきました。福音散歩というのは、苫小牧市の全戸にキリストの十字架の福音について単純に記した『苫小牧通信』特別号を配布することです。教会の中に、ほかに3人ほどこの伝道に加わっている方がいます。なぜ苫小牧福音教会はこういう働きをしているのかについて、背景にある伝道の考え方についてメモしておきます。

 

1.みことばの務めは、宣べ伝えることと、教えることである。

 牧師の務めは主の日に礼拝堂でする説教に尽きるというふうに理解している人がいます。主の日の礼拝説教に、徹底的にエネルギーを注ぐことはもちろん大事なことです。しかし、新約聖書によると、みことばの務めとは、福音を宣べ伝えること、および、教えることの二つです。福音を宣べ伝えることは囲いの外の、まだ福音を聞いたことのない人たちに伝えることであり、教えることというのは福音によって新生した人たちを主の弟子として育てることです。

 イエス様は復活後、天に昇られる前、何度か弟子たちに現れ、そのたびに大宣教命令を発せられました。大宣教命令は、共観福音書の末尾と使徒の働きの1章に記録されています。すると、マルコ、ルカ、使徒における命令は表現に幅はありますが内容的には「すべての人に福音を伝えよ」であり、マタイにおける命令は「弟子とせよ」つまり「教えなさい」ということです。

 「福音」という言葉は、聖書のなかでからだのどの部分と関係づけて語られているか?・・・むかし伝道学を教わった奥山実先生がこう問われました。「良いことの知らせを告げ知らせる人の足は、なんとりっぱでしょう。」(ローマ10:15)、「足には平和の福音の備えをはきなさい。」(エペソ6:15)とあります。福音は足と関係しているのです。福音は囲いの外の羊のもとに届けるものです。

 私は主からみことばの務めを託されたしもべですから、主の命じられたように、「教えること」、「宣べ伝えること」のどちらも実行したいのです。たいていの教会は開拓を始めたときには、「宣べ伝えること」を一生懸命にしますが、30人、50人となって来ると、牧師と奥さんは教会内の諸行事、交わりなどで手一杯になって、外に向かって「宣べ伝えること」は年に一度や二度の特別集会になってしまうのではないでしょうか。組織化もうまくいって100人の群れになったら、日本では「大教会」というのでしょう。けれども、かりに10万人の市で100人なら、囲いの外には9万9千9百人がいて、しかもその大半には福音をまだ伝えていないなら、満足している場合ではありません。

 

2.「費用対効果」でなく

 「そんなに伝道文書を配っても、効果はありますか?」と質問する人が結構います。そこでいう「効果」とは1000枚配ったら、それで何人教会に来たか?、1万枚配ったらそれで何人教会に来たか?ということでしょう。つまり、「費用対効果」という価値観、考え方でしょう。この世でお店の広告などをする場合、そのように考えるのでしょう。もしそのような費用対効果という考え方をしていたら、伝道文書を配るのはすぐにやる気がなくなるでしょう。日本は、世界でもっとも福音に対する反応が鈍いとされる国だからです。

 では、どう考えるかといえば、私の主が私に「福音を宣べ伝えなさい」と命じられたのだから、しもべである私は四の五の言わないで、ご命令に従えば十分だという考え方です。「すべての造られたものに福音を伝えよ」ということに厳密に応えることは、苫小牧では共稼ぎ所帯がほとんどなので、無理なのですが、地域の全戸を訪ねてキリストの福音文書を届けることは、その気になればできることです。日本は識字率がたいへん高いのはありがたいことです。というわけで福音文書を届けることができたら、最低限、主の御命令にお応えすることができます。それで成功なのです。

 そのようにして主の御命令に対して忠実にお答えしていたら、主が苫小牧福音教会を信頼してくださって、直接配った文書を見てでなくても、教会に主を求める人たちを送ってくださいます。

 

3.自分の救いを振り返ると

 日本では多くの人がキリストの話を聞く前から拒否している状況、無関心な状況があります。ひるがえって自分はなぜキリストに関心を持ち、受け入れることができたのかということを考えると、幼児期にまでさかのぼって神様が摂理のうちに準備していてくださったのだと思うのです。私は神戸の須磨で育ったのですが、幼稚園はキリスト教主義の「千鳥幼稚園」に通いました。近くに別の幼稚園もあったのですが、父母が千鳥幼稚園を選んだのです。それは恐らく私の博多生まれの母が幼児期に宣教師が営む幼稚園のお世話になったからではないかと思います。

 私自身は、千鳥幼稚園のとき、十字架の福音を教えられた記憶はありませんが、とにもかくにも世界の造り主である神が存在するということは教えられました。家には仏壇があり、私は仏壇にご飯をあげる係でしたが、小中高と進むうちに無神論的になって行きました。でも聖書にはなんとなく関心がありました。父の仕事上の知人に無教会主義の集会の指導者中田実という人がいて、父にたぶん季刊だったと思いますが白表紙の『聖書の講解』誌を送ってくださっていました。私は高校生になると、暇なときには畳にごろりと寝転んで読んだものでした。ルカ伝15章の放蕩息子の譬えを初めて知ったのは、その冊子によります。

 こうした背景がありましたから、私は人生の中で挫折を味わったとき、お寺に行って坊さんに聞いてみようとは思わずに、キリスト教の牧師に聞いてみようというふうに思ったのだと思います。中田実さんにはお目にかかったこともありませんが、その働きが後に実を結んだわけです。また、千鳥幼稚園のクリスチャンの下村知子先生は私が牧師になったということを風の便りに聞きつけて、十年ほど前から交流が始まり、昨夏には60年ぶりにお会いしにうかがいました。

 神様の選びと召しは、こうした摂理の中で実現されて行くことを思うと、今、自分がまいている福音の種はいつかどこかで芽を出すこと、花を咲かせることもあるのだと信じて、うまずたゆまず、福音の種を蒔き続けたいと思います。今『苫小牧通信』を全戸配布している地域は車で30分くらい行ったところなので、苫小牧福音教会に集うことがかなり難しい地域です。ですから、紙面には許可を得てその近隣の二つの福音的な教会の連絡先と住所も紹介してあります。私たちは苫小牧福音教会という一地域教会に仕えているだけでなく、同時に主の聖なる公同の教会に仕える伝道者です。