苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

教会の改革とは 

 「改革された教会は常に改革され続けなければならない(羅semper reformanda ecclesia reformata)」という標語がある。ある人々は、現代の世の風潮に合わせることが教会の改革だと思い込んでいるようだが、大間違いである。「改革された教会は、常に、神のことばによって改革され続けなければならない(ecclesia reformata semper reformanda secundum verbum dei)」のである。

 それはなにも教会は絶対正しいのだから、一切この世の考え方に耳を傾ける必要がないと言っているのではない。この世の文化と教会の違いが出て来たときには、安易にこの世に同調するのでなく、改めて「違い」を聖書に照らして検証すべきである。その結果、教会のあり方が聖書に適っているならば、この世の文化に合わせてはならない。けれども、時にはこの世の文化と教会のずれを聖書に照らしてみた結果、かえって教会の伝統の方が聖書からずれていたのだということが判明する場合がある。その時には教会は伝統を墨守するのではなく改革すべきである。それはこの世に合わせるのではなく、聖書に自らを合わせているのである。物差しは聖書である。

 一例を挙げてみれば、伝統的教会では礼拝で用いる楽器はオルガンに限られて来た。しかし、1970年頃からギターでゴスペルフォークがつくられるようになってきた。伝統的教会にギターを持ち込むことに眉をひそめる人々が多かった。だが、「きよしこの夜」は最初にギターで奏でられたのだなどという逸話を聞かされたりして、だんだんと馴染んできた。さらに2000年くらいになると、礼拝にドラムス(太鼓とシンバル)が持ち込まれる教会も増えて来た。もし何も考えないで単にこの世に合わせて、そうしたのだとしたら、それは良くない。だが、楽器に関していえば、旧約聖書詩篇150篇3‐5節には次のようにある。

角笛を吹き鳴らして神をほめたたえよ。琴と竪琴に合わせて神をほめたたえよ。
タンバリンと踊りをもって神をほめたたえよ。弦をかき鳴らし笛を吹いて神をほめたたえよ。
音の高いシンバルで神をほめたたえよ。鳴り響くシンバルで神をほめたたえよ。

角笛はトランペットに、笛はフルートやクラリネットに、琴と竪琴はピアノとギター、タンバリンとシンバリンはドラムに当たる。オルガンだけを正当として、こうした管楽器、弦楽器、打楽器を教会から締め出す聖書的な理由はない。ただし、賛美とは音楽をともなった祈りであるから、どんな楽器であれ、祈りの妨げになるような音楽・伴奏はよろしくない。賛美においては、音楽が祈りに先行してはならない。ことばによる祈りを支えるのが、礼拝における音楽の役目である。賛美のことばに相応しいメロディや伴奏でなければならない。

 だが、この世の風潮と教会のあり方のずれを聖書に照らしてみた結果、この世の風潮の方が聖書から外れていることが明かならば、この世と調子を合わせてはいけない。この世と調子を合わせると、教会は塩気を失った塩になってしまう。最近この世の裁判官が同性間の結婚を禁じることは憲法違反であるという判決を出した。裁判官がこの世の風潮に流されて、神の戒めに背いているのである。聖書の結婚観は、創世記1章、2章にあるとおり、男と女が結ばれることを意味している。さもなくば「産めよ、ふえよ」とは言われなかった。

「神は仰せられた。『さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。』神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。増えよ。地に満ちよ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地の上を這うすべての生き物を支配せよ。」」創世記1:26-28               

「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである。」

                             創世記2:24

 

1,ですから、兄弟たち、私は神のあわれみによって、あなたがたに勧めます。あなたがたのからだを、神に喜ばれる、聖なる生きたささげ物として献げなさい。それこそ、あなたがたにふさわしい礼拝です。
2,この世と調子を合わせてはいけません。むしろ、心を新たにすることで、自分を変えていただきなさい。そうすれば、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に喜ばれ、完全であるのかを見分けるようになります。

                               ローマ12:1,2