苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史5 ゲルマン民族の姿

(4)ゲルマン民族の姿
 ヘレニズムとヘブライズムの融合としてヨーロッパ文明は説明されることが多いが、もう一つの要素ゲルマニズムがある。
 さて古代ローマ時代、現在のドイツ地域に進出した民族がゲルマン民族。彼らについては、カエサルの「ガリア戦記」、タキトゥスの「ゲルマニア」という著作が様子を伝えてくれる。ゲルマン人はもともとバルト海周辺に、牧畜・農業を生活をしていた。牧畜が主で農業は従。そのために、広大な農地を必要とし、地力が衰えると新しい農地を求めて、「多少とも長い定住期をもつ徐々とした移動の生活」を送っていた。
 ゲルマン人の風体は、タキトゥスによると、他の民族との通婚を一切しないことから種族的な純粋さをよく保っており、その「鋭い空色の眼、ブロンドの頭髪、長大かつ強靱な体躯」を種族全員の特徴として誇っていた。ちなみに現在あちこちで発掘される古代ゲルマン人の遺骨の身長は平均1.72メートルであるといい、同時期のローマ人の平均身長より約20センチも高い。またゲルマン人の金髪がローマ人の讃嘆の的であった。ローマ人はゲルマン人の頭髪でカツラを作ったほどだった。(でも、ラテン人の小麦色の皮膚や黒い眉と目に金髪はあまり似合わない。黄色い日本人の皮膚と黒い眉と目に金髪がぜんぜん似合わないように。)

①ゲルマン的自由人社会
 当時のゲルマン人は、約50の小国家にわかれて暮らしていた。こういう形態は、ドイツでは長くつづき、現在に至るまで領邦国家として存続する。ドイツの現在の正式名称は「Bundesrepublik Deutschlandドイツ連邦共和国」である。
 王または首長のもとに、身分差の希薄な戦士的農民の自由な共同体をいとなんでいた。各領邦の中で最高の権力を持つ者は「国王」もしくは「首長」である。前者は1人、後者は数人が君臨する。国王も首長も絶対的権力をもたず、重大問題は「民会」にかけられる。民会には、武器を持つ自由民は全員出席出来るだが、実際に話し合うのは首長や貴族だけで、他の者はそれに対し承認・否認の意志を示す。反対の場合はざわめき、賛成の場合は武器を打ち鳴らす。「最も名誉ある賛成の仕方は、武器をもって称讃することである(タキトゥス)」。武器を持つことはすなわち一人前の男たる証なのである。(武器をもって人殺しができてこそ一人前の男という気風は今日の米国社会にもある。アレン・ネルソン『ネルソンさん あなたは人を殺しましたか』)ある一定の年齢に達した男子は、長老・父・近縁の者によって楯と槍を与えられ、これによって自由民たる資格を得る。
 貴族には「従士」が付き従う。従士は貴族の子弟および自由民である。貴族の地位は高く、中世の「騎士」に近い。従士は主君の家で養われる。従士は主君を選ぶことが出来、主君は戦場において従士に遅れをとることを恥とする。ここにもゲルマン社会の自由人社会としての特色がうかがえる。
 奴隷は主人に対し一定量穀物・家畜・織物を納めるが、主人の家から独立した世帯と住居を持つ、小作人のような存在である。鎖に繋がれたり鞭で打たれたりすることはあまりないが、ただし簡単に殺される。奴隷にはゲルマン人に征服されたケルト人が多いが、ゲルマン人の中にも、自分自身を賭けた博打に負けて奴隷におちる者もいる。彼等は自己の自由を買い戻して解放奴隷になることが出来るが、どこの「家族」にも属さない以上、一人前の自由民として認められることはない。
 (こうしてみると、彼らを「奴隷」と呼ぶのも用語として不適切な観がある。我々は奴隷といえば、米国の近代黒人奴隷をイメージしがちだが、古代の奴隷の扱いのほうが一般にずっとましである。)
 古くは、ゲルマン社会は土地の所有を知らず、共同の農地を共同で耕す人々と言われていたが、今日では巨大な墓と立派な副葬品も見つかって、それは誤解であったということになった。しかし、貴族制・身分制社会だというのも言い過ぎである。たしかに、首長、貴族、自由人、奴隷という身分はあるにはあるが、それらは緩やかなものであって、絶対的なものではなかった。基本的にゲルマン人は自由人社会をなしていた。
 ドイツ語でアーデルバウアーという不羈独立の自由人を意味することばがある。独立の世襲地所有農民である。彼らは首長や国王をいただくこともあるが、合意なく命令を受けることはない。合意は各個に、あるいは民会の合意による。民会では全員一致で決議されるから、構成員がそれぞれヴェトー(拒否権)を持つ。12,13世紀以後、ようやく多数決制になった。

結び ギリシャ・ローマ古典古代精神(人間中心哲学・西ヨーロッパの一体性)、ヘブライキリスト教精神(罪意識・教会の自律)、ゲルマン精神(自由・独立)という三者の精神の鼎立と融合がヨーロッパ文明をつくっていく。