苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

神の器の完成

47:7 それから、ヨセフは父ヤコブを連れて来て、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。
47:8 パロはヤコブに尋ねた。「あなたの年は、幾つになりますか。」
47:9 ヤコブはパロに答えた。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
47:10 ヤコブはパロにあいさつして、パロの前を立ち去った。
47:11 ヨセフは、パロの命じたとおりに、彼の父と兄弟たちを住ませ、彼らにエジプトの地で最も良い地、ラメセスの地を所有として与えた。
47:12 またヨセフは父や兄弟たちや父の全家族、幼い子どもに至るまで、食物を与えて養った。(創世記47:7−12)


 今夕は、老ヤコブがこの世の権力者パロを祝福し、そして語った一見、単なる年寄りの愚痴とも見過ごされてしまうようことばを中心としてみことばを味わいたい。そして、陶器師でいらっしゃる主なる神様が、ついにヤコブというご自身の器を完成されたことを見たいと思うのです。


1.ヤコブはパロを祝福した

 飢饉に襲われたカナンの地からヤコブの一族が到着しました。兄弟たちはパロに引き合わされました。パロは当時の世界における最大の権力者です。そして、ヨセフの兄弟たちは自分たちが羊飼いを生業としていることを述べ、旱魃のなかでも比較的水に恵まれ牧草豊かなゴシェンの地に住まわせていただけるようにお願いしました。パロは快くゴシェンの地をヤコブ一族にゆだねました。以上が1節