苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について訂正報告

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について事実誤認があったので、お詫びして訂正いたします。p534の3行目誤「J.ヴァイス、A.シュヴァイツァー、E.P.サンダース、N.T.ライトたちは」→正「E.P.サンダースは」(E.P.サンダース『パウロ…

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について訂正報告

NPP

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について事実誤認があったので、お詫びして訂正いたします。p534の3行目「J・ヴァイス、A・シュヴァイツァー、E.P.サンダース、N.T.ライトたちは」→「E.P.サンダースは」(E.P.サンダース『パウロ』…

道路わきの遊歩道

今朝も柏木町を福音散歩、昨日紹介した車道と住宅地の間をへだてる遊歩道を帰りに少しだけ歩いてみました。土地はいくらでもある北海道ならではですね。 樹種はヤチダモで、おそらく植えたものではなく、もともとこのあたりがヤチダモの森だったところに、道…

うぐいす団地

今朝はのぞみ町の散歩を終えて、ずっと奥の樽前カントリークラブの入り口にある「うぐいす団地」という半分別荘地みたいな感じのところ数十軒を歩いてきました。周りは森に囲まれたところで、鹿のうんちがぽろぽろ落ちています。なんとなく信州を思い出しま…

文化命令でなく、神の王国建設命令

改革派神学では、創世記1章26‐28節および創世記2章15節を「文化命令」と呼びならわして来た。けれども、聖書全体に啓示された神のご計画の全体からいうと、むしろ「神の王国建設命令」と呼ぶ方がよいと思われる。 神のご計画の全体像を知るためには、創世記1…

文化命令でなく、神の王国建設命令

改革派神学では、創世記1章26‐28節および創世記2章15節を「文化命令」と呼びならわして来た。けれども、聖書全体に啓示された神のご計画の全体からいうと、むしろ「神の王国建設命令」と呼ぶ方がよいと思われる。 神のご計画の全体像を知るためには、創世記1…

三位一体について

自然宗教の種類として宗教学者はさまざまな分類をするが、神の数で分類するならば、多くの神々を立てる多神教と、ただ一つの非人格の神を立てる汎神論に分けられる。多神教における神々はオリエントの諸神話、ギリシャ神話、古事記などを見るとわかるように…

秋はてんこ盛り

今朝の福音散歩で明徳町の残っていた場所が完了して、のぞみ町に入りました。ところが、雨が本格的に降り出してしまって、札幌のほうは大雨警報というラジオニュースもはいって、1区画で退散してきました。 車の中でラグビーの放送を聞きました。前半はいい…

戦争観の推移と聖書の教え

序 米陸軍士官学校教授D・グロスマンは、現代の軍隊は殺人ができるように特殊訓練を施された組織であると語る。第二次大戦後の米陸軍の調査によれば、遭遇戦では兵士のうち15~20パーセントしか敵に向かって発砲せず、大半は地面や空に発砲していた。また98…

エビオス

この夏は苫小牧でも例年になく暑かったのですが、夏バテしませんでした。理由の一つは、2月から整腸剤エビオスを飲んでいるので、栄養がしっかり吸収できているではないかなあと思います。 エビオスはアサヒビールが出しているビール酵母のサプリで、ぼくが…

伝道の考え方

今朝は妻と明徳町を福音散歩してきました。福音散歩というのは、苫小牧市の全戸にキリストの十字架の福音について単純に記した『苫小牧通信』特別号を配布することです。教会の中に、ほかに3人ほどこの伝道に加わっている方がいます。なぜ苫小牧福音教会はこ…

神が人格であることと三位一体であること

多神教において、神々はギリシャ神話、古事記、北欧神話にみるように、しばしば個性豊かな人格的な存在である。その神々と人間との境界線はあいまいであり、神々はみな有限であり、不道徳でもある。多神教の神々は、人間の延長線上に空想されたスーパーマン…

海の丘

今朝は肌寒いような空気の中、「海の丘」という坂道のある小さな町を散歩しました。その丘からは海が見えて、故郷の神戸を懐かしく思い出しました。苫小牧は真っ平で、ほとんど坂道がないのです。

北海道らしいもえぎ町

朝4時15分ではまだ真っ暗。身支度をして車を25分くらい走らせて、今朝はもえぎ町2丁目を散歩しました。一戸建ての住宅地で、広々とした空き地もあり、そこを9頭の鹿が駆けていました。また、子ぎつねが一匹ウロウロしていて、逃げないでこちらをじっ…

