苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

「さいわい」と「しあわせ」

 「心の貧しい者は幸いです。」「さいわい」というお題をいただいたら、このみことばを思い起こす。ところで、「さいわい」と「しあわせ」とはどう違うのだろう。「心の貧しい者はしあわせです」と訳したのではいけないのか。あえて「さいわい」という少々古めかしいことばを用いる理由はなんなのだろう。
 「しあわせ」というのは、「仕合せ」とも表記するように、「うまいめぐりあわせ」という意味である。つまり、英語でいえばhappyにあたる。happyの語根はハプニングhappeningと同じくhap「偶然〜する」である。つまり、「仕合せ」とは「たまたまうまくいった」ことを意味している。
 他方、「さいわい」とはなにか。「さいわい」は、「さきわう」という動詞の連用形「さきわい」が名詞として用いられ、「き」がイ音便で「さいわい」となったことばである。「さきわう」という動詞は「さかえさせる」「祝福する」という意味である。sakという語根は、「さかんだ」「さかえる」「(花が)咲く」というふうに、物事が繁栄することを意味している。
 『讃美歌』第2番に「母の胸にありし時より、わが踏む道さきわい給う」という歌詞がある。さきわってくださったのは、生ける神なのである。偶然うまく行ったのではなく、神がその御手をもって祝福してくださったという人生観がこの歌詞に反映されている。もっとも英語のギリシャ語辞典を見れば、「さいわい」と訳されるギリシャ語makariosには、happy,blessedと二つの訳語が並べられていて、残念である。
 というわけで、「しあわせ」と「さいわい」との違いは、人生観の違いを表している。「しあわせ」の背景には何も見えてこないが、「さいわい」ということばの向こうには、生ける摂理の神のお姿が見えてくる。その神は、御子の命さえも賜り、私たちの髪の毛一本落ちることさえも配慮のうちに置いていてくださる父である。

ハイデルベルク信仰問答
 問1 生きるにも死ぬにも、あなたのただ一つの慰めは何ですか。
 答え わたしがわたし自身のものではなく、体も魂も、生きるにも死ぬにも、わたしの真実な救い主イエス・キリストのものであることです。この方は御自分の尊い血をもって、わたしのすべての罪を完全に償い、悪魔のあらゆる力からわたしを解放してくださいました。また、天にいますわたしの父の御旨でなければ、髪の毛一本も落ちることができないほどに、わたしを守っていてくださいます。実に万事がわたしの救いのために働くのです。そうしてまた、御自身の聖霊によりわたしに永遠の命を保証し、今から後この方のために生きることを心から喜び、またそれにふさわしくなるように、整えてもくださるのです。(吉田隆訳)