苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

教会史ノート

中世教会史4 アンブロシウス―西方型「教会と国家」の原型

アンブロシウスAmbrosius (340年?-397年4月4日)は4世紀のミラノの司教(主教)。アウグスティヌスに影響を与えたことで有名。ローマ帝国の高級官僚の息子として、父の任地ガリアのアウグスタ・トリヴィノールムで生まれた。長じると彼は法学を学んで、官僚…

中世教会史3  中世とはヨーロッパの形成期である

(1) 中世の見直しとプロテスタント的歴史観 ルネサンス〜啓蒙主義的歴史観においては、中世middle ageとは栄光の古典古代と、その栄光の復興たる近代との間にはさまれた時代であると言われてきた。たしかに西ヨーロッパの中世は ペストの流行・異端審問な…

中世教会史2 古代の終焉・中世の始まり(その2)

(3)西ローマ帝国衰退と気候の寒冷化 ローマ帝国の滅亡の原因については、五賢帝時代の後、文化の爛熟とともにローマ人の士気が低下したとかいろいろなたことが指摘される。版図拡大とともに軍隊の主力はゲルマン人の傭兵になり、最後は傭兵によって帝国は…

中世教会史1 古代の終焉・中世の始まり

「大バビロンは倒れた。倒れた。激しい御怒りを引き起こすその不品行のぶどう酒を、すべての国々の民に飲ませた者。」黙示録14:8b1.西ローマ帝国の滅亡 <主要事件年表> 395年 ローマ東西に分割 410年 西ゴート王アラリック、ローマに侵入。 449年…

古代教会史ノート19 アウグスティヌス(その3)「神の国」 ・・・古代教会史最終回

4.歴史哲学・歴史神学:ローマ略奪と『神の国De civitate dei』(1) 執筆の背景 408年、ローマはゴート人に包囲された。アウグスティヌスはその報告を受けて、飢餓と疫病のために、ローマでは埋葬されない死体がごろごろし、人肉を食べるほどに窮している…

古代教会史ノート18 アウグスティヌス(その2)『ペラギウス論争」

ベッテンソンpp92-102 1.ペラギウス (1)経歴 ペラギウス(360頃-420頃)ブリトン人 (古代イギリス人)の修道士、平信徒。キリスト教徒の家庭に生まれる。前半生は不明。380年頃ローマに法律を学び、成人してから洗礼を受け、聖書研究に励み、その徳を修めた…

古代教会史ノート17 ヒッポのアウグスティヌス(その1)「ドナティスト論争」

ヒッポの司教。西方教会最大の教父。恩寵の博士。アフリカ人にして西洋の教師。そして、牧会者。伝記としては、P.ブラウン『アウグスティヌス伝』(出村和彦訳、教文館)が白眉。 1.生涯の概略 アウグスティヌス(Aurelius Augustinus, 354-430)は、ヘレニ…

古代教会史ノート16 東方の教会−−カルケドン派、非カルケドン派、アッシリヤ東方教会、景教

1.流れの整理 東方教会は、カルケドン派と東方アッシリヤ教会と非カルケドン派に分けられる。 カルケドン派とは正教(オーソドックス)のことである。コンスタンティノープル総主教庁とする。ギリシャ正教、ロシア正教、グルジア正教、ルーマニア正教、ブ…

古代教会史ノート15 キリスト論論争と東西の教会

1. 東西の教会 東西の教会は中世初期までの長い時間をかけて分かれていき、1054年に分裂する。文化的な違いがもともとあった。言語についていえば、西方はラテン語を、東方はギリシャ語を話していた。思想的には東方は哲学的で、西方は法的である。 東西で…

古代教会史14 アレイオス論争とニカイア公会議

ユダヤ教会から出てきた初代教会が直面した最初の神学論争は、ユダヤ主義にかんする神学論争だった。つぎに、ヘレニズム世界の宣教がひろがっていったときグノーシス主義論争が起こる。そして、ローマ帝国の大迫害の中で生じてきたのは、棄教者がどのように…

古代教会史ノート13 コンスタンティヌス帝回心の教会への影響(2)

6.非戦論から義戦論へ<参照>木寺廉太『古代キリスト教と平和主義』立教大学出版2004年 キリスト教が「体制内の宗教」と化するまでは、キリスト教はローマ帝国の迫害の対象であった。体制内の宗教とされるまでは兵役拒否、平和主義を唱えることができた。だ…

