昨日書いたサムエル記下13:37〜39、とくに39節について、ブログ上でiohsugi牧師に教えられたので、もう一度書き直します。
口語訳
13:37しかしアブサロムはのがれて、ゲシュルの王アミホデの子タルマイのもとに行った。ダビデは日々その子のために悲しんだ。 13:38アブサロムはのがれてゲシュルに行き、三年の間そこにいた。 13:39王は心に、アブサロムに会うことを、せつに望んだ。アムノンは死んでしまい、ダビデが彼のことはあきらめていたからである。
新共同訳・文語訳は口語訳と趣旨は同じ。多くの英訳聖書もみな同じ。「王はアブサロムに会うことを切に望んだ」という訳。
新改訳第三版
13:37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。 13:38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。 13:39 ダビデ王はアブシャロムに会いに出ることはやめた。アムノンが死んだので、アムノンのために悔やんでいたからである。
「会うことを切に望んだ」「会いに出ることはやめた」と逆になっている。
「切に望む」「やめた」と訳されることばカーラーは、この箇所以外では「やめる」と訳されるのに、この箇所のみが「l切望する」と訳されてきたのは不思議・不自然・不合理。「やめた」と訳すべきであろう。
用例はこちら参照 http://biblesuite.com/hebrew/strongs_3615.htm
「会う」と訳されることばラツェットは、「出てゆく」「会いに出る」または「追跡する・追撃する」という意味がある。新改訳では1サムエル23:13で「討伐」という訳がある。
用例 http://biblesuite.com/hebrew/latzet_3318.htm
この文脈では、「追跡する」がよいだろう。つまり、アブシャロムがタルマイのところに逃亡したので、追撃できなくなったという意味。
なお14:1で口語訳「王の心がアブサロムに向かっている」、新改訳「王がアブシャロムに敵意をいだいている」もずいぶんちがう。これはalという前置詞の解釈のしようのちがい。alが敵意という意味をもちうるかが疑問である。口語訳程度のニュアンスで、「王はアブサロムのことを気にしている」というくらいであろう。もし王があきらかに敵意をもっていたら、ヨアブは保身のために決して動かなかっただろうから。
というわけで、一応、翻訳は次の通り。
「「13:37 アブシャロムは、ゲシュルの王アミフデの子タルマイのところに逃げた。ダビデは、いつまでもアムノンの死を嘆き悲しんでいた。 13:38 アブシャロムは、ゲシュルに逃げて行き、三年の間そこにいた。 13:39 ダビデ王はアブシャロムを追跡するのをやめた。アムノンの死を悔やんでいたからである。
14:1 ツェルヤの子ヨアブは、王がアブシャロムのことを気にしていることを悟った。」