苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

教会史ノート

中世教会史30 中世神学 スコラ哲学(5)ロンバルドゥス、トマス

5.ペトルス・ロンバルドゥス(Petrus Lombardus,1100-1160or1169)命題集の父*ペトルス・ロンバルドゥス『命題集』はラテン・英語対訳がネットに公開されている。 http://www.franciscan-archive.org/lombardus/index.html ロンバルドゥスはアベラールのよう…

中世教会史29 中世神学 スコラ哲学(4)サンヴィクトール修道院

4.サン・ヴィクトルのフーゴ(Hugo de Saint-Victor,Hughとも1096‐1141)と リチャード(Richard de Saint-Victor,スコットランドまたはイングランド生まれ-1173) フーゴはフランドルあるいは ザクセンの貴族の出。幼時、ザクセンのハーメルスレーベン修道院…

宗教改革記念日

1521年4月18日、ヴォルムスの帝国議会にマルチン・ルターは召喚された。尋問されたのは、彼の教皇庁を批判する諸文書に関することである。ルターは『95か条の提題』で贖宥状を批判し、『ドイツ貴族に与える書』では教会の聖職位階制度を否定し、『教会のバビ…

中世教会史28 スコラ哲学(3)アベラール「中世最初の近代人」

3.アベラール(Pierre Abélard 、Petrus Abelardus1079年 - 1142年4月21日) 「中世最初の近代人」と呼ばれるように、その哲学における思惟の自由さ、神学における三段論法の徹底、その奔放な生き方においても近代的自我の強烈な印象の強い人物である。 フ…

中世教会史27 中世の神学―スコラ哲学(2)カンタベリーのアンセルムス

2.カンタベリーのアンセルムス(Anselmus Cantuariensis, 1033年 -1109年4月21日) ――修道院神学・スコラ哲学の父 ベッテンソンpp207-211 神の存在・キリストの受肉と贖罪 (1)年譜 1033年.アンセルムスはブルグンド王国の町アオスタで誕生。 1059年 ル・…

中世教会史26 中世の神学―スコラ哲学(1)

序 啓蒙主義的な歴史観においては、中世は暗黒時代だとされてきたが、近年は「十二世紀ルネサンス」という言い方がされ、再評価されている。ホイジンガは「十二世紀は他に例を見ないほど、創造的で造形的な時代であった」といい、歴史家バラクローも「十二世…

中世教会史25 教皇庁のバビロン捕囚と大分裂―――政争の道具と堕した教皇庁

1 アナーニ事件 ベッテンソンp178 十字軍遠征の失敗で、十字軍を提唱し推進したローマ教皇の権威は大きく揺らぎ始めていた。最後の十字軍の撤退から四半世紀後に即位した教皇ボニファティウス8世は、教皇至上主義者だった。 他方、フランス王フィリップ…

中世教会史25 中世の崩壊

中世の崩壊を言おうとすれば、そもそも中世というものがどういうものであり、その成立条件を述べなければならない。その条件が壊れたことによって、中世封建制社会が崩壊した。1.経済的側面 ローマ帝国において都ローマは後背地に、その人口を養うに十分な…

中世教会史24 二つのキリスト像:映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」

中世ヨーロッパのキリスト教社会を映像で学ぶために、筆者が神学校の教会史のクラスでいつも鑑賞を薦めたのは、映画Brother Sun, Sister Moon(1973年)だった。アッシジのフランチェスコの青年時代を描いたこの映画は、彼の回心と修道会設立にいたるまでを…

中世教会史23  托鉢修道会

1.インノケンティウス3世とフランチェスコ ベッテンソンp195− ベネディクト会、シトー会といった従来の修道会は、農村を基盤とし俗世を離れて「祈りかつ働け」をモットーとするものだったが、これでは急増した都市には向いていなかった。聖職者たちは…

中世教会史22 異端運動

参照ベッテンソンpp195−199 堀米『中世の光と影』下p60−1.背景 ローマ教会の発展過程では、常に異端は出現するが、格別、司教叙任権闘争がヴォルムス協約(1122年)で終わってから教皇庁の最盛期には特に異端の運動が盛んだった。なぜか?堀米氏によれば、…

中世教会史21 十字軍(その5) その後の十字軍と後代への影響

5.その後の十字軍 第2回十字軍(1147-1148)「空虚な理想」。イスラム教徒が盛り返し、エデッサ伯国を占領したことで危機感が募り、教皇エウゲニウス3世の呼びかけで十字軍が結成された。当時の名説教家クレルヴォーのベルナルドゥスが教皇の依頼を受けて…

中世教会史20 十字軍(その4) 

4.諸侯による第一回十字軍1096年(1)コンスタンティノープルで冷遇される 十字軍運動の盛り上がりの中で、民衆十字軍が壊滅し、ユダヤ人への迫害が行われたが、あとに続いたのは1096年に出発した貴族や諸侯たちによる十字軍の本隊である。西欧各地の諸侯…

中世教会史19 十字軍(その3)

3 民衆の十字軍運動 (1)民衆十字軍 ウルバヌス2世の計画では軍隊の出発は1096年8月15日を期していた。しかしそれより数ヶ月前に教皇の計画に入っていなかったグループ、すなわち農民たちや貧しい下級騎士たちが勝手に集まってエルサレム目指して出発して…

中世教会史18 十字軍(その2)

2 十字軍遠征までの経緯(1)東ローマ皇帝からの依頼と教皇ウルバヌス2世のねらい トルコ人のセルジュク朝にアナトリア半島を占領された東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世(在位1081-1118)が、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したのが1095年。このと…

