苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史28 スコラ哲学(3)アベラール「中世最初の近代人」

3.アベラール(Pierre Abélard 、Petrus Abelardus1079年 - 1142年4月21日)

 「中世最初の近代人」と呼ばれるように、その哲学における思惟の自由さ、神学における三段論法の徹底、その奔放な生き方においても近代的自我の強烈な印象の強い人物である。
<普遍は事物の中にuniversalia in rem>
 フランス、ナント市の南パレーに生まれ、やがてパリに出て弁証法にかけて「名実ともに第一人者であったシャンポーのギョームに弟子入りした。」(『アベラールとエロイーズ』畠山訳)しかし、アベラールは普遍論争におけるギョームの極端な実在論を論破してしまう。ギョームの説では、<普遍的なもの=実体的なもの/個別的なもの=付帯的なもの(おまけ)>となる。例えば、この椅子とあの椅子が違うの は、単にたまたまのことであって、両者は「いす」という普遍性の観点からは別に違ったものではなくなる。これを拡張すれば、神であれ個々の人間であれ、みな同じであることになってしまう。だとすればこれは汎神論であり、行き着くところは無神論である。このようにアベラールは師の立場を批判した。アベラールは先に見たようにuniversalia in remつまり普遍は個物のうちに内在するという立場である。アベラールの主張はもっともで、ギョームも自説を訂正せざるをえなくなるが、アベラールの罵倒癖は激しい反発を買い、パリを去らざるをえなくなる。
 だが、数年後パリにもどると、彼はその鋭い論理をかかげて多くの弟子を集め、「われらがアリストテレス」とまで持ち上げられる。彼はその関心を哲学から神学に転じ、彼自らいうところでは「かつて哲学の教授において得たに劣らない神の恩寵を神学の教授においても得たものと人々から思われるに至った。」

 「しかし、順境は愚者を常に増長させる。浮世の安寧は精神の力を弱め、その上肉の誘惑によって容易にそれを台無しにする。私はすでに自分をこの世における唯一の哲学者のように思い、もはやいかなる攻撃も恐れる必要が無いと考えた。そしてこれまでは最も節制的に生活してきた私が、欲情の手綱を緩め始めた。」当時アベラールはこうして姪であり才媛である22歳も年下のエロイーズとの激しい肉欲的な恋に陥る。やがて子ができ、おじが激怒するが、二人は秘密の結婚をする。聖職が結婚することはカトリックでは当然法度であったから秘密にしたのだが、おじはこれを言いふらす。また、アベラールがエローズをおじの暴力から救うために知り合いの修道院に保護すると、おじはアベラールがエロイーズを捨てたと誤解して激怒し、人を送ってアベラールを襲わせて性器を切除するという事件が起こった。後年彼は次のように書く。「自分が罪を犯した身体のその部分において償いをせねばならぬとはなんと正しい神のお審きであろう。自分が先に裏切った人間から逆に裏切り返されるとはなんと正当な応報であろう。」
その後、二人はそれぞれに別の修道院で余生を送ることになる。アベラールはその後、クリューニ修道院で死に至るまできわめて謙虚にすごしたという。修道院長ピエールは証言する。「私の記憶する限り、その態度や身振りにおいて彼を謙譲な人を私は見たことが無い。・・・彼はただ過剰なものばかりでなく、絶対に不可避的とはいえないもの一切、自らのためまた他の人々のために排斥しました。言葉によってあるいは実行によって。彼は絶えず読み、常に祈り、兄弟たちに親しく教えたり・・・集会の席上で神に関すること一般は説教したりすることに迫られて以外は決して口を開きませんでした。」(畠山訳『アベラールとエロイーズ』)

