苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

引用は口語訳聖書に切り替えます

 最近、当ブログでは引用本文を口語訳聖書に切り替えたことにお気づきの読者がいらっしゃるでしょう。新改訳聖書の聖句引用はHP、ブログなどでも「通算250節」までに制限され、それを超えると使用料が発生するのだそうです。
http://www.wlpm.or.jp/seisyo/
http://theologia.blog21.fc2.com/blog-entry-224.html
 翻訳聖書はいずれもたいへんな労作ですが、仔細に検討すれば一長一短があって、口語訳はまったく使い物にならないほどリベラルで、新改訳だけが突出して原語に忠実だというわけでもありません。口語訳の問題点については、藤原藤男『聖書の和訳と文体論』(キリスト新聞1973年)が述べています。その要点はこちらを参照。
http://www.seisho.or.jp/category/about-shinkaiyaku
 とはいえ、新改訳にも問題点はあるわけで、それらについてはカテゴリー「聖書翻訳」でいくつかの検討例を挙げておきました。
 とにかく、当ブログでは、今後、原則として新改訳聖書を引用することは止めます。新共同訳は営利目的でない引用についてまでうるさいことは言わないようですが、旧約聖書の一部に章節のちがいがあったりするので、今後は原則として版権が切れている口語訳聖書本文を採用します。また順次、過去の記事からも特別な必要がないかぎり新改訳は削除するか、口語訳に切り替えてゆきます。
 愛用しているサイト『黒崎幸吉註解新約聖書』から、昨年5月に新改訳聖書の本文が外されてしまったのも、上記の制約によるのだとサイトの管理人からうかがいました。30年以上新改訳を読んできた筆者としては、文語訳、新共同訳と並んで新改訳が掲載されていることを喜んでいたので、実に残念でなりません。NCC系の人々から無視されていた新改訳聖書が、少しでも広い範囲の人々にその良さを知ってもらえるならありがたいことだ、と思っていたからです。
 今、新改訳第四版を出すために励んでいる先生方がいますが、著作権管理事務局がこういう了見の狭いことをしていると、かえって、新改訳聖書は論文でもHPでもブログでも、そのうち教会でも用いられなくなってしまうのではないかと心配です。特に「通算250節ルール」を外さないかぎりキリスト教関連ブログから新改訳は早晩姿を消すことは確実でしょう。ブログは日々書きためて行くので、1年も経てば通算250節を超えてしまうからです。すでに時代は紙上の文字からネット上の文字に移っています。新聞購読者は年々減少しています。ネット上で見られない翻訳聖書は、結局、マイナーなものとして留まるか消滅するかです。筆者には次の箴言が思い出されてなりません。

「施し散らして、なお富を増す人があり、
与えるべきものを惜しんで、
かえって貧しくなる者がある。」箴言11:24 口語訳

ちなみに口語訳、文語訳聖書の無料テキストはここにあります⇒http://bible.salterrae.net/

ホトケノザ。山里にも春が来ました。昨日、南相木村で撮影。