古代教会史ノート12 コンスタンティヌス帝回心の教会への影響

3. 礼拝形式への影響 迫害が終わった。教会は国家の手厚い保護の下に置かれることになる。これはさまざまな影響をもたらすが、その一つは礼拝の姿への影響である。たとえば、祭壇もいけにえも存在しない簡素なキリスト教の礼拝に、異教的な影響が生じてく…

古代教会史ノート11 コンスタンティヌス大帝の回心

1. ディオクレティアヌス帝による最後の大迫害とコンスタンティヌス帝 まず、めまぐるしく東西の正帝と副帝が交代する3世紀末から4世紀前半の政治的動向を説明する。皇帝デキウス帝とウァレリアヌス帝の迫害の後、教会は比較的平穏な時代を長く過ごす。し…

古代教会史ノート10 正典・信条の確立

ヘレニズム世界への宣教の進展にともなう異端の出現に対して、教会は信仰の客観的根拠としての正典の確立と、その解釈としての信条作成をもって対処した。4.正典の確立 異端のマルキオンが140年頃、彼の正典を作った。正統な教会としては真の正典がなんで…

古代教会史ノート9 異端の出現

「 愛する者たち。霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。なぜなら、にせ預言者がたくさん世に出て来たからです。人となって来たイエス・キリストを告白する霊はみな、神からのものです。それによっ…

古代教会史ノート8  アテネとエルサレム

エルサレムは啓示の立場を象徴し、アテネは理性の立場を象徴する。中世には「自然naturaと恩寵gratia」と表現され、近代には「理性と啓示」「理性と信仰」と表現されてきた課題がある。自然(理性)と恩寵(啓示・信仰)とはどのような関係にあるのだろうか…

古代教会史ノート7 反グノーシス教師たち

(ヒマラヤ杉の実、yutorieさんからいただきました。) 使徒教父文書(イグナティオス、ディダケー、ヘルマスの牧者など)や二世紀後半の護教家たちは、ある特定の問題をめぐって書かれており、キリスト教教理全体は語っていない。だが、2世紀末頃からマルキ…

古代教会史ノート6 2世紀の護教家たち

1.教父とは 「古代教会の著者のうち、教会によって使徒的信仰の代弁者として承認されている者の呼称。・・・レランのヴィンケンティウスは、その著434年において<公教会の信仰と交わりのうちに、清らかに、智恵深く、また変わりなく生き、教え、またとどま…

古代教会史ノート5 帝国による組織的迫害ーーー2世紀から3世紀前半

1. 五賢帝の時代・・・組織的迫害 2世紀は「五賢帝時代(96-180 ネルヴァ、トラヤヌス、ハドリアヌス、アントニヌス・ピウス、マルクス・アウレリウス)」と呼ばれ、「人類が経験したもっとも幸せな統治」(E.ギボン)とも言われる。帝国の国力は充実し、政…

古代教会史ノート4 1世紀の迫害(教会と国家)

1. 教会と国家の問題 (1)「教会と国家」4つのタイプ 教会史を学ぶということは、「教会と国家」にかんする歴史を学ぶことであると言われるのを聞いたことがあるが、たしかにそれは過言ではない。教会と国家とが、具体的にどのような関係を持ってきたか…

古代教会史ノート3 エルサレム教会の営みと組織化と衰退

1. エルサレム教会の誕生(1)聖霊によって(使徒1章) 新約の時代の新しさとはなにか?旧約の時代からの一貫性と新しさの両方を把握することが大事である。 旧約からの一貫性・・・①創造主を崇める、②贖罪の信仰(影)、③みことばの重視 新約の新しさ・…

古代教会史ノート2 時満ちて

「しかし、時の満ちるに及んで、神は御子を女から生まれさせ、律法の下に生まれさせて、お遣わしになった。」ガラテヤ4:4(口語訳)1.ローマ帝国による政治的統一 a.初代皇帝アウグストゥスAugustus イタリア半島チベル河畔のパラチヌスの丘に始まったロ…

古代教会史ノート1 序論

(また家庭菜園で収穫できました。ただし立派なナスは隣のおじいちゃんにいただきました。心配したトマトもちゃんと赤くなりました。感謝) ひょんなことから、2006年度から4年間、母校である東京基督神学校で教会史の講義を担当した。筆者は一応思想関係を…