ローマ書12章1,2節
新共同訳
こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそあなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。
新改訳三版
12:1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
12:2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
新改訳2017
1,ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
2,この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。
1.「あなたがたの霊的な礼拝」「あなたがたのなすべき礼拝」「あなたがたにふさわしい礼拝」
「霊的」と訳されてきたことばは、ロギコスである。ロゴスと同じ語根であり、「理にかなった」「筋の通っている」という意味である。2017の「あなたがたにふさわしい礼拝」はいただけない。なぜなら、「あなたがたにかなっている」のではなく、「理にかなっている」のだから。ギリシャ語本文では「ヒューモーン」と属格であるから「あなたがたの」である。この意味で、新共同訳の「あなたがたのなすべき礼拝」が適切な訳である。
2.「心の一新」「心を新たに」ではなく・・・
2017は相変わらず「心」のままであった。ギリシャ語ヌースはheartでなくmindであるから、「頭を新たに」「思想を新たに」のほうがよい。「心」という訳語では情緒的なイメージになってしまう。これでは実際的に何をすればよいのかがわからない。しかし、ヌース(mind)なのだから、教理を正しく理解し、正しくみことばを読むことが、「変えられる」ことにつながるのである。
3.「自分を変えなさい」「自分を変えていただきなさい」
第三版は「自分を変えなさい」だが、受身形であるから「自分を変えていただきなさい」のほうがよかろう。