苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

中世教会史10 イスラムの侵入と聖像破壊論争 7世紀(その1)

 七世紀は、イスラムの台頭によってキリスト教が多くの地を失った時代である。かつて北アフリカは、古代教会におけるキリスト教神学者輩出の地だった。アウグスティヌス、テルトゥリアヌス、オリゲネスたちはみなアフリカから出た人々である。また修道院霊性の始まりも北アフリカであった。しかし、イスラムの進出によって北アフリカキリスト教世界は失われてしまう。他方、ヨーロッパの奥地、北方の諸民族の改宗が進むのも七世紀。

1. 十字架と三日月
(1)信仰と社会生活の文明体系
 イスラームは、ムハンマドアッラーフの啓示を受けて創始したとされる。ムスリムの信仰及び生活を、聖典クルアーンコーラン)によって規定する体系。「イスラーム」は全知全能の唯一絶対神アラビア語アッラーフ)に絶対的に帰依する事、唯一神に完全・完璧に服従すること、またその状態を意味する。
 イスラームの啓典であるクルアーンコーラン)やムスリムイスラーム教徒)の従うべき規範を定めたシャリーアイスラム法)から理解されるように、イスラームはその定めにのっとって行うべき行為として単に狭義の宗教上の信仰生活のみを要求しているのではなく、イスラーム国家の政治のあり方、ムスリム間やムスリムと異教徒の間の社会関係にわたるすべてを定めている。このことから、イスラームとは、単なる宗教の枠組みに留まらない、ムスリムの信仰と社会生活のすべての側面を規程する文明の体系である、と説明される。イスラームの諸側面すべてをイスラームと呼び、狭義の宗教的側面をイスラム教と区別することも可能か。

(2)成立
 570年頃、ムハンマドアラビア半島南西部ヒジャーズ地方にあるメッカで、クライシュ部族のハーシム家に生まれた。メッカのカアバ神殿には、当時のアラブ遊牧部族に祭られた多くの偶像が安置されていた。(緑豊かな自然環境には多神教が生まれ、苛烈な砂漠のような自然環境には唯一神教が生まれるといった説が語られるが、事実ではない。人が生み出す宗教は苛烈な砂漠であっても多神教である。ただ旧約聖書における啓示のみが、唯一神を教える。)メッカは商業都市で、ムハンマドも商人であったから、クルアーンには商業用語、商業的発想が見られる。ムハンマドは、シリアに隊商を率いて旅したときキリスト教修道士に会ったという。
 610年、ムハンマド40歳のころ突然啓示を受ける(74:2)。神の恩恵に感謝し、あがめ、同胞は助け合えとした。これは富と権力のみを追求し、己主義に走っている商業都市メッカのクライシュ部族に対する非難である。神の裁きがくると警告した。「背信の徒は、神の道を阻むために自分の財産を費やしている。これからも彼らは費やしつづけるであろう。しかし、やがてそれらが彼らの嘆息のもとになるであろう。そして敗北を喫するであろう。不信の徒はやがてゲヘナに召集させるのだ。神は悪を善から区別し、悪の上に悪を置いて積み重ね、全部ゲヘナに入れたもう。これらの者こそ損失者である。」(80:36-37)
 これに対し、富裕層である大商人階級はムハンマドを先祖の神々を否定するやからとして迫害する。迫害はひどくなり、622年ムハンマドメディナに移住し、メディナで教団国家建設を始める。はじめ同じ唯一神をとくユダヤ教キリスト教は自分を預言者と認めてくれるだろうと考えて友好的な態度を示すが、偽預言者と呼ばれて対決的姿勢に転じる。そしてイスラムこそ祖先アブラハム一神教であると主張した。そして、アブラハムとイシュマエルがメッカのカアバ神殿の建設者として、アラブのカアバ崇拝感情をうまくイスラムに取り込んだ。630年1月メッカを無血征服し、偶像をことごとく破壊した。その結果、メッカのクライシュ部族もアラブ遊牧諸部族もイスラムに改宗した。

(3)イスラムの教義の特徴
 クルアーンは、その朗読を聴くことが大事であるとされ、翻訳はクルアーンではないとも言われたりする。しかし、筆者としてはやはり内容理解のために、翻訳でも読むことには意味があると思うので、ここに紹介する。クルアーンコーラン)は岩波文庫にあり、抄訳は中公世界の名著にある。ここでは後者から簡略に概要を記す。
*唯一なる神、創造主、アッラーフアッラー、アラーとも)
「これぞ、神にして唯一者、神にして永遠なる者。産まず、生まれず、ひとりとして並ぶ者はない」(第112章)
 イスラームにおいては万物を創造し、かつ滅ぼすことのできる至高神こそが唯一の神とされ、その超越性・絶対性・全知全能性が強調され、神の内在性は全否定される。アッラーフは、生みも生まれもしない存在とされ、親も子もいない。ゆえに、キリスト教徒の「神の子イエス」を非難する。「彼らは神をさしおいて、・・・マリヤの子キリストを主とみなしている。彼らは、ほかに神なき唯一なる神を拝せよ、と命ぜられているのに。・・・」(クルアーン9:32)。そして、目無くして見、耳無くして聞き、口無くして語るとされ、姿形を持たない、意思のみの存在であるため、絵画や彫像に表せない。偶像崇拝を完全否定。
 アッラーフユダヤ教キリスト教の神(ヤハウェ)と同一である、とされる。したがってアッラーフは世界を六日間で創造した創造神であると同時に、最後の日には全人類を復活させ審判を行う、終末をつかさどる神でもある。ただし、一切を超越した全能の神・アッラーフが休息などするはずが無い、という観点から、創造の六日間の後に神が休息に就いたことを否定する。
 イスラムから見ると、キリスト教の三位一体論は、多神教・偶像礼拝への転落だと批判する。(19世紀末アメリカの新興宗教エホバの証人みたいですね)

