苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史18 十字軍(その2)

2 十字軍遠征までの経緯

(1)東ローマ皇帝からの依頼と教皇ウルバヌス2世のねらい
  トルコ人のセルジュク朝にアナトリア半島を占領された東ローマ帝国皇帝アレクシオス1世(在位1081-1118)が、ローマ教皇ウルバヌス2世に救援を依頼したのが1095年。このとき、ウルバヌスは大義名分として異教徒からの聖地エルサレムの奪還を訴えた。しかし、この時皇帝アレクシオスが要請したのは東ローマ帝国への傭兵の提供であり、十字軍のような巡礼者たちを含む軍団ではなかった。
 ウルバヌス2世は、これをチャンスとして、西から巡礼者軍団を送りこみ、イスラムを撃退すると同時に、東方教会をローマの支配下に置こうとした。1095年クレルモン教会会議が開かれる。この会議ではシモニア禁止、聖職独身制奨励など教会改革会議の内容が語られたが、もう一つ注目すべきは、「教会のために異教徒と戦う者が、その行動中にこの世の生命を終えたときは罪のゆるしにあずかることができる」という赦免が確認されていることである。つまり、いわゆる「聖戦」の宣言である。(今日イスラームの国で「ジハード(聖戦)」と宣言された場合と同じである)

(2)ウルバヌス2世のクレルモンでの演説
 会議の終わり1095年11月28日に、広場に集まったフランスの数千人の大聴衆に向かってエルサレム奪回活動に参加するよう呼びかけた。彼はフランス人たちに対して聖地をイスラム教徒の手から奪回しようと呼びかけ、「乳と蜜の流れる土地カナン」という聖書由来の表現をひいて軍隊の派遣を訴えた。彼がフランス人に、神のために武器をとるようにと呼びかけると、人々は"Dieu le veult!"(神それを欲したもう!)と答えた。
 「最愛の同胞諸君。至高者たる法王にして、神に許されて全世界の最高聖職につくわたしウルバヌスは、この地方での神のしもべたちなるあなた方にとって、差し迫った重大な秋に、神のおさとしを伝える死者として、ここにやってきたのである。
おお、神の子らよ。あなた方はすでに同胞間の平和を保つこと、聖なる教会にそなわる諸権利を忠実に擁護することを、これまでにもまして誠実に神に約束したが、その上新たに・・・あなた方が奮起すべき緊急な任務が生じたのである。・・・すなわち、あなた方は東方に住む同胞に至急援軍を送らなければならないということである。かれらはあなた方の援助を必要としており、かつしばしばそれを懇請しているのである。
 その理由はすでにあなた方の多くがご承知のように、ペルシアの住民なるトルコ人が彼らを攻撃し、またローマ領奥深く『聖グレゴリウスの腕』と呼ばれている地中海沿岸部まで進出したからである。キリスト教国をつぎつぎに占領したかれらは、すでに多くの戦闘で七たびもキリスト教徒を破り、多くの住民を殺しあるいは捕らえ、教会堂を破壊しつつ神の王国を荒らしまわっているのである。これ以上かれらの行為を続けさせるなら、かれらはもっと大々的に神の忠実な民を征服するであろう。
 されば・・・神はキリストの旗手なるあなた方に、騎士と歩卒をえらばず貧富を問わず、あらゆる階層の男たちを立ち上がらせるよう、そしてわたしたちの土地からあの忌まわしい民族を根絶やしにするよう・・・繰り返し勧告しておられるのである」(フーシェを橋口p43‐44より孫引き)
 この演説を数千人の人々がクレルモン市外壁の広場で聞いた。ウルバヌスは十字軍への参加をキリスト者の義務だと説いた。「あなた方には異教徒を相手に戦い、キリストの聖墓を汚辱から救い出す義務がある。もし、郷里に残す家族のことが気にかかる者があれば、福音書の『わたしよりも父や母を愛する人は私にふさわしくなく、私よりも息子や娘を愛する人も私にふさわしくない』という一節を思い出すべきである」また、「あなた方がいま住んでいる土地はけっして広くない。十分肥えてもいない。そのため人々は互いに争い、たがいに傷ついているではないか。したがって、あなた方は隣人の中から出かけようとする者をとめてはならない。かれらを聖墓への道行きに旅立たせようではないか。『乳と蜜の流れる国』は、神があなたがたにあたえたもうた土地である。・・・かの地エルサレムこそ世界の中心にして、天の栄光の王国である!」(同上p47)
 このように教皇が吼えたとき、「多数の聴衆が『神の御旨だ』とさけび、教皇はこれをうけてしばし眼を天に向け、神にむかって感謝の祈りをささげながら、手を上げて群衆のざわめきを制し、『私の名によって二人三人が集まるところには、私もまたそこに居る』という主のみことばをとなえ、さて『今こそ、あなた方の間にも主がまします・・・されば、いまあなた方のあげた叫び声は主の与えたもうみことばである。これを遠征の合言葉としよう』とこたえられた。」

 これこそ十字軍の直接的な動因だった。いろいろな社会的背景があったにせよ、野心を法衣の内に秘めたウルバヌス2世の聖書のことばを恣意的に用いたこのアジテーションがなければ十字軍は起こりえなかった。その責任は限りなく重い。ウルバヌス2世はグレゴリウス改革の協力者であり、1088年には彼自身が教皇となった。やがて1095年には対立教皇に打ち勝ってクレルモン会議の行なわれた1095年までには名実ともにローマ教会のかしらとしての権威を確立していた。