苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書翻訳

礼拝は神にふさわしいことが肝心

新改訳2017は全体的にはよく練られた翻訳だと思い、感謝していますが、それでも、残念ながらここはいただけません、というところがあります。 ローマ書12章1節後半を新年度の聖句にしたいと思ったのですが、新改訳2017の「あなたがたのからだを、神に喜ばれ…

馬から落馬

馬から落馬したような、新改訳2017の一節。 詩篇51:19焼き尽くされる全焼のささげ物 オーラーの訳語を「全焼のささげ物」とさだめたので、馬から落馬したような翻訳にせざるをえなかったのであろうが、さすがに変である。「焼き尽くされる」と訳されたのは…

聖書協会共同訳のローマ書は、小見出しによる文脈操作をしている。

聖書本文には本来、章・節・段落はついていなかった。だから、聖書を読むとき、いったんは、章節段落は無いものと意識て読むことが大事だと神学生の時、M先生に教わりました。印象深く残っている例は、マルコ12章41節から13章2節です。レプタ2つのやもめの…

ローマ12章1,2節の翻訳メモ

ローマ書12章1,2節 新共同訳 こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ…

「さいわい」と「しあわせ」

「心の貧しい者は幸いです。」「さいわい」というお題をいただいたら、このみことばを思い起こす。ところで、「さいわい」と「しあわせ」とはどう違うのだろう。「心の貧しい者はしあわせです」と訳したのではいけないのか。あえて「さいわい」という少々古…

「幼稚な教え」か?「もろもろの霊」か?

新改訳2017 ガラテヤ4:1−10 の翻訳についてメモ 「1,つまり、こういうことです。相続人は、全財産の持ち主なのに、子どもであるうちは奴隷と何も変わらず、2父が定めた日までは、後見人や管理人の下にあります。3,同じように私たちも、子どもであったときに…

新改訳2017の地図に注文…シナイ山の位置

Bible Hubの地図にシナイ山(ホレブ山)の位置が2か所チェックされています。私は新改訳2017の地図に、アカバ湾の東側に昔からあるシナイ山の説も紹介してほしかったんです。でも本文のことばかりに気をとられて、地図のことに注文するのを忘れていました。 …

新改訳2017(その2)  主の祈りの件

新改訳2017を読んでいます。多くの方の感想と同じように、不思議と読みやすくてスラスラ読み進めてしまいます。読んでいて快適なんです。理由は一つには行間が以前より広くなり、紙の色もクリームになったこと、そして訳文が少しずつこなれたものとなったこ…

新改訳2017  「神のかたち」の件

新改訳2017翻訳にあたって、委員会あてに修正をお願いした一つに、創世記1章26,27節がある。第三版では次のようになっている。 1:26 神は仰せられた。「さあ人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて。彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべ…

武力によらず、権力によらず

ゼカリヤ4:6 口語訳「権勢によらず、能力によらず、わたしの霊による」 新改訳第三「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって」 新共同訳「武力によらず、権力によらず、ただわが霊によって」 口語訳、新改訳が「権勢」「権力」としているハイル…

羽があって四足で歩き回るもの

「 11:21 しかし羽があって群生し四つ足で歩き回るもののうちで、その足のほかにはね足を持ち、それで地上を跳びはねるものは、食べてもよい。 11:22 それらのうち、あなたがたが食べてもよいものは次のとおりである。いなごの類、毛のないいなごの類、こお…

幻?

お話をするためにうかがった教会で、ある年配のビジネスマンと食卓で話をしていたとき、「聖書の用語で『まぼろし』というのはむずかしい。わからない。むしろ、『構想』とでも訳したほうがわかるのではないか。」とおっしゃった。「普通の日本人の使う言葉…

騎兵?

ラメセス2世(アブシンベルの壁画) ソロモンはまた戦車の馬の、うまや四千と、騎兵一万二千を持っていた。(列王上4:26 口語訳)・・数字が違う ソロモンは戦車用の馬のための馬屋四万、騎兵一万二千を持っていた。(1列王4:26 新改訳) ソロモンは戦車用の…

ダビデはアブシャロムを追跡するのをやめた(再述)

昨日書いたサムエル記下13:37〜39、とくに39節について、ブログ上でiohsugi牧師に教えられたので、もう一度書き直します。 口語訳 13:37しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ…

ダビデはアブシャロムに会いたかったのか?会いたくなかったのか?(その1)

新改訳と口語訳・新共同訳・文語訳でかなり訳がちがうというか、逆さまのところをみつけた。サムエル記下13:39〜14:1である。 口語訳 13:37しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ…

直す、治す

新改訳聖書で気になる漢字のひとつは、病の癒しに関して、「直す」「直る」という字を用いていることである。ただの物の修理のばあいは「直す」でよいのだが、病のばあいは「治療する」と書くように「治す」が普通である。おそらく漢字使用にかんする公的な制…

泉を求める

時にカレブは言った、「キリアテ・セペルを撃って、これを取る者には、わたしの娘アクサを妻として与えるであろう」。カレブの弟ケナズの子オテニエルがそれを取ったので、カレブは娘アクサを妻として彼に与えた。 アクサは行くとき彼女の父に畑を求めること…

デマスの悪評はデマっすか?

