苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ヤコブの純情

29:5 それでヤコブは、「あなたがたはナホルの子ラバンをご存じですか」と尋ねると、彼らは、「知っています」と答えた。
29:6 ヤコブはまた、彼らに尋ねた。「あの人は元気ですか。」すると彼らは、「元気です。ご覧なさい。あの人の娘ラケルが羊を連れて来ています」と言った。
29:7 ヤコブは言った。「ご覧なさい。日はまだ高いし、群れを集める時間でもありません。羊に水を飲ませて、また行って、群れをお飼いなさい。」
29:8 すると彼らは言った。「全部の群れが集められるまでは、そうできないのです。集まったら、井戸の口から石をころがし、羊に水を飲ませるのです。」

  29:9 ヤコブがまだ彼らと話しているとき、ラケルが父の羊の群れを連れてやって来た。彼女は羊飼いであったからである。
29:10 ヤコブが、自分の母の兄ラバンの娘ラケルと、母の兄ラバンの羊の群れを見ると、すぐ近寄って行って、井戸の口の上の石をころがし、母の兄ラバンの羊の群れに水を飲ませた。 29:11 そうしてヤコブラケルに口づけし、声をあげて泣いた。(創世記29:6−11)

 純情などということばはヤコブに最も似合わない言葉ですが、この箇所にはまだ若かったヤコブの姿が描かれています。家を出奔して恐ろしい荒野を一人旅をして、ようやくたどりついたカランの井戸端で、彼はラケルちゃんと出会うのです。ヤコブはやんわりと、人払いをしようとしますが(7)、それはうまくゆきませんでした(8)。
 ラケルが羊の群れを連れてやってきました。ヤコブは一目ぼれしてしまいます。彼は、幼いころから母が祖父アブラハムのしもべのラクダにも水を汲んであげた親切が、父イサクとの結婚への決め手になったことを何度も聞かされたのでしょう。ヤコブは、普通数人で動かす大きな石をアドレナリンを分泌し一人で動かして、ラケルの羊の群れに水をやったのでした。それが終わると、いきなりラケルに抱きついて接吻し、そうしたら旅の緊張が急に解けたのでしょう、オイオイと泣いたのでした。
 ヤコブにもこんな純情なところがあったのか、まだ若いなあと思わせられる記事です。