苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

多であること一であること

 父子聖霊の唯一の神が、多様にして一つの世界を創造したと信じているキリスト教会は、世が一斉に「統一性」を強調する時代には「多様性」の重要性を語らねばならないし、世をあげて「多様性」を強調する時代にあっては、「一つ」であることの重要性を語らなければならない。へそ曲がりというのでなく、世に流されずにぶれずに変わらない真理を語り続けよということ。そうでなければ、単なるミーハー、塩気をうしなった塩になってしまう。

 ダイバーシティとか多様性ということばを一日に何度も聞かされる現代にあって、私たちは唯一のものを聖書で確認する必要がある。聖書が教会の土台であり、唯一の物差しだからこの世に調子を合わせてはいけない。ただ、それを個々の状況、当事者に適用するにあたっては、一人一人をたいせつに羊飼いの心をもって、ということである。だが当事者に寄り添うだけでは、多元主義相対主義に陥ってしまうし、彼らを唯一の真理であるお方に導き、救うことはできない。

「この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。」ローマ12:2

 

 「当事者の声を聴くことが大事だ!」と感情的になる人は、頭を冷やしてへりくだって聖書のいう真理は何かに思いをいたすべきであり、「聖書の真理はこうだ!」ということがわかっている人は、心柔らかくして当事者の声に耳を傾け、どうすれば当事者をその唯一の真理に導くことができるかを祈り考えるべきである、ということ。

 

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