中世教会史17 十字軍(その1)

序 十字軍の問題は高校生で世界史を学んだ頃から気になっていた。初めて増永牧師にお会いしたとき投げかけた質問の一つは、「キリスト教会は十字軍の犯した罪について、いったいどう考えているのか?どう責任を取るのか?」ということだった。クリスチャンに…

中世教会史16 司教叙任権闘争と「ヨーロッパの確立」

「ヨーロッパ」とはどういう歴史現象なのか?そのことが、わかります。ただし、ここでいうヨーロッパとは西ヨーロッパを意味します。 参照>ベッテンソンp162、p174− 751年小ピピンは王の立場を精神的に権威づけることをねらって、教皇ステファヌ…

教会史15 西ローマ帝国の復興――カール大帝の人物と戴冠

768年ピピンが没し、その子カール(シャルル)が後を継いだ。彼は軍事的にもすぐれた人物で、ザクセン族を平定、ランゴバルドを併合、アヴァ−ル族、イスラムを破って辺境守備を行ない、かつての西ローマ帝国の大半を含む大統一を成し遂げた。その領土面積は…

中世教会史14  ヨーロッパの成立と叙任権闘争

1. ピピンの寄進 「①フランク部族は、ヨーロッパをイスラムの侵略から救い、②ローマ教会をランゴバルドと東ローマの圧迫から解放し、③さらにシャルルマーニュの西ローマ帝国復興によってヨーロッパの運命を決定したものとして、中世史のなかで特別な位置を…

海はつなぐ

昨日のイスラム進出とヨーロッパ中世の始まりの記事のなかで「一般に、海というものは隔てるのではなくて、つなぐものだという認識は歴史理解の上でとても大切である。トラックや鉄道のない時代、陸路では大量の物資も多くの人をも運ぶことは困難であった。…

中世教会史13  イスラムの進出とヨーロッパ史への影響

もう少し前、10の後半で述べておくべきだったイスラム進出について、ここに記す。(1)イスラムの進出のすさまじさ ローマ帝国にとって、地中海はいわば内海だった。経済的なことを言えば、ローマをはじめとして、地中海に面するそれぞれの都市地域は、背…

修道院的循環と資本主義

先に、ベネディクトゥス修道院のところで、修道院的循環について書いた。修道士たちは無所有で労働をしたので、結果的に修道院という組織には富が蓄積されて、その結果、修道院は堕落した。そこで新しく別の修道院を起こす人が出てくるが百年もたてば同じこ…

中世教会史12 キリスト論論争と西欧の成立・教会の東西分裂(その2)

(1)フィリオクエ論争 (注:小海キリスト教会HP「牧師の書斎」「教会史講義ノート」のこの箇所には東方と西方をとりちがえたまちがいがあるので、ここに訂正しておきたい。) 聖霊の父および子との関係についての東西教会を分けるに至る要因のひとつと…

中世教会史11 キリスト論論争と西欧の成立・東西教会の分裂(その1)

まず、背景と歴史的影響の概観をしておく。聖画像論争とフィリオクエ論争を通して東西教会の分裂が決定的になっていく。初代教会以来、「教会はひとつである」という意識は強かったものの、もともと、東方はギリシャ語圏であり、西方はラテン語文化圏であっ…

中世教会史10 イスラムの侵入と聖像破壊論争 7世紀(その1)

七世紀は、イスラムの台頭によってキリスト教が多くの地を失った時代である。かつて北アフリカは、古代教会におけるキリスト教神学者輩出の地だった。アウグスティヌス、テルトゥリアヌス、オリゲネスたちはみなアフリカから出た人々である。また修道院的霊…

中世教会史9 ベネディクトゥスの修道院の働き

参照:ベッテンソンpp180−194 (1)背景 修道院は、キリスト教信仰がミラノ勅令313年で公認されたとき、信仰の世俗化に危機感を覚えた「殉教志願者」たちが、荒野で禁欲的訓練をはじめた隠修士たちに始まった。エジプトのアントニオスはその一人。パコミウ…

中世教会史8 グレゴリウス大教皇

(1)人物 中世ローマ教会の幕をあけたのは西ローマのグレゴリウス大教皇(一世)(在位590−604)である。彼はローマの由緒ある元老院議員の貴族の出身で、25歳の若さでローマの司政長官に任ぜられた。しかし、数年たつとこの職を辞し、ローマやシシリ…

中世教会史7 ユスティニアヌス大帝と東ローマ帝国の歴史的役割

(1)ユスティニアヌス大帝 ユスティニアヌス1世(483年 - 565年、在位:527年 - 565年)は、貧しい農民の子から皇帝まで登り詰め、西ローマ帝国の故地を再征服して一時的にローマ帝国を復興させた。『ローマ法大全』の編纂や、ハギア・ソフィア大聖堂の再…

中世教会史6  ユスティニアヌス大帝と西方教会

1.帝国の弱体化とローマ総主教(教皇)の活躍―――レオ1世 かつて帝国の厳しい迫害下にあった時代、教会は自らをこの世から聖く保つことについては比較的たやすかった。キリスト者となることが権力や富を得ることと直接関係なく、むしろ権力や富を放棄するこ…

中世教会史5 ゲルマン民族の姿

(4)ゲルマン民族の姿 ヘレニズムとヘブライズムの融合としてヨーロッパ文明は説明されることが多いが、もう一つの要素ゲルマニズムがある。 さて古代ローマ時代、現在のドイツ地域に進出した民族がゲルマン民族。彼らについては、カエサルの「ガリア戦記…