「ハゲがなんじゃい!」の山本敏雄先生(7月14日参照)は、小学校の卒業記念アルバムの扉に、「泉は湧き出ずるかぎり泉である」ということばを書いてくださった。書いていただいた当時は、なんのことだかさっぱりわからなかった。高校生の時だったか、国語の先生が「泉」という字は象形文字であると教えてくださって、「白」の下に「水」があるのではなく、大きな岩の下に水があって、その水が下から上へとしみていって、岩の上から噴出しているのであると黒板に絵を書いて説明してくださった。泉とは、「出づる水」の意であるというわけだった。なるほど「泉は湧き出ずるかぎり泉」なんだと理屈がわかった。
信州に越してきて三年目だった。隣村の、今は灯明の湯という温泉施設ができている場所に案内してもらったことがある。当時は、バルブが畑のあぜから突き出していてジャージャーとお湯が噴出して、水路に流れ込んでいた。「もったいないですねえ。なんで閉じないんですか?」と聞いたら、Mさんが「閉じちまったら、水脈が変わって、湯が出なくなっちまうだよ。」と教えてくれた。びっくりした。なるほど!ほんとうに泉は湧き出ずるかぎり泉なんだと胸に落ちたのである。
池のように自分のために溜め込む貧しい人生ではなく、世のため人のために湧き出るような人生を生きてゆけ。そういう願いをこめて、「泉は湧き出ずるかぎり・・・」と山本先生が一人一人の卒業アルバムに書いてくださったのだ。湯気を上げて勢いよく噴き出す温泉を見ながら、そう実感した。
「イエスは答えて言われた。『この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。』」ヨハネ福音書4:13,14
きょう岐阜の長良キリスト教会に出かけ、明日、あさって、創世記からお話させていただこうとしている。長良キリスト教会の増田先生という方も湧き出る泉のような先輩である。
小海小学校への通学路風景。いいところでしょう。
♪こんにちは、スイカちゃん。私がパパよ。すこやかに美しく育てと祈る♪