苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

生きる

男らしさ

「人は言った『あなたが私のそばに置かれたこの女が、あの木から取って私にくれたので、私は食べたのです。』」創世記三:十二「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも自分の妻を愛しなさい。・・夫も自分の…

バビロンの流れほとりにて

「一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信ぜざるをえない。この確からしい事柄は、悲痛であると同時…

ふるさとの海

(須磨海岸と鉢伏山) 兄と須磨の海岸に出かけた。子どものころ、よく歩いて須磨海岸まで泳ぎに行ったものだった。海の水は子どものころに比べると、格段にきれいになっている。当時は、なりふりかまわぬ高度成長期で海も汚れていた。須磨の海岸から南に向け…

ふるさとの山

「ふるさとの山はありがたきかな」という。3年ぶりに神戸に帰省して、須磨にある兄の家に泊めてもらった。兄の家は六甲連山の西端の山のふところ、山陽電車板宿駅から10分のところにある。日ごろ暮らしている信州ののこぎりのような若々しい山並みとはちが…

赤とんぼ

きのうの記事にちなんで、通信小海95号(2001年9月発行)の記事を掲載します。 「ただいま―。トンボとってくる。」先月末、五つになった末息子は、今、とんぼ取りに夢中である。保育園から帰ってきては、夕食時まで毎日とんぼとりをしている。朝も、である。…

ムグンファ

今年も庭の槿(ムクゲ)が花をつけた。昨年の初秋、天に召された一人の教え子、韓国出身の若い神学生ソン・ミネ姉のことを思い出す。彼女は、日本の滅び行くたましいの救いを願って、祖国に父母を置いて来日し、東京基督神学校で神学に励んでいた。心臓に持…

朝岡茂先生

一九七八年春、筆者は進学のため神戸から茨城県に転じ、近くにあった土浦めぐみ教会に通うようになった。お世話になったのは朝岡茂牧師。燃えさかる宣教の情熱と、大胆で積極的な指導力と、緻密な知性とを備えた、ハンサムで体も胆力も大きな器だった。また…

神への愛と隣人への愛

「一番たいせつなのはこれです。『イスラエルよ。聞け。われらの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、思いを尽くし、知性を尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。』 次にはこれです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』この…

愛の戒め

「なにが正しいか?と考えるのではなく、なにが隣人を愛することか?と考えて行動すれば、道を誤らない。」ずいぶん昔読んだ本のなかで、カール・ヒルティがこんな趣旨のことを言っていた。そのときはあまり感心しなかったことばだったが、心に残っていて折…

お願い、感謝

先月、川上村の家庭集会に来られたK姉がおっしゃった。「わたしは、ただただ毎日、神様におねがいばかりしているんです。いい野菜ができるように、いい値で売れるように、雹にやられないように・・・・って。こんな信仰でいいんでしょうか。」 「そりゃ、い…

娘に竹の籠

娘が庭の畑仕事をするために、博彦さんちのおじいちゃんにお願いしたら、こんな素敵な竹籠を編んでくださいました。しっかりとできているものだと、感心してしまいました。特におおっと思ったのは、足の部分。竹の節を活かしているんですよ。なるほど。 これ…

自我の芽

自我には二つの病的な芽があると、学生時代、赤星進医師から教わったことがある。一つは律法主義の芽であり、もう一つは甘えの芽である。律法主義の芽が病的症状を呈すると、完全主義の陥穽におちいって、うつ病になる。他方、甘えの芽が病的症状を呈すると…

責任を問うことと人格の尊厳

愛という行為は、ただひたすら相手をありのままで受け入れることであると思っている人が多い。受容することはたしかに愛の行為である。しかし、人はただありのままを受け入れられるだけで、人格は回復しない。愛には二つの行為が含まれている。ひとつは受容…

好日

一昨日、教会のすぐ近くの枝垂桜がみごとに花を咲かせた。 今朝は春の陽気に誘われて、妻とロダを連れて少し足を伸ばして、千曲川を渡り、向かいの里山を歩いた。小海の山々はまだわずかに芽吹いているのみであるが、山道のかたわらに小さなスミレを見つけて…

人として生きるための知識

師に教わったことの一つ一つの意義は、二十数年たった今になってようやくわかってきた。失敗をして、人を傷つけ、自らも悩み苦しんで後、「あの時は、こうすればよかったんだ。もう二十年も前に教わっていたのに。」というぐあいにしかわかるようにはならな…

当地の自慢

「このあたりで自慢できるものってなんでしょうね。?」ここ南佐久郡での伝道が始まってまもないころ、隣村で畑で行き逢ったおじさんとの会話のなかで、そんなことを聞いたことがあった。すると、その人は「そうさな。この寒さだな。」と言って、楽しそうに…

