苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

円形脱毛症の話

「あっ!修ちゃんハゲがある。」小学校4年生の1学期の休み時間、同級生にハゲを発見された。
「やーい。やーい。50円ハゲ。」とぴょんぴょん跳ね回り、おどけて騒いだのは、中尾というやつだった。当時の50円玉はニッケル硬貨でずっしり重くて、直径25ミリもあったから、50円ハゲは結構大きなハゲだった。
 円形脱毛症というのは心因性のものである。なんで小学生が髪が抜けるほどに悩んでいたのか、さっぱり原因はわからない。だが、いったん50円ハゲができてしまうと、そのハゲがハゲの原因となってしまった。つまり、はげていることを気に病んでいることが、ハゲが治らない原因になってしまったのだ。私はいつも野球帽をかぶるようになった。そして、学校で椅子にすわっていても頭頂部をのぞかれないように気を遣っていた。母は心配して皮膚科に連れて行ってくれて、軟膏を毎日塗ってくれた。けれども、円形脱毛症は心因性なので、軟膏など効くわけがなかった。今思えば心因性であると知っている医師は気休めになれば、と処方したのだろう。
 円形脱毛症になると、洗髪するたびにごっそりと髪の毛がぬけて排水口にたまるし、毎朝起きると枕や毛布にたくさん髪の毛がくっついている。「一本、二本、三本・・」とまるで番町皿屋敷みたいに数えると、何十本という単位である。いよいよ「僕はまもなくつるっぱげになってしまう」と小さな心を苦しめた。すると、ますます毛が抜ける。
 幸い、4年生の夏、私は引越しすることになって、禿敵(てんてき)の中尾君がいない学校に転向することになった。それでも常にハゲを人に発見されまいとして日々注意を怠らなかった。ただ小学校の近所にあった赤尾という散髪屋に行くと、「ありゃあ。こりゃ大きいなあ。中学に上がる前に治ったらええけどなあ。」とおじさんに言われた。神戸では公立中学は丸坊主と決められていたのである。私はときどき、夢を見た。鏡を見ると、髪の毛が一本もなくなっている。オバQでさえ三本毛があるのに、一本もない。・・・悪夢だった。この悪夢はたしか20歳ころまで時々見たから、ハゲの問題は心の相当深いところの傷になっていたのだろう。50歳を越えた今のハゲと、12歳から思春期の少年のそれとは深刻度がぜんぜん違う。
 ところが新しい小学校で6年生になったとき、授業中に後ろで突然、すっとんきょうな大声がした。
「あーっ!修ちゃん、ハゲがある。」
 凍りついた。今度は藤田というやつだった。彼はあざける調子ではなく、ただ単に大発見に驚いていたのである。クラスが一瞬、シーンとなった。すると、担任の山本敏雄先生が怒鳴った。
「あほ!藤田。ハゲがなんじゃい!」
 山本敏雄先生は、それは見事なはげ茶瓶だったのである。
 そのあと、藤田を含めクラスの誰一人として私のはげをバカにするやつはいなかった。私は、というとハゲのことがみんなに知れ渡って気持ちがさばさばしてしまった。もう隠す必要もなくなったからである。風呂に入って頭を洗うときも、「ハゲがなんじゃい!」と気合をいれてごしごし洗っているうち、最初はごっそり抜けていた毛がいつのまにか抜けなくなって、二ヶ月もしたらハゲはなくなってしまっていた。
 秘すればハゲ。秘せずんばハゲなるべからずであった。ハゲは隠しているから力を持って私を縛っていたが、明るみに出されると、もはやその魔力を失ってしまった。
 あのハゲの第一発見者中尾君はいまごろどうしているだろう。もう熊に食われてしまったのだろうか。それともハゲの仲間入りしただろうか。

 「エリシャはそこからベテルへ上って行った。彼が道を上って行くと、この町から小さい子どもたちが出て来て、彼をからかって、『上って来い、はげ頭。上って来い、はげ頭』と言ったので、彼は振り向いて、彼らをにらみ、【主】の名によって彼らをのろった。すると、森の中から二頭の雌熊が出て来て、彼らのうち、四十二人の子どもをかき裂いた。」Ⅱ列王記2:23-24