苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

多様性・統一性・歴史性

 
     韮(ニラ)の花。




 昨日は、ひとつの家庭集会で創世記1章1節から2章3節までを開いた。学んだことは、聖書という眼鏡で世界を見るとは具体的にはどういうことなのかということについて、その根本的な原理について。世界を正しく見るには、神が造られた世界のありようの根本的原理(存在の原理)を知ることが必要で、それが分かれば、それふさわしい見方(認識の原理)が決まる。

1.被造物は多様性に満ちている

 神による創造の記事を見ると、そして、神が造られた作品のひとつひとつを見ると、実に多様に造られていることに気づく。たとえば動植物の創造については「種類にしたがって」それらが造られたことが、何度も確認されている。

1:11 神は仰せられた。「地が植物、すなわち種を生じる草やその中に種がある実を結ぶ果樹を、種類にしたがって、地の上に芽ばえさせよ。」そのようになった。 1:12 地は植物、すなわち種を生じる草を、種類にしたがって、またその中に種がある実を結ぶ木を、種類にしたがって生じさせた。神はそれを見て良しとされた。

1:21 神は、海の巨獣と、種類にしたがって、水に群がりうごめくすべての生き物と、種類にしたがって、翼のあるすべての鳥を創造された。神はそれを見て良しとされた。 1:22 神はそれらを祝福して仰せられた。「生めよ。ふえよ。海の水に満ちよ。また鳥は地にふえよ。」 1:23 夕があり、朝があった。第五日。
  1:24 神は仰せられた。「地が、種類にしたがって、生き物を生ぜよ。家畜や、はうもの、野の獣を、種類にしたがって。」そのようになった。1:25 神は、種類にしたがって野の獣を、種類にしたがって家畜を、種類にしたがって地のすべてのはうものを造られた。神はそれを見て良しとされた。

2.被造物は統一性を保っている

 しかし、同時に、被造物は統一性を保っている。それは被造物世界がさまざまな要素から成りながら、一つの全体として有機的なシステムをなしていることを意味する。
 一つの植物が花を咲かせ実をならせることをごくおおざっぱに考えてみよう。地球には自転と公転を正確に繰り返すことによって、適切な気温と四季の移り変わりを導くシステムがあり、降り注ぐ太陽エネルギーを有害光線は極力遮蔽しつつ、適度に地上に受け止めて気温を保つ水蒸気の温室効果というシステムがあり、雨雲を生じて水を陸地に配分し大気を循環させるという気候のシステムがあり、土にまかれた種が芽を出して育って花を咲かせたときミツバチやチョウが受粉を手伝うというシステムがある。一つの植物が育つには、土の中の微生物の働き、植物の光合成の仕組み、その他、分子レベルまで追求すれば多くの仕組みがある。仔細に見てゆけば、一輪の花が咲いて実をならせるということのために、ミクロの次元からマクロの次元まで全宇宙が連動している。
 このように、私たちの住む神の作品である世界は、多様性とともに統一性が保たれている。


3.被造物は歴史性を帯びている

 創世記の創造の記事を見ると、7日間という段階をへて万物が創造されたことがわかる。もし神が望まれるなら、全世界は一瞬のうちにできたのだが、神はあえて七つの段階をもって被造物を造られた。それは、被造物世界が、無時間的な存在ではなく、歴史性を持っていることを示している。
 この私たちが生かされている世界に時間性があるということは、私たちの実践においては、「タイミングを待つ」ことの大切さと、「タイミングを逃さないこと」の大切さを示している。また、物事には意味のある順番があるということを認識せよということである。


4.<適用>神の造られたこの世界と人生の見方

 このように神が造られたこの世界は多様性と統一性と歴史性を帯びている。したがって、この世界に生きるに、ふさわしい生き方は多様性・統一性・歴史性をわきまえていきるということである。それが、「台所の神学」とか「畑の神学」などを構築することになる。いくつか例を挙げてみる。
 料理の神学。料理において多様性と統一性と時間性がたいせつである。さまざまな食材を適切に組み合わせて料理を作る。また、調味料は「さしすせそ」の時(順番)をわきまえて入れる。できあがった料理も、色合いなどの多様性と統一性をわきまえて盛り付ける。テーブルに出すにも適切な順序というものがある。
 子育ての神学。三人の子どもがいたら、三人は多様で別々の神の作品であることをわきまえる。同時に、どの子を扱うにもえこひいきにならない首尾一貫性がたいせつ。そして、子育てには時をわきまえることも大事な要素である。子どもは育ってゆく、今、かかわってすべき世話を5年後にしたとしても意味がない。タイミングを逃してはいけない。
 人生の岐路に立つとき。第一に「私にもできることはなんだろう」と祈りつつ考える。第二に「私にしかできないことはなんだろう」と祈りつつ考える。第三に、人は歴史的存在であるから「今ならできるけれど10年後にはできなくなっていることはなんだろう。」と考える。