「一つの生涯というものは、その過程を営む、生命の稚い日に、すでに、その本質において、残るところなく、露われているのではないだろうか。僕は現在を反省し、また幼年時代を回顧するとき、そう信ぜざるをえない。この確からしい事柄は、悲痛であると同時に、限りなく慰めに充ちている。君はこのことをどう考えるだろうか。・・・」(『バビロンの流れのほとりにて』)
心騒ぐとき、森有正の文章を読むと心がしんとして落ち着きをとりもどす。昨日、フマニスムのことを書いたら、日本のユマニスト渡辺一夫を思い出し、渡辺を思い出したら、その門下の森有正を思い出してしまった。神学校一年生の夏休みの暑い日、小作集会の宮村武夫先生の平屋のプレハブの書斎を訪ねたことがある。クーラーはなく、扇風機も回っていない。
「ぼくは真夏に汗がカーッと噴き出してくるのを感じながら、勉強をするのが好きなんです。」
先生はおっしゃった。そして、対話のなかで先生は、筆者に森有正を読むように薦めてくださった。森有正で卒論を書くといい、ともおっしゃった。森有正という名は、すでに知っていたが、それまでに新書の一冊を読んだだけであった。
なぜ宮村先生は私に森有正を薦めてくださったのだろう。おそらく対話の中で、私がずっと考え続けていたウェストミンスター的な順序とハイデルベルク的な順序の違いという課題、また、パスカルが「ああ、神を知ることと、神を愛することとの間には、なんと大きな隔たりがあることか!」と嘆いたことという課題に対して、森有正のいう「体験から経験へ」という思想がなにかの手がかりを提供するのではないかというふうに考えておられたからではないかと思う。
それで、私は森有正のいくつかの著作、そして全集をポツリポツリと手に入れて、神学校の学びの合間合間にほとんど読んでしまった。とりわけ印象深かったのは、冒頭にしるした『バビロンの川のほとりにて』と『アブラハムの生涯』である。だが、論文にはできなかった。森有正の文章は、これを自分から突き放して客観的になにか論じることを許さず、むしろ生きるということ、つまり主観に入り込んでくるので、論文にすることができないなと感じたのだった。
ところで、『バビロンの流れのほとりにて』という題名の由来は、なんなのだろうか。いくつかの意味があるように思われる。内的必然ともいうべき運命に捕らえられて、故国を離れてパリで暮らすことになった森にとっては、この異郷における自分のありようが、詩篇137篇の望郷の詩人に似ていると感じられたのではあるまいか。
「バビロンの川のほとり、
そこで、私たちはすわり、
シオンを思い出して泣いた。」
もう一つは、森が折々に語るアブラハムのことである。アブラハムはバビロンの川のほとりの町ウルに生まれた。すでに功成り名を遂げてた年齢であったアブラハムは、この川のほとりから、ただ神のことばに応じてどこへ行くのかを知らずに旅立った。フランスに旅立った森有正は、当時すでに東大の助教授の地位にあり、これから後たどるべき道は見えてきていた。森はフランスに自ら進んで旅立ったわけではない。彼は相当の抵抗を感じていたという。客観的にはすでに一家を成した東大助教授の一年間の遊学にすぎなかった。しかし、二度と故国に戻れなくなるのではないかという予感が、彼の内側のもっとも深いところにあったからである。そのもっとも深いところには、自分の生を徹底的に生きたいというデモーニッシュな願いがあった。事実、森有正はその後、パリにとどまることになり、日本での立場も友も失い、二十数年の後にこの地で客死する。
森有正は今はあまり読まれなくなっているようだが、生きることを考える人々の間で読み継がれていくのだろう。