苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

御子が「神のかたち」であることと新改訳2017の脚注

文語訳 創世記1:26,27 1:26神言給けるは我儕に象りて我儕の像の如くに我儕人を造り之に海の魚と天空の鳥と家畜と全地と地に匍ふ所の諸の昆蟲を治めんと1:27神其像の如くに人を創造たまへり即ち神の像の如くに之を創造之を男と女に創造たまへり 以下の引用…

メシア像のズレ

イエスの同時代人がイスラエル民族が贖われることを待望していたことは福音書に書かれている事実です。彼らはローマ帝国の圧制からの解放を贖いと考えていました。イエスに追随した多くの人々は、イエスをイスラエル政治的贖いのために来られた王だと信じ期…

ユダヤ教文書の色眼鏡(2023年11月26、28日追記あり)

N.T.ライトは彼が1世紀中頃に書かれたと判断するユダヤ教の第4マカバイ書とそれに関する4世紀のユダヤ教学者のコメントを手掛かりとして、「罪」や「義認」はバビロン捕囚がらみのイスラエル国家に関することなのだという着想を得ました。そして、その1世…

N.T.ライトに惹かれる人々の傾向

NPP

昨日のHBI講師教師研修会の最後の時間は、前夜に4人ずつテーブルに分かれそこから出た質問に対する答えの時でした。さまざまな質問がある中で、「日本人はなぜライトのような説に惹かれるのでしょう。」というものがありました。私は日本人キリスト者がみな…

類似よりもむしろ相違点が大事ーブルトマン、NPP、ウォルトン

聖書の見方に関する大きな枠の話を少し書いてみます。 その昔はブルトマンがギリシャ思想の色眼鏡をかけてヨハネ文書を読んで、今はNPPがユダヤ教の色眼鏡をかけてパウロ書簡を読んでいる。そして、ユダヤ教の言葉とパウロ書簡の中の言葉の類似を見つけると…

N.T.ライト「別の宗教」

NPP

このたびHBIでの教師・講師研修会では聖書宣教会の三浦譲先生をお招きし、N.T.ライトのパウロ書簡における義認と信仰に関する解釈が扱われました。一度目のお話が終わったとき、E牧師から次のような質問がありました。「先生によるN.T.ライトの教えをうかが…

「神のことばの説教は神のことばである」とは?

自家製教理問答を推敲していて、説教の定義について考えています。 そんな作業の中で、K.バルトとその追随者がしばしば「第二スイス信条」から引っ張ってくる有名な「神のことばの説教は神のことばである(Praedicatio verbi Dei est verbum Dei.)」という命…

ヨハネの手紙第一の末尾

「5:18すべて神から生れた者は罪を犯さないことを、わたしたちは知っている。神から生れたかたが彼を守っていて下さるので、悪しき者が手を触れるようなことはない。 5:19また、わたしたちは神から出た者であり、全世界は悪しき者の配下にあることを、知って…

樽前ガロー

今日は午前中、妻と苫小牧の西の方の有珠の沢の残りと、錦大沼公園の西の森の樽前ガローというところを福音散歩して来ました。ガローというのは、東北の方言で断崖絶壁の間を流れる川を意味するそうです。樽前ガロー周辺は別荘地として計画された場所のよう…

これからの宣教について、一緒に考えよう

昨日から静岡県掛川での教団の研修会に来ています。今回のテーマは「これからの宣教について、一緒に考えよう」というものでした。今回は初めての試みで、参加者を8人ほどの38テーブルにわけて、昨晩から4つのセッションで学んできたところを、テーブルご…

神は愛であるということ

1コリント13章4節から8節には、愛の具体的な中身の説明が豊かに説明されている。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人を嫉みません。愛は自慢せず高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず。怒らず、人のした悪を思わず。不正を喜ば…

主に近づく手がかりに

最近、創世記とヨハネ伝を平行して連続でお話しています。明日、主の日はヨハネ伝1章、みことばの受肉の箇所。 昨日、有珠の沢団地というところを歩いて、3年前の春から続けてきた苫小牧市9万1千余戸の通信配布はあと200戸ほどになりました。自分自身の救い…

伝道ということ

きょうも鼻の調子が悪く、頭が痛いのでデスクワークにならないので、残っている有珠の沢2丁目を1時間ほど散歩してきました。とっても良いお天気でした。 そのあと、聖書を読み始めた人がいるので牧師室でバイブルクラス。今日は「聖書とは」という内容。彼…

人権思想には二つの流れがある

人権思想の根源には二つあって、一つはキリスト教であり、もう一つはジャン・ジャック・ルソーの反キリスト教的思想である。前者は、英国のジョン・ロックの『統治二論』に明白に表現されている。ロックがいう人権とは、創造主が被造物である人間に与えた自…

聖書を読み直す?

