苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

責任を問うことと人格の尊厳

 愛という行為は、ただひたすら相手をありのままで受け入れることであると思っている人が多い。受容することはたしかに愛の行為である。しかし、人はただありのままを受け入れられるだけで、人格は回復しない。愛には二つの行為が含まれている。ひとつは受容することであり、もうひとつは責任を問うことである。責任を問うとは相手を人格として尊敬することなのである。責任を問わないとは、相手を甘やかすことであり、甘やかすとは相手を一人前の人間と扱っていないことであり、軽蔑することなのである。責任を問われることがないと、人は自分を蔑むようになる。劣等感の虜となる。
受容されつつ、責任を問われること、この一見、矛盾するかに見える扱いの中で人は健全な人格を回復する。私たちをもっともよくご存知の天の父は、そのように私たちを扱ってくださる。