苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

訓戒する能力

 21日、軽井沢の教会で信州宣教区牧師会があり、いつものように研鑽のときを持った。ここ二年ほど学んでいるのは、「牧会書簡」と呼ばれるテモテの手紙第一、第二である。今回は第二の手紙の2章19節から26節。
「2:19しかし、神のゆるがない土台はすえられていて、それに次の句が証印として、しるされている。「主は自分の者たちを知る」。また「主の名を呼ぶ者は、すべて不義から離れよ」。 2:20大きな家には、金や銀の器ばかりではなく、木や土の器もあり、そして、あるものは尊いことに用いられ、あるものは卑しいことに用いられる。 2:21もし人が卑しいものを取り去って自分をきよめるなら、彼は尊いきよめられた器となって、主人に役立つものとなり、すべての良いわざに間に合うようになる。
2:22そこで、あなたは若い時の情欲を避けなさい。そして、きよい心をもって主を呼び求める人々と共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。 2:23愚かで無知な論議をやめなさい。それは、あなたが知っているとおり、ただ争いに終るだけである。 2:24主の僕たる者は争ってはならない。だれに対しても親切であって、よく教え、よく忍び、 2:25反対する者を柔和な心で教え導くべきである。おそらく神は、彼らに悔改めの心を与えて、真理を知らせ、 2:26一度は悪魔に捕えられてその欲するままになっていても、目ざめて彼のわなからのがれさせて下さるであろう。」
 文脈としてはこの段落の前にヒメナオとピレトという、「キリストのよみがえりは単なる霊によるものでからだをともなうものではなかった」という異端者が教会に紛れ込んでいることについて、どう対処するかという課題のなかで語られている。ついには取り除かれてしまう木や土の器とは彼らのことを指していると解され、パウロはテモテに対しては主の役に立つ金や銀の器をめざせと励ましている。イエス・キリストのからだのよみがえりは、キリスト教会が拠って立つ歴史の事実。そのことは今回の課題ではない。
 特に勉強になったのは、24節の「よく教え(パイデウオー)」ということばであった。「教える」といえば「ディダスコー」ということばが多用されるが、ここではパイデウオーということばである。パイスとは子どもという意味で、子どもをトレーニングするという意味合いが含まれているので、「訓戒する」とも訳される。「よく」と新改訳、口語訳、文語訳にあるのは、英訳ではable to teach、塚本訳では「教え上手で」、新共同訳では「教えることができ」としている。
 キリストのからだのよみがえりという教義は、もはや議論すべき課題ではなく、洗礼に先立って納得し身に着けておくべきことだが、残念ながら、その基本中の基本である教理が身につかないままに洗練を受け教会に入り込んで人々を混乱させているのが、ヒメナオとピレトであった。彼らとは無益な議論をするのでなく、親切に忍耐をもってパイデウオーするのだというのである。うーん。なかなか困難な務めである。
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 その後の話題は、リンゴ。リンゴは放射性セシウムをからだから排出するのに有効らしいので、信州から福島に送ってはどうかということを話し合った。信州でリンゴが出始めるのは8月ごろの青リンゴ「いわい」という。皮付きリンゴに多く含まれるリンゴペクチンが効果ありなのだそうである。ふつうに買うとリンゴは高いので、形の悪いハネを手に入れる道をさがすことにする。
 また、電力会社の一律節電キャンペーンの問題性・危険性についての話題。そして、お祈りしてごはんを食べておしまい。
 牧師会のあと、K牧師と初夏の雲場池を散歩した。冬ほど水鳥はいなかったが、居残り組みのかもが数羽いた。黄色いあやめが咲いていた。いや、花菖蒲? いや、かきつばた? わかる方、教えてください。