神学
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141216/1418686294 善悪二元論とキリスト教 神を愛するための神学講座Ⅱ
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141213/1418432355 ●世界観は聖書観と聖書解釈を左右します。 ●聖書解釈においても、おいしいおにぎりが大事です。
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141212/1418349083イエス・キリストを介してこそ、生ける神に出会うということ。
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141211/1418258342「神を愛するための神学講座Ⅱ」の続き、アップしました。
主イエスの聖書観について http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141210/1418189534
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141209/1418111233
http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/20141208/1417988596 ふつう「自然啓示」と呼ばれてきた被造物啓示の働きは、その受け取り手によって二通りあると聖書は教えていると思われます。それは律法の機能にも似ています。
「神を愛するための神学講座II」 啓示について(その1) http://d.hatena.ne.jp/koumiboxy/
むかしキリ神同級生の山口陽一牧師が牧する徳丸町キリスト教会の夕礼拝で11回お話した教理説教集『神を愛するための神学講座』は、何年も前から絶版になったままです。今でもときどき問い合わせがあるので、教会のホームページにありますからご自由にプリン…
ずっと前から気になっている事柄について、とりあえずメモしておきます。 1 聖書観は聖書解釈を左右する われわれは無前提に聖書を読むことはできない。自覚的にせよ無自覚的にせよ、聖書をどのようなものとして見ているかが聖書解釈を決定する。 時空を超…
ローマ1:16,17、3:19−24 ヴァルトブルク城 本日は、宗教改革記念礼拝です。 1.中世ローマ教会の悲惨 宗教改革について語るには、どうしてもマルチン・ルターその人について語らなければなりません。それは神はマルチン・ルターという強烈な個性の霊的経…
1.「人格性」を感じさせる動物たち もう十何年か前、熊本に出かけたとき島原のイルカ・ウォッチングに連れて行ってもらったことがある。驚いた。私はイルカの餌付けをしているのだろうと思っていたのだが、そうではなかった。餌を与えるわけでもないのに、…
できることなら、「神のかたちであるキリスト」と、「わたしはあなたの神となり、あなたはわたしの民となる」という救いの主題を軸として、聖書的な神学を総括的に書いてみたいと思っている。 バラ ニリンソウ ナデシコ
朝岡勝牧師の近著『<あの日》以後を生きる 走りつつ、悩みつつ、祈りつつ』が手元にようやく届きました。一気に読んでしまいました。一気に読みましたが、一度では到底読み尽くし得ない本です。 3.11の地震から、書名どおり、「走りつつ、悩みつつ、祈…
注:この原稿は東京基督神学校紀要『基督神学』第十二号(二○○○年三月)に掲載された。 目次 1.神は人を土から創造し、土地を耕させた。 (1)人、偉大にして卑小なる存在 (2)人の任務、「耕し、守る」 (3)食べること2.人の罪ゆえに土地は呪われ、…
きのうアップした「啓示観と聖書解釈」の件、昨日の晩、考えたことをここにメモしておきます。論文を書く暇はないので、これで一応自分ではよしとしておきます。「聖書の神言性と人言性」という、神学生時代に恩師から教わったことばをもちいて整理してみま…
下のような論文を書く必要があるなあと思っています。 啓示観と聖書解釈聖書解釈のありかたは、啓示観に左右されるところが多いのだが、ときどき我々はそのことについて無自覚であるのではなかろうか。そうして、あたかも聖書解釈というものが、それ自体とし…
<聖書による聖書解釈を実践すると、「歴史的文法的聖書釈義」以上の意味が立ち現われてくるばあいがある。> このことについてもうひとつの例を挙げてみたい。創世記22章におけるアブラハムのイサク奉献の記事に関するヘブル書11章における意味開示である。…
「私は、神のご計画の全体を、余すところなくあなたがたに知らせておいたからです。」使徒20:27 歴史的文法的聖書釈義がプロテスタント教会のスタンダードな聖書釈義だとされてきた。その目指すところは、聖書の各巻の執筆者の意図したところである。たとえ…
「聖書神学」という科目がもはや多くの神学校では提供されなくなっていることに、私は残念な思いを持っています。新約緒論、旧約緒論、各書概観、各書研究、釈義というのはあるのですが、聖書全体を歴史的な流れとして把握するという、ゲルハルダス・ヴォス…
先週木曜日から土曜日まで、中野で行なわれた同盟教団121周年記念大会に妻と出かけていました。妻はこういう大会に参加するのは二十数年ぶりなので、多くの「久しぶりの出会い」があって、感激でした。 写真は、宿泊場所の近所の大久保の「ベトナムちゃん」…
NTライトに関して、数日前に書いた文章ですが、あそこにも書いたように、福音主義神学会西部部会でのレジュメに関する、かんたんなメモにすぎません。メモを置いておけば「そこは誤解ですよ。あれを読んだら。」と指摘してくださるかたがいるでしょうと思っ…
(この文章は「福音主義神学」41号掲載されたものです。自分としては、聖書理解と信仰生活にとって、たいせつで有効な論文だと思っていますので、読んでいただけたらうれしいです。すでにブログで似たことは何度か書いているんですけれども、これが決定版と…
*「われわれ」について「われわれに似るように、われわれのかたちにおいて、人を造ろう。・・(中略)・・神はこのように、人をご自身のかたちにおいて創造された。・・(後略)」(創世記1:26、27 私訳) 神はこのようにおっしゃって、人間を造りました。注…
聖化、あるいは、きよめということについて、大学生のとき聖書における「きよめ」という語句を網羅的に研究したり、いくつかの神学書を読んだり、罪を犯すたびにがっくりとして、きよめを求めて祈ったりした。 そのうち、「きよめ」ということは、「きよめ」…
韮(ニラ)の花。 昨日は、ひとつの家庭集会で創世記1章1節から2章3節までを開いた。学んだことは、聖書という眼鏡で世界を見るとは具体的にはどういうことなのかということについて、その根本的な原理について。世界を正しく見るには、神が造られた世界のあ…
宮村先生はたとえの名手である。今回のお話のなかで、へえ!と思ったのは、聖書を眼鏡にたとえられたことである。聖書を眼鏡にたとえるのは珍しくないと思われるだろう。だがおっしゃる内容がチトちがうのだ。 「眼鏡は大事なものです。けれども、眼鏡の緻密…
本日8月12日の主日礼拝には宮村武夫先生にお話しいただくことになっています。楽しみです。昨夕、先生ご夫妻には、教会の井出夫妻の「めぐみ農園」で収穫されたばかりの最高においしいとうもろこしを食べていただきました。宮村先生はとうもろこしが大好物で…
散歩の帰り見かけたスイレン kamiokanokyokaiさんから、聖書がいう来世についての質問関連でN.T.ライトのサイトの引用がされていたので、私なりの見方をメモしておきます。私はライトについてさほど知る者ではありませんので、ライトについて誤解している点…
私はイエス様を信じてまもなく神戸の増永俊雄牧師にウェストミンスター小教理を紹介され、大学で哲学を少しかじったというところから来たのか、あるいは生来そういう傾向があるのか、ことがらを演繹的に捕らえる傾向が強いように思う。演繹的なとらえかたと…