預言者
 ムハンマド以前に同じ神から啓示を受けた預言者のリスト。アブラハム、イシュマエル、イサク、ヤコブ、イエス、ヨブ、アロン、ダビデ、ソロモン、モーセ(4:163,164)、ノア、ザカリヤヨハネ、エリヤ、ロト(6:84-86)。そして、ムハンマドこそ最後のそして最大の預言者とされる。ムハンマドは、アッラーフより派遣された使徒、最後の預言者とされる。ただしあくまでもアッラーフから被造物である人類のために人類のなかから選ばれて派遣された存在に過ぎない。

最後の審判
「天が裂けるとき、幾多の星が飛び散るとき、海洋があふれでる時、幾多の墓が掘り返されるとき、魂はすでになしたこと、あとに残したことを知る。おお、人間よ、気高い主のことでおまえたちを欺いたものは、いったい何か。汝を創造し、形を与え、ととのえ、御心のままに汝に姿を与えたもうお方ではないか。いや、まったくのところ、おまえたちは審判を嘘だと言っている。しかし、おまえたちの上には監視役たちがいる。気高い書記がいる。彼らは、おまえたちの所業をよく知っている。敬虔なものは、至福の中に住むが、放蕩者は業火の中に住み、審判の日、そのなかで焼け滅びる。そこから抜け出すこともかなわぬ。云々・・・」(82:1-16)

「右手に自分の帳簿を授けられる者は、たやすい清算を受け、その家人のもとへ喜んで帰るだろう。これにひきかえ、背後に帳簿をさずけられる者は、死なせて欲しいと叫びながら、火炎の中で焼けるだろう。」(84:7,8)
(このあたりの表現を見ると、いかにも商人であったムハンマドが書いたものだなあと、興味深い。)

* 天国と地獄
審判を受けたものは三組に分けられる。(56:7-56)
先頭を進むものは天国でも至福の天国へ。
「率先する者は、先頭を進む。このような者は、近くに召され、至福の楽園に入る。昔の者が多く、のちの世の者は少ない。錦織の寝台の上に、向かい合って寄りかかる。永遠の少年たちが、そのまわりを、杯と水差しと、泉から組んだ満杯の杯などを献上して回る。頭痛を訴えることも、泥酔することもない。彼らは好みどおりの果物を選び、鶏肉も望みどおりのものを得る。眼の大きな色白の乙女も居る。彼女たちは、まるで秘められた真珠のよう。これが、彼らの所業にたいする褒賞というもの。楽園のなかで、彼らは、くだらぬ話や罪なことばを聞くことはなく、ただ平安あれ、平安あれというのを聞くだけ。」

右側の者は天国へ。
「右側の者はだれか、右側の者とは。棘のないシドラと、実が重なり合っているタルフの木と広広とした日陰と、湧き出る泉のそばにあって、果物は多く、絶えることもなく、食べるのを禁じられることもない。高くしつらえた寝台が、彼らのためにある。われらは、この乙女たちを作っておいた。汚れない処女に造りあげておいた。同じ年頃のかわいい乙女にしておいた。これらは、右側の者にあてがうためである。昔の者は多く、後の世のものも多い。」

左側の者は地獄へ。
  「左がわの者はだれか、左側の者とは。業火の炎と、煮えたぎる熱湯と、黒煙の陰のもとにあって、涼しさも楽しさもまったくない。彼らは以前にぜいを尽くし、大罪をおかし・・・云々」

(・・・・というわけで、天国の描写を見ると、1970年代の「酒はうまいしねえちゃんはきれいだ」というフォークと同様、いかにも男が考えた理想世界である。女性の救いはどうなるのか?「目の大きな色白の乙女」「汚れない処女」とはどこからきたのか?
 ちなみに仏教でももともと女は救われないとされていて、大乗仏教では男になってから救われる(変成男子)とされるようになったそうだが、イスラムも女の救いは眼中にないように思われる。詳しい読者がいたら「ちがいますよ」と教えてください。
 また、イスラムではよく知られるように飲酒は処罰されるが、天国には美酒があるというのは意外である。)