<intelligo ut credam>I understand so that I may believe.
 アベラールの強烈な近代的自我意識は、恋愛においてそうであったように、知的営みにおいては、「すべての神秘を理性によって知的に理解しようとする情熱にとりつかれた一生であった」(O.テイラー)と評されもする。アンセルムスのcredo ut intelligamに対して、アベラールはintelligo ut credamといわれる。すなわち、「理解する、そうして信じる」ということ。「理解によって裏付けられえない立言は空虚なことばにすぎない。・・・ものはまず理解されなくては信じることができないというのである。」(三位一体論について)
 アベラールはアリストテレスの論理学(三段論法)を教会の教義や教理に適用していった。彼のアリストテレスの大胆な神学への適用は、後のトマスの基礎となる。
 『然りと否』Sic et Non には、方法論的批判主義が明瞭である。本書は聖書や教父からの著作からの抜粋集。聖書や教父文献の中に、一見、相互に矛盾・対立する文章があることを指摘し、そのくいちがいの理由を学徒が考察することによって、より高度の真実に到達することを意図している。158の提題についてそれぞれについて肯定的な文章と否定的な文章を羅列し、学徒が解決をもとめて考察するようにと編まれている。彼は、聖書や教父の権威を貶めることを意図したのではなく、より深い学識に至らせること意図しているところは近代主義とは異なる。また、矛盾や誤謬は翻訳を通じて生じている可能性もあるので、彼は聖書のヘブル、ギリシャ語原典を使用することの重要性を説いた点、当時としては特異であった。
 「この種の文字は信ずべき必然性をもってではなくcum credendi necessitate、判断する自由をもってcum judicandi libertate・・・ただ裸で純粋な知性によって読むべきである。」
アベラールが「然りと否」の序文で権威とするのは「すべての哲学者のなかで最も洞察力に富んだかの哲学者アリストテレス」である。「われわれは疑うことによって探究するようになり、探究することによって真理を把握するのである。」「いかなる教義も、それが神によって語られたからというのではなく、我々が理性によって『然り』と確信するが故にこそ信ぜられるべきである。」・・・このままのことばをアベラールが言ったかどうかは定かでないが、彼の批判精神を要約している。

<道徳感化説――贖罪論>
 アベラールの贖罪論は、アウグスティヌス〜アンセルムスの客観主義に対して主観主義的なものである。キリストを悪魔への賠償とする賠償説に対しては、アンセルムスと同様否定的であるが、アンセルムスと異なりキリストの死による贖罪が絶対不可欠だったということを否定する。神が人間性を取られたと言う意味での受肉は、神の愛の顕われだった。キリストは神の意志に従順であったという意味で、我々人類の模範である。人間は、このキリストにおける神の愛に触れるとき、その魂の中に神への愛が応答として湧き出して、キリストと信仰において結ばれる。キリストの十字架に示された神の愛に目覚めさせられた人間は、キリストとおなじ愛の道を歩むようにと励まされ、古い自己から救われ新しい人となる。アベラールのことばを引こう。「われわれの欲情に対する戦いの中で勇敢に耐え忍ぶために、われわれは常にわれわれの目の前に彼を捉えねばならない。また、われわれが倒れることのないために、彼の受難が常に我々の模範として役立たねばならない。」(棕櫚の日の説教 J.ペリカンキリスト教の伝統』第三巻p205)
 またアベラールは主イエスのことば「友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない」(ヨハネ15:13)について、「われわれがキリストについて持っている信仰によって、神はキリストにおいてわれわれの本性をご自身に結び付けてくださったという確信を通して、また、その本性における苦難によってかれはご自身が語っておられる至高の愛をわれわれに証明して下さったという確信を通して、愛がわれわれのうちに育てられる」という意味であるという。
 また、キリストはその死と復活によって、我々を完全に指導し、教え、その死に方によって模範を差し出し、死者からのよみがえりによって「不死の生を示し」、その昇天によって天国の永遠の命について「われわれに教えられた」という 。神の愛に対して応答する我々の愛が我々の罪の赦しの根拠となる。「われわれが、この義、すなわち愛により罪の赦しを得るためである。」(ローマ書注解3:22以下)もっとも、人間の功績だけでは不十分なので、キリストが父のもとで我々のためにとりなしたまうことによって補われる。アベラールは「ある手紙の中で「キリストはご自身の血によってあなたを買い取り、贖って下さったのである。世界の創造者ご自身があなたの値段になったのである。」とも言っている 。
 細かく見るとたしかにアベラールは贖い主としてのキリストについても教えている。しかし、彼の強調点が人間全体の教師としてのキリストにあることは事実である。信仰とはキリストを模倣することimitatio Christiである。
 アベラールの贖罪論の模範としての側面は近代自由主義神学を開いたシュライエルマッハーに連なっていくものである。部分的真理としては神の愛の強調という点であろうか。中世最初の近代的自我といわれるだけあって、その神学も近代主義的なにおいがすでにする。またアベラールのキリストを模範とする愛の実践についての教えは、彼がエロイーズとの間でなした淫らな行状を思い出すとき、はなじらむ思いがするのであるが、強烈な禁欲主義は、いったん箍が外れるときに正反対の肉欲主義に振れてしまうものなのであろう。

  まんまるの卵をたまご屋の有坂さんが持ってきてくださいました。
  卵型でないたまごは、「たまご」という普遍とどういう関係にあるのでしょう?