牧師の務め、学者の務め

2018年にノーベル生理学賞を授与された本庶佑氏が、その受賞記者会見の前段で、「マスメディアの人たちはその論文がネイチャーだとかサイエンスに掲載されたことを云々するけれども、まあ、ネイチャー、サイエンスに出ているものの9割は嘘で、10年たったら…

神の愛

愛と義とを対立概念として説明する場合が多いが、それは聖書にかなっているだろうか。義の対立概念はむしろ「あわれみ」であろう。 聖書に「神は愛である。」(1ヨハネ4:16)とある。また、第一コリント13章では「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をね…

キタキツネ

もえぎ町、早朝二回目の福音散歩で収穫がありました。二匹のキタキツネと出くわしました。一匹は逃げてしまいましたが、もう一匹は撮影に応じてくれました。

北海道の家と煙突

きのうはHBIで授業と教師会でした。今朝からもえぎ町の福音散歩です。少し蒸し暑かったです。バイパス(環状線)の北側、錦西町の東隣の森に接した一戸建ての住宅街です。 バイパスの南側を東から西へと向かっていましたが、西の端っこまで歩き終わったので…

出た!

昨夕、土砂降りの大雨が降って苫小牧は猛暑がどこかへ去り、朝起きると涼しい風がビュービュー吹いていました。今朝は、北星町というところを福音散歩してきました。原っぱと森に隣接した分譲中の新しい町なので、「ヒグマが出ませんように」と祈りながら配…

『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓ー』

5月末に出版された『私は山に向かって目を上げるー信州南佐久における宣教と教会開拓』は、アマゾンのキリスト教神学売れ筋ランキングに何度か取り上げられていますから、多くの読者を得ているようで感謝しています。今回「はじめに」の箇所を紹介しておき…

海沿いの家々

おはようございます。今朝苫小牧は霧が出ていました。国道の南側海沿いの東西に細長いところに、ぽつりぽつりと集落があるので、そこを家内と散歩してきました。海鳴りと国道を走る大型車の音が聞こえている地域です。よっぽど海が好きで、こういうところに…

錦西町

昨夜は窓を開けっぱなしで寝ました。今朝4時で気温が28℃もありました。錦西町を家内といっしょに福音散歩して、完了して帰って来ました。 西の端っこの住宅地で、近くに森があって、「このへんのおうちの窓から見たら、庭続きに林があるという感じね。」…

8月下旬なのに

日が短くなり今朝は暗いうちから出かけて、家内といっしょに錦西町福音散歩。「イエス様の羊に届きますように」と心につぶやきながら。 宮前町が苫小牧市の西端かと思っていたのですが、もう一つあって、錦西町がほんとうの西の端でした。グーグル地図もこの…

三位一体の神でこそ愛の神であること

今朝、宮前町三丁目を散歩しながら、三位一体の神ということは、神が人格的存在であり愛であられることと切っても切れない関係にあることを思いめぐらしました。 古代の哲学者は、多神教の不合理性には気づいていて、「第一原因としての神」という唯一神観に…

現在の「神の国」の用語法への疑問

今日、キリスト教界では「神の国」ということばは、しばしば主イエスの用語法と異なる用い方がされている。すなわち、「神の国」とは「神の支配」という意味であるから、その範囲は教会にとどまらず神のことばの影響が及ぶもっと広い範囲であるというのであ…

地図と現場ー組織神学と釈義神学

今朝は苫小牧の西の端っこ近くの宮前町4丁目を、家内といっしょに福音散歩してきました。いつもgooマップを印刷したものをプラスチックファイルに挟んで、どこまで配ったかを確認しながら歩くのですが、今日はその地図と現場が合致しないのでいささか混乱し…

関東大震災と朝鮮人虐殺

1923年の関東大震災の日が半月後に迫っている。山口陽一師が書かれた首題の記事を『いのちのことば』9月号で見つけたので、ここに転載させていただく。熟読玩味されたい。 1923年9月1日の関東大震災の死者・行方不明者は10万5千人、首都はほぼ壊滅し、…

JR錦岡駅

今朝は海からの涼風に吹かれながら、錦岡駅の北側を福音散歩しました。 JR錦岡駅

宮前町

今朝は涼しくて、青雲町散歩を終えて、西隣の宮前町に入りました。小川が流れるほとりの戸建ての地域です。 壁を右に折れると、「ワッ!!びっくりした。」となりました。玄関の前にしゃがんで、上下真っ赤な服のおじさんが一人タバコを吸っていたんです。お…

信仰・愛・希望

18歳の私が初めて読んだ信仰書は、同級生のHさんがプレゼントしてくれたイゾベル・クーン『神を求めた私の記録』だった。その扉に「こういうわけでいつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で、一番すぐれているのは愛です。」1コリント13章13…