大谷君に関する疑惑が晴れたようです。
この種の「疑惑」とそれに対するマスメディアやユーチューバーなどの対応を見て思い出すのは、会田雄二が小野田寛郎少尉について書いた文章のことです。
小野田少尉が戦後ずっとルバング島に潜伏していることがわかったけれども、まだ真相が謎に包まれていたとき、いろんな立場・職業の人が好き勝手な推測をして、雑誌にその意見が出されていました。会田さんは、それらはすべて的外れだ。陸軍中野学校で訓練された小野田さんは、戦後も諜報員としての任務をジャングルの中で果たし続けていたのだと断じました。果たして、事実は会田さんの言った通りでした。
会田さんは、他の人々の推測は「下種の勘繰り」なのだと厳しく指摘しました。戦後民主主義社会の中で育って来た人々が、それぞれに「私だったらどうだろう」と推測しても、戦前、天皇制下に中野学校で諜報員としての訓練を受けた軍人小野田さんを正しく理解できるわけがない。他者を理解しようとすれば、自分のかけている色眼鏡を外して、相手の状況をよくよくわきまえて判断しなければならない、と。
イエス様は「あなたがたは人を量るように、自分も量られるのです」とおっしゃいました。他者の行動とその真意について、なんらかの推測をして解釈するとき、私たちは図らずも自分がどの程度の人間であるかを暴露してしまうのです。「下種の勘繰り」をせぬように注意したいものです。