苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史26 中世の神学―スコラ哲学(1)

 啓蒙主義的な歴史観においては、中世は暗黒時代だとされてきたが、近年は「十二世紀ルネサンス」という言い方がされ、再評価されている。ホイジンガは「十二世紀は他に例を見ないほど、創造的で造形的な時代であった」といい、歴史家バラクローも「十二世紀はヨーロッパ史上、もっとも建設的な時代であった」とまでいう。これらの言葉はひいきの引き倒しという気がするけれども、たしかに中世は、アンセルムス、アベラール、ペトルス・ロンバルドゥスアルベルトゥス・マグヌストマス・アクィナス、ボナヴェントゥーラが輩出された時代である。
 ヨーロッパでは、封建制が確立し、教会と国家の闘争はヴォルムスの和議で一応決着して安定し、9世紀から始まった農業革命によって12世紀までに農業生産性は飛躍的に増大し、生活にある余裕が生まれた。そして、商業・手工業が発展し始め、自己完結型の経済からヨーロッパの他の地域との交流を求めるようになり、富が蓄積して都市が誕生する。都市は権力から自立して市民階層が誕生する。都市の中心は聖堂と市庁舎であり、教会には聖職と官僚養成を目的とする教育機関が発生し、やがて大学となる。大学と都市とはきっても切れない関係にあった。(農業革命→生活に余裕→商業・手工業発展→富の蓄積・都市が誕生→市民階層成立→大学の誕生)
 12世紀、こうした背景のあるところに、一部は十字軍によって、おもにはスペインおよびシチリアイスラム教徒との接触によって ギリシャ哲学とくにアリストテレス哲学が導入される。イスラム哲学の代表者といえばアウェロエス(イブン・ルシュド)とアヴィケンナ(イブン・シーナー)である。当時の世界的観点からいえば、ヨーロッパは文化的経済的後進地域であり、イスラム世界のほうが芸術的にも学問的にも経済的にも高水準にあった。文化は水のように高きから低きに流れる。イスラムから中世ヨーロッパに文化が流れ込んだのは自然なことであった。哲学ではアリストテレスのものが、イスラム圏からヨーロッパに流れ込む。これが「12世紀ルネサンス」の原動力となる。
 古代教会の神学的役割は、なにが信ずべき真理であるかを確立することだった。中世の神学的営みの役割は、その確立された教理を説明し、論証し、体系化することにあった。

1. 普遍論争による概括

 中世を通じて神学上の課題となったのが、普遍と特殊をめぐるいわゆる普遍論争であった。これは古代哲学におけるプラトン学派とアリストテレス学派の再燃である。課題は、「普遍は実在するのか」ということである。たとえば普遍というのは「人間」という類概念である、特殊というのは山口陽一とか水草修治とかいう個々の人間である。なぜ山口陽一と水草修治は「人間」という概念で一括りにできるのか。「人間」という普遍があって、その普遍の地上界におけるさまざま現れとして個々の人がいるのか。それとも実在するのは山口陽一とか水草修治とか個物のみであり、それらを名目上、人間と呼んでいるにすぎないのか。この問いについては、中世を通じて三つの立場があった。
 第一は中世の用語で実在論realism、特に極端な実在論である。内容をいえば「普遍実在論(実念論)」ということ。事物をラテン語でresというが、「普遍は事物に優先するuniversalia ante rem」(ante=before)という主張であり、プラトン哲学のイデア論に依拠している。たとえばイデア界における「人間」という普遍は、この世の水草修治、山口陽一といった特殊な事物に先立ってあり、特殊な事物は普遍の影にすぎないという。これを教会観に当てはめれば「教会」なる普遍が先にあって、個々の地域教会があるということになる。この立場からすれば、公同の教会が重んじられるのでローマ教皇庁が重い立場を持つことになる。アンセルムスがこの立場である。

 第二は、穏健な実在論である。これはアリストテレス哲学がボエティウスを通じて紹介されたことが大きい。ボエティウスプロティノスの弟子ポルフィリオスの『アリストテレス範疇論序説』をラテン訳し、アリストテレス論理学を紹介した。アリストテレスの哲学においては、「普遍は事物のうちにあるuniversalia in rem」。普遍はたしかに実在するのであるが、そうは言うものの極端な実在論のように地上的なものをすべて普遍の影とみなすのではなく、その実体性を認めながらそれら個物(特殊)に通じている普遍的なものが実在すると考える。地上的な具体的なものから、それらに共通する超越的な普遍の実在を考えるわけである。
中世の神学者としてはピエール・アベラールトマス・アクィナスがその代表で、トマスは穏健な実在論にたって壮大な体系を作り上げた。これを教会観にあてはめれば、各地域教会という個物が実在すると同時に、それらを超えて公同の教会が実在するというわけである。各地域教会において説教と礼典にあずかっているという経験が実在であり、かつ、諸地域教会を超えて教皇の権威・権能も実在であるとするわけ。

 第三の立場は唯名論nominalismである。普遍(類概念)というものは、単なる名称にすぎず、現にあるのは特殊(個物)だけであるという立場universalia post rem。山口陽一、水草修治など個物があるのみで、一応それらをひとくくりにするために便宜上「人間」と読んでいるだけのことであるというわけである。中世の崩壊の気配が見えてくる時代のオッカムらの立場である。これを教会にあてはめると、個々の地域教会のみが実在であり、普遍の「教会」なるものは実在せず、名目上あることになっているだけのことだということである。したがって地域教会の集合である教会会議の権威を重んじ、教皇権を軽んじる論拠とになる。
 こういうわけで、中世の神学思想の流れは、極端な普遍実在論のアンセルムスに始まり、アリストテレス哲学導入によってトマス・アクィナスの穏健な普遍実在論で最盛期に達するが、やがて教権が衰え中世が終わろうとする時代に唯名論が現れるというのが大きな流れである。神学思想の展開と、教皇権の盛衰の姿が重なり合っていることに注目。