昨日から北海道聖書学院で終末論の授業で、第一回目は古代・中世・近世の終末の信条をザーッと見て、ウェストミンスター大教理問答に感動しました。
問85 死が罪の支払う報酬であるのなら、なぜ義人は、そのすべての罪がキリストにおいてゆるされているのに、死から解放されていないのか。
答 義人は、終りの日に死そのものから解放されるし、死にあっても、死のとげとのろいから解放されている。それゆえ、彼らは死にはするが、それは神の愛から出るのであって、罪と悲惨から彼らを全く自由にするため、また栄光におけるさらに深いキリストとの交わりを可能にするためであり、彼らは死に際して、それにはいるのである。