「聖書を読み直す」という言い回しをときどき目にする。「これまでは、このように教えられて来たけれど、聖書はほんとうにそういうことを教えているのか読み直すのだ」というのである。 こういう企ては、正しく聖書がほんとうに語っていることに迫る場合と、…

有珠の沢(うすのさわ)

苫小牧は森に近い桜坂という住宅街にヒグマ3頭出没の警告が出たので、暗い早朝に配ることは避けて、朝食後に福音散歩に出かけることにしました。残りは、有珠の沢団地という森に囲まれた地域で、桜坂野にほど近いところです。有珠の沢は苫小牧には珍しく起伏…

N.T.ライト玉石混交の原稿に修正を加えました

首題の文章に修正を加えました。1.彼の義認理解の土台であるユダヤ教サークルの文献について、日本長老教会が発表したライト理解の文献から学んだことを少し反映させました。 2.個人的終末論について、サンダースとライトは主張が違うことが確認できたの…

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について訂正報告

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について事実誤認があったので、お詫びして訂正いたします。p534の3行目誤「J.ヴァイス、A.シュヴァイツァー、E.P.サンダース、N.T.ライトたちは」→正「E.P.サンダースは」(E.P.サンダース『パウロ…

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について訂正報告

NPP

『新・神を愛するための神学講座』個人的終末論の箇所について事実誤認があったので、お詫びして訂正いたします。p534の3行目「J・ヴァイス、A・シュヴァイツァー、E.P.サンダース、N.T.ライトたちは」→「E.P.サンダースは」(E.P.サンダース『パウロ』…

道路わきの遊歩道

今朝も柏木町を福音散歩、昨日紹介した車道と住宅地の間をへだてる遊歩道を帰りに少しだけ歩いてみました。土地はいくらでもある北海道ならではですね。 樹種はヤチダモで、おそらく植えたものではなく、もともとこのあたりがヤチダモの森だったところに、道…

うぐいす団地

今朝はのぞみ町の散歩を終えて、ずっと奥の樽前カントリークラブの入り口にある「うぐいす団地」という半分別荘地みたいな感じのところ数十軒を歩いてきました。周りは森に囲まれたところで、鹿のうんちがぽろぽろ落ちています。なんとなく信州を思い出しま…

文化命令でなく、神の王国建設命令

改革派神学では、創世記1章26‐28節および創世記2章15節を「文化命令」と呼びならわして来た。けれども、聖書全体に啓示された神のご計画の全体からいうと、むしろ「神の王国建設命令」と呼ぶ方がよいと思われる。 神のご計画の全体像を知るためには、創世記1…

文化命令でなく、神の王国建設命令

改革派神学では、創世記1章26‐28節および創世記2章15節を「文化命令」と呼びならわして来た。けれども、聖書全体に啓示された神のご計画の全体からいうと、むしろ「神の王国建設命令」と呼ぶ方がよいと思われる。 神のご計画の全体像を知るためには、創世記1…

三位一体について

自然宗教の種類として宗教学者はさまざまな分類をするが、神の数で分類するならば、多くの神々を立てる多神教と、ただ一つの非人格の神を立てる汎神論に分けられる。多神教における神々はオリエントの諸神話、ギリシャ神話、古事記などを見るとわかるように…

秋はてんこ盛り

今朝の福音散歩で明徳町の残っていた場所が完了して、のぞみ町に入りました。ところが、雨が本格的に降り出してしまって、札幌のほうは大雨警報というラジオニュースもはいって、1区画で退散してきました。 車の中でラグビーの放送を聞きました。前半はいい…

戦争観の推移と聖書の教え

序 米陸軍士官学校教授D・グロスマンは、現代の軍隊は殺人ができるように特殊訓練を施された組織であると語る。第二次大戦後の米陸軍の調査によれば、遭遇戦では兵士のうち15~20パーセントしか敵に向かって発砲せず、大半は地面や空に発砲していた。また98…

エビオス

この夏は苫小牧でも例年になく暑かったのですが、夏バテしませんでした。理由の一つは、2月から整腸剤エビオスを飲んでいるので、栄養がしっかり吸収できているではないかなあと思います。 エビオスはアサヒビールが出しているビール酵母のサプリで、ぼくが…

伝道の考え方

今朝は妻と明徳町を福音散歩してきました。福音散歩というのは、苫小牧市の全戸にキリストの十字架の福音について単純に記した『苫小牧通信』特別号を配布することです。教会の中に、ほかに3人ほどこの伝道に加わっている方がいます。なぜ苫小牧福音教会はこ…

神が人格であることと三位一体であること

多神教において、神々はギリシャ神話、古事記、北欧神話にみるように、しばしば個性豊かな人格的な存在である。その神々と人間との境界線はあいまいであり、神々はみな有限であり、不道徳でもある。多神教の神々は、人間の延長線上に空想されたスーパーマン…

海の丘

今朝は肌寒いような空気の中、「海の丘」という坂道のある小さな町を散歩しました。その丘からは海が見えて、故郷の神戸を懐かしく思い出しました。苫小牧は真っ平で、ほとんど坂道がないのです。