ここ数年、信州宣教区の牧師会では、担当者をきめて牧会書簡を順々に学んでいる。一昨日とくに伊那谷牧師が提言されて議論になったのは、テモテの手紙第二の終盤、デマスにかんするところだった。 新改訳 デマスは今の世を愛し、私を捨ててテサロニケに行っ…

ぜひ聞いてください。ケセン語訳聖書の山浦さんの話

ケセン語訳聖書の翻訳者山浦さんの話が聞けます。大船渡でお医者さんをしていて、昨年3月11日に津波を経験されました。 どういえばいいんでしょうか。不謹慎だと思われるでしょうが、なんともおもしろい話です。ぜひ聞いてください。そして、胸が熱くなりま…

ケセン語訳聖書のサンプル試聴

ケセン語訳聖書で山上の垂訓や放蕩息子のたとえを聞くと、なんともしみじみと胸打たれる。田舎育ちのイエス様があの丘の上で、ガリラヤ弁でお話になったのだから、標準語よりこちらのほうが雰囲気が出ている気がする。放蕩息子の話では、胸が熱くなってしま…

「あなたがたの霊とともに」?  追記あり

ピリピ書の末尾には、次のようなパウロの祝福の祈りがある。 「どうか、主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊とともにありますように。」(4:23新改訳)口語訳、塚本訳、前田訳、新共同訳、NIVいずれも同じようなものである。 「あなたがたの霊とと…

ピリピ3章8節後半と9節

「3:8 それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。私はキリストのためにすべてのものを捨てて、それらをちりあくたと思っています。それは、私には、キリストを得、また、 3:9 キ…

訓戒する能力

21日、軽井沢の教会で信州宣教区牧師会があり、いつものように研鑽のときを持った。ここ二年ほど学んでいるのは、「牧会書簡」と呼ばれるテモテの手紙第一、第二である。今回は第二の手紙の2章19節から26節。 「2:19しかし、神のゆるがない土台はすえられて…

引用は口語訳聖書に切り替えます

最近、当ブログでは引用本文を口語訳聖書に切り替えたことにお気づきの読者がいらっしゃるでしょう。新改訳聖書の聖句引用はHP、ブログなどでも「通算250節」までに制限され、それを超えると使用料が発生するのだそうです。 http://www.wlpm.or.jp/seisyo/…

「神のかたち」であるキリスト

ここに掲載するのは『福音主義神学』第41号の端っこに載せていただいた原稿である。第41号は創立40周年記念号で、宇田進先生、鍋谷堯爾先生、丸山忠孝先生、湊晶子先生、宮村武夫先生、村瀬俊夫先生、安村仁志先生、横山武先生という戦後の日本福音主義神学…

バイブルワークスの文法検索

4年ほど前、ずーっと前から憧れていたBibleWorks(以下BW)というソフトを、清水の舞台から飛び降りるつもりで手に入れた。その結果、宝の持ち腐れになっていた。それが恥ずかしくて、BWを持っていることも誰にも言わなかった。私のことを「べんじょ先生」と…

ヨハネの手紙第一 1章2,3節 metaでなくpros

新改訳聖書ヨハネの手紙第一1:2,3 「──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──私たちの見たこと、聞いたことを、あなた…

ヨハネ福音書1:1,2  「ことばは神の面前に」   

大月湖夜明け 22日にヨハネの手紙第一1:2をとりあげて、御子イエスを意味する「永遠のいのち」が「御父とともにあ」ると訳されていることが奇妙であることを指摘した。というのは、「とともにwith」と訳されることばはprosという前置詞で、通常「〜に(向かっ…

ヨハネの手紙第一 1章2節「父に向かって」

新改訳聖書第三版の1章2節は次のようになっている。 「──このいのちが現れ、私たちはそれを見たので、そのあかしをし、あなたがたにこの永遠のいのちを伝えます。すなわち、御父とともにあって、私たちに現された永遠のいのちです。──」 この翻訳でずっと前…

ヨハネの手紙第一 1章1節

昨年11月下旬から長男と玉川直重さんの独習テキストを用いてコイネーギリシャ語の初等文法を勉強してきて、やっと文法篇が終わって、昨夜から後半のヨハネの手紙第一の講読にはいった。諸訳で次のようになっていて大差ない。 新改訳「初めからあったもの、私…