苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

イラン戦争と義戦論


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1 問題の整理

 今般のトランプ政権のイラン攻撃には3つのことが絡んでいる。(2026年4月11日追記4つ)

 第一はイランの核兵器開発を阻止する安全保障の問題である。北朝鮮が核開発をするのを止め損ねた結果、北朝鮮が核保有をするようになってしまったから、イランに関して同じ轍を踏むわけには行かないというのが、トランプの一番の動機とされている。先に核関連施設は破壊したのだが、なお核兵器開発を進めようという意思をイランの指導部が持っていたことは否定できない。というのは、発電用のウラン濃縮は3~5%でよいのに、彼らはウラン濃縮を60%までして、兵器用90%に迫っていたからである。

 第二に、人道的な問題である。私たちはトランプ政権が先制攻撃をしてイランの最高指導者たちを殺害したというので、イラン人はみな怒り悲しんでいるのかと思ったら、意外なことに、専制独裁政権が去ったことを狂喜乱舞しているイラン人が多くいるという情報が入って来る。イラン政府の民主化弾圧の歴史は長いが、弾圧で殺害された市民の数は、政府発表で3千人、人権団体の発表で7千人から7万人とされている。トランプがこの戦いは市民の解放のためだと言うのは攻撃正当化の口実ではあるが、嘘ではない。これは上の映像を見てもわかる。
 だが過去、米国が人民解放のための内政干渉の例を振り返れば、イラクでは結果は国家の崩壊であり、リビア戦争の結果は内戦であり、アフガンではタリバンが復活していて、良い結果を生んでいないことも事実である。

 また人道的な問題ということについていえば、戦争という手段を取ると、どうしても誤爆などが起こり被害者が出ることも問題である。今回もトランプの攻撃によって、イランの小学校に誤爆して死者が出ているという報道がされている。ただし、くだんの小学校はイラン革命防衛軍の拠点とされていたという情報もある。

 第三に、トランプが行なった先制攻撃は、明白な連憲章違反だということである。スペインなどは、この点を厳しく追及し、領土内の基地使用を拒否している。日本でも、野党は政府に対して、この国連憲章違反の問題を中心に追及している。力による現状変更を否定するという原則を明言してきた日本政府は、その物差しをトランプにあてるなら、否定しなければならないのだが、トランプの隣で跳ねて喜んでいた首相にそれができるのか。

(第四は、追記2026年4月11日)

 第四は、ネタニヤフ個人、トランプ個人の都合の問題である。ネタニヤフは現在、汚職問題で3つの裁判に訴えられていて、有罪になる可能性が高く、有罪となれば懲役12年となろうとしている。だが戦争をすることによって、国家を危機的状況に置き、かつ「宿敵イランに対する勝利者」となることによって、間もなく行われる総選挙に勝って自分に有利な人に大統領になってもらって、恩赦を得たいからである。

 他方トランプの個人的都合というのは、いわゆる「エプスタイン文書」問題であるる。エプスタインは世界の権力者・富豪数千人を相手に少女売春にツアーに招き、そのビデオを撮り、それをネタとして彼らを脅迫しコントロールしていた。その証拠をネタニヤフはモサドを介して手に入れていて、トランプを脅したので、もともとイランと戦争する気のないトランプも従わざるを得なかったのであろう。

2 キリスト教神学史における義戦論

(1)ミラノ勅令以前
 キリスト教神学の歴史には戦争の問題がある。コンスタンティヌス大帝がミラノ勅令でキリスト教を公認するまで、キリスト教徒はいわば帝国の体制の外に置かれていたので、二つの理由で兵役を拒否したケースが多い。一つは兵士の宣誓には偶像崇拝が伴っていたこと、もう一つは兵役に伴う殺人・強奪・破壊行為などの悪行である。残された文書ではどちらを理由に兵役を拒否して処刑されたか、判然としない。

(2)ミラノ勅令後
 ミラノ勅令後、キリスト教は国家体制内の宗教となり、テオドシウス1世がキリスト教を帝国の宗教としてのちは、キリスト教徒以外は兵士から排除されることになる。体制内にいるようになれば、体制を維持する責任を負うことになったのである。
 アウグスティヌスは義戦論(just war)をはじめて論じた人である。当時、ドナティストの中の先鋭化した人々がカトリック信徒を殺害することは聖戦(holy war)であるとしてテロ行為に走るようになったとき、アウグスティヌスは政府に兵士を要請したのである。聖戦と義戦は全く異なる概念である。聖戦とは、宗教戦争とも呼ばれるが、神がお命じになった戦争であり、その意味についてさまざま解釈されているが、筆者としては、現時点では、歴史の終わりにおける神の裁きの予表だとする解釈が穏当ではないかと思う。聖書が聖戦と認めているのは旧約時代のヨシュア記における戦いである。新約時代、神の民は世界のあらゆる民族から選び出されるようになったから、聖戦はありえない。過去にキリスト教会が十字軍を聖戦としたのは、大きな過ちである。

