苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

聖書翻訳

神の辞書に不可能という文字はない  ルカ1:37

クリスマスにちなんで、昨日に引き続き、マリヤへの受胎告知の場面の翻訳上の疑問の二点目である。ルカ1:37節の訳文については四つの邦訳聖書の間にはさして大きな違いはない。 新改訳(2,3版)「神にとって不可能なことは一つもありません。」 口語訳 「…

マリヤは疑ったのか? ルカ1:34

新改訳聖書でアドベントのマリヤへの受胎告知の箇所を見ていたら、これはいかがなものかと思われる翻訳に二点気づいた。第一点は、ルカ1:34「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」である。この翻訳のニュアンスでは…

大阪弁 野の百合を見よ

大阪の牧師さんが、山上の説教をギリシャ語本文の語順そのままに大阪弁に訳して朗読しています。もともと聖書は、文語体ではなくて、会話体のコイネーギリシャ語だから、こんなふうに訳すのがいちばんニュアンスとして原文に近いのではないかというわけです…

使徒15:38「仕事のために」

新改訳の使徒15:38についてメモをする。青年マルコはバルナバ、パウロとともに出かけた第一回伝道旅行の途中で伝道の任務をほっぽり出してエルサレムに帰った。第二回伝道旅行に出かけるにあたって、バルナバはそんなマルコをもう一度同行させようとする。し…

使徒13章15節「あなたがたのうちどなたか」?

<新改訳>「律法と預言者の朗読があって後、会堂の管理者たちが、彼らのところに人をやってこう言わせた。『兄弟たち。あなたがたのうちどなたか、この人たちのために奨励のことばがあったら、どうぞお話しください。』」(使徒13:15) 翻訳上の問題を見つ…

ピリピ教団、コリント教団

親しくさせていただいている野沢福音教会の小寺牧師と三度目の新改訳本文の検討をした。今回、小寺牧師が取り上げたのは、ピリピ書1章1節である。 ピリピ書1章1節は「 キリスト・イエスのしもべであるパウロとテモテから、ピリピにいるキリスト・イエスにあ…

「つぶやく」――聖書に親しみすぎた翻訳者特有の誤訳

( yutorieさん のオリジナルリース。すてきでしょう。) 『なんで神様は人間が小さな声で話していると怒り出すのだろう?』30年ほど前、教会に通い始めて、新改訳聖書を読んで異様な感じを受けた。問題は「つぶやく」という訳語であった。新改訳聖書では、…

文体による誤訳

一昨晩、近くのK牧師といっしょに新改訳聖書の聖書翻訳について話す機会があった。新しい訳業が始まるということなので、日ごろ説教者として聖書釈義をしてきて、気になるところを出し合おうということで、勉強会を始めたのである。K牧師が出された話題の…

神のかたちにしたがって

ナツユキソウ 創世記1:27 口語訳> 神は自分のかたちに人を創造された。すなわち、神のかたちに創造し、男と女とに創造された。新共同訳> 神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。文語訳> 神其像の如くに人…

御子の人性が永遠であるという見解について

けさ、小著『神を愛するための神学講座』の千葉の読者からご質問をいただいた。「キリストが人性をとられたのはいつからなのか?」という問いである。二つの考え方がありえて、一つは処女マリヤのうちに宿られたその時以降であるという見かたであり、もう一…

まことのいのち?

ちょっと久しぶりに新改訳について気になるところを取り上げたい。マタイ福音書16章26節である。 文語訳> 人、全世界を贏くとも、己が生命を損せば、何の益あらん、又またその生命の代りに何を與へんや。口語訳> たとい人が全世界をもうけても、自分の命を…

公協訳聖書プロジェクト

神奈川のY教会のキリスト信徒Nさんという方から電話があった。著作権フリーで、教派的色合いなく、日本語として少々不自然でも、とにかく原典を忠実になぞった聖書翻訳をWEB上で始めているので、当ブログに載せた聖書翻訳に関するメモを用いたいとのこと…

頭の一新によって

ローマ書12章2節 <新改訳>「この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」 ローマ書は11章までは教理…

理にかなった礼拝

ローマ12章1節 <新改訳> そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。 「霊的な…

神であり救い主であるキリスト

Ⅱペテロ1章1節の翻訳について比較してみよう。 文語訳 我らの神および救主イエス・キリスト 口語訳 わたしたちの神と救主イエス・キリスト 塚本訳 我らの神と救い主イエス・キリスト 前田訳 われらの神また救い主イエス・キリスト 新共同 わたしたちの神と救…

「何を知るか」でなく「どのように知るか」

以前にもこのブログで一度とりあげたことがあるのだが、新改訳聖書のなかで気になっている個所のひとつが、第一コリント8章2節である。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」とあ…

「だから・・・」の省略はいかがか?・・・マルコ2:28

(イエスは)また言われた。「安息日は人間のために設けられたのです。人間が安息日のために造られたのではありません。人の子は安息日にも主です。」(新改訳2:27,28) 黒崎新約註解の六邦訳付きでは、ひとつだけが他の訳とちがっていると、たいへん目立つ…

ブログ紹介「聖書翻訳について」

『聖書翻訳について』というブログを見つけた。筆者はyoshihirano氏という聖書学者ではないと自称する人。氏は、口語訳、新改訳、新共同訳、NIV、NKJV、TEV、KJV、NASB、岩波書店訳、田川訳などを比較して、それぞれの翻訳についての感想を淡々と述べている…

省略してほしくなかった代名詞・・・マタイ28:5、ルカ12:27,28

<日本語では英語とちがって主語である代名詞が省略される場合が多いが、それはギリシャ語でも同じである。ただギリシャ語の場合、代名詞を省略しても動詞の形が主語の人称と数とによって異なっているので、日本語のように主語があいまいになって取り違える…

お奨め 黒崎幸吉「註解新約聖書 6邦訳併記付き」WEB版

26日から新改訳聖書の翻訳についてメモしているが、こういう作業において改めて便利だなあと実感しているのが、WEB版「黒崎幸吉新約註解 6邦訳併記付き」です。http://stonepillow.dee.cc/index.html

パンはなくとも・・・マタイ4:4

福音派で新しい聖書翻訳事業がスタートするそうである。筆者は語学に決して堪能ではないけれど、一応聖書言語を学ぶ機会に恵まれて、牧師として聖書に取り組んで毎週説教準備をしてきて、気になるところがやはりあるものである。それは、きっと筆者だけでは…

うなぎがこわい?・・・出エジプト32:9

新改訳聖書にかんして、筆者が「この訳語なんとかしてくれ!」といつも思わせられるのは、「うなじがこわい」という訳語である。「まんじゅうがこわい」にならって、「うなぎがこわい」というのではない。たとえば、出エジプト32:9「主はまた、モーセに仰せ…

七つの御霊?・・・黙示1:4

新改訳でこれはどうかな?と思うところとして、黙示録1章4節の「七つの御霊」がある。 新改訳 「ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から」 新改訳はプネウマを文脈に応…

我らに罪を犯す者を我らが赦す「ごとく」(その2)

(きょうは妻と野辺山の樹氷の林をぬけて、川上村の家庭集会に出かけました。) 新改訳 「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました。」 口語訳 「わたしたちに負債のある者をゆるしましたように、わたしたちの負…

聖書本文の文脈

聖書本文には文脈がある。その本文の前後の文脈、その本文の属する巻全体における文脈、聖書全体に表わされている神の救いの計画全体の中での文脈、そして、一昨日触れたが、その本文の書かれた時代と文化の文脈である。とくに書簡の場合、執筆事情、あて先…

文字の向こうに―聖書の解釈

聖書解釈にあたっては、聖書に書かれた文字を正確に読むことを目指すのであるが、では、字義を捕らえたらそれで十分かというとそうではない。そのことばを語られる、主ご自身と交流することこそが私にとって聖書解釈の目標である。聖書もまた神と交わるため…