カゼの直し方ーー煮込み、蒸し

あまりひどくもならないけれど、いつまでも中途半端で治りにくい風邪があります。熱がカーッと出ないので、菌が死なないんでしょうか。それで、ツギエさんが教えてくれた荒療治が、お風呂で煮込むことです。何を煮込むかって? 自分を煮込むんです。 まず布…

泉は湧き出ずるかぎり

「ハゲがなんじゃい!」の山本敏雄先生(7月14日参照)は、小学校の卒業記念アルバムの扉に、「泉は湧き出ずるかぎり泉である」ということばを書いてくださった。書いていただいた当時は、なんのことだかさっぱりわからなかった。高校生の時だったか、国語の…

励まし合いとけなし合い

驚いたことに、ハゲを話題にしたら、アクセス件数が急にはね上がりました。みなさんハゲにはこんなに深い関心を持っているんですね。ハゲは多くの人のなやみの種ですが、一方でハゲはこんなに人気者なんだとみることもできます。ともにハゲの悩みを持ってい…

大リーグボール1号とハゲ

小学生のころ一世を風靡したマンガに「巨人の星」がある。甲子園で剛速球投手として鳴らした星飛雄馬はあこがれの巨人軍に入団した。しかし、入団当初こそ通用した飛雄馬の球は、やがてプロのバッターたちにポカポカ撃たれるようになり、しかも、いったん撃…

円形脱毛症の話

「あっ!修ちゃんハゲがある。」小学校4年生の1学期の休み時間、同級生にハゲを発見された。 「やーい。やーい。50円ハゲ。」とぴょんぴょん跳ね回り、おどけて騒いだのは、中尾というやつだった。当時の50円玉はニッケル硬貨でずっしり重くて、直径25ミリも…

北海道の先生への手紙抜粋

私は、師に恵まれてきたとつくづく思います。神様は、その折、その折に必要な先生がたとの出会いを恵んでくださいました。生きる目的が見えずに暗闇の中にいた18歳のときに「神の栄光のために生きる」という目的を指し示してくださったカルヴィニストの増永…

自己実現でなく

「自己実現を達成しよう!」長男が高校生の頃、その進路指導の会に出かけたとき、会場の正面にこのように張り紙がされていた。自己実現ということばは、米国で流行したアブラハム・マズローを代表とする人間性心理学における用語である。それまでの精神分析と…

スランプへの対処

私たちはクリスチャンは、何事でも狭い意味で「信仰的」に捉えすぎる傾向がある。たとえば抑うつ状態になると、何らかの罪が原因だと即断するというふうに。たしかに、ダビデが罪を犯したとき、それを隠していた結果、彼はひどく落ち込んだという事例はある…

マンネリを恐れず

私たち現代人は変化を求めたがる。去年より今年、先週より今週、昨日よりも今日、となにか変化がなければいけないのではないかと、ほとんど脅迫されているほどである。たしかに、去年より今年あたらしい工夫をしたいという楽しむ気持ちはよいのだが、それが…

あなたがたの光を

夕方、用を済ませて帰宅したらうれしいプレゼントが待っていた。一つは、そろそろ刈らなくちゃあと思っていた駐車場の草がきれいに刈られていたこと。おまけに、庭の土手のうえにスイカのトンネルが出来ていて二本、苗が植わっていた。この技術と心があるの…

カーテンは必要か?

伝道者になって駆け出しのころだった。東京は練馬の大泉の小さな教会で宣教師といっしょに働くことになった。二年間は教会に来ている青年と、ある二階家の二階を間借りをしていた。イエス様の福音を伝えることに専念して生活ができるのだから、こんなに幸せ…

妻の誕生日

「今晩、『神の国』の読書会で佐久に出かけるよ。」と言ったら、 「今日はお誕生会なしなのね・・。エーン。」と妻。 「えっ。今日が、5月18日だったの!」 妻の誕生日のことは、つい昨日もこどもたちと話題にしていたのに、今日がその日だとは・・・。と…

自分で決断しないこと

昨日、新幹線で隣になったNさんに教わったことをメモしておきたい。Nさんは、一つの会社を経営しているのだが、以前は自分で考え、自分で決断して、そして、Nさんのことばによれば、ことごとくうまくいかなかったそうである。 ところが、Nさんは数年前か…

牧師はいのちがけ

「たすけてー、殺されるー!」「オギャア」4月のある日の真昼間、幡ヶ谷教団理事会の最中、隣のマンションから女性の叫び声と赤ん坊の泣き声。いったい何事かと、会議は中断して、みな窓に駆け寄って、声のする窓を見上げている。ところが、その中で最年少の…