 これに対して義戦とは、やむをえず遂行される必要悪としての戦争である。彼が義戦の条件としたのは、以下のようなことである。

①正当な権威によらない戦争は禁止
 私人・私的集団による武力行使は否定され、私的復讐・暴動・反乱は不正義である。
②正当な理由(causa iusta)を欠く戦争は禁止
 正当な理由とは、自衛・不正の是正・秩序の回復である。領土拡張・栄光・名誉・利益獲得は正当な理由とされない。戦争は「害を受けたことへの応答」に限定される。
③先制・予防戦争への強い警戒
「恐れ」や「推測」に基づく開戦を危険視する。
動機に関する制限(内面的条件)
④愛を動機とせず、怒り・憎しみ・残虐性を動機とする戦争は義戦ではない。
⑤愛を動機とし、敵の矯正・悔い改めを目的とすべきである。
⑥戦争の遂行に関しては、残虐行為は禁止されるべきである。不必要な殺害、虐殺、略奪、破壊のための破壊は禁じられる。戦争中であっても、残虐性は常に罪とされる。
⑦勝利そのものを目的とすることは禁止される。勝利は「手段」であって「目的」ではない。勝利への陶酔は魂を腐敗させて、罪を犯させる。
⑧非戦闘員保護の倫理的に要請する。
* 戦争は社会秩序回復のための限定的行為である。
⑨戦争は「平和のための不幸な手段」であるから、平和回復を目的としない義戦はない。
⑩敗者への復讐的処遇の禁止
戦争は常に罪の結果であり、正義の戦争であっても「悲しむべきこと」である。
戦勝を誇ること自体が神学的に倒錯している。
⑬義戦であっても、戦争に従事することが功徳となり、救済を保証することはない。信仰の義と、義戦における義は別次元のことである。

 3点に整理してみる。
 第一に、戦争の目的が正当でなければならない。領土的野心や名誉欲が目的ならば、それは正義の戦争ではない。
 第二に、正しい戦争は合法的権力によって実施されなければならない。個人による復讐を禁じる。
 第三に、戦争において暴力を避けることはできないとしても、愛の動機が中心でなければならない。

 中世のトマスと宗教改革者もおおよそこの線にのっとっている。

 

(3)非戦の思想

 アナバプテストの伝統の中に非戦論がある。背景には、この世とその統治者は悪であるから、キリスト者はこれに極力関わるべきではないとし、役人となることを禁止する二元論的思想がある。
 近代国民国家の成立と、科学技術の急速な進歩によって、近代の戦争は総力戦化し、核兵器による人類滅亡という危険性が出て来たので、もはや義戦論は意味がないのではないかという時代となった。それによって絶対非戦という主張が先の世界大戦後、見直されるようになってきた。我が国のキリスト教史上、非戦の主張を明確にしたのは、柏木義円牧師である。

 

3 では、今回のイラン戦争は?

 国連は自衛権の正当性を認めているから、非戦思想に立つわけではなく、義戦がありうるという立場である。今回のイラン戦争は義戦かどうかということが問われる。

 第一の目的の正当性についてはどうか。核拡散の防止(安全保障)、暴政からのイラン国民の解放という2点に関しては、義戦とみなされる可能性はなくはない。

 だが、報道されているように、標的にしたわけではないとは思うが、小学校への誤爆によって民間人にも多くの犠牲が出ている。戦争という手段を取ると、どうしても避けられないから、道義的問題は避けられない。

 第二の合法的権力についてはどうか。現代世界で国際紛争を治める正当な権威は、国連安全保障理事会であり、正当な理由は自衛権の行使の場合である。国連決議がない今回の場合、国際法上の正当性が認められない。米国とイスラエルは、イランが核兵器を開発したらイスラエル、米国の安全が脅かされるから自衛権を行使したのだと主張するのだが、窮迫している事態でないので、その主張を認めることはむずかしい。
 第三の愛の動機はどうだろう・・・。トランプ氏には領土的野心、金銭的野心、名誉欲といったものが皆無であり、純粋に愛の動機で今般の戦争は始めたのか。なんでもDEAL(取引)という考え方をする商売人の大統領を見ていると、疑問である。

 

 キリスト教の伝統は、戦争を完全に否定することも、無条件に正当化することもしない。戦争は時に避けられないことがあるとしても、それは常に「平和のための悲しむべき手段」である。ゆえに私たちは、いかなる戦争においても熱狂するのではなく、神の前でその正義と結果をきわめて慎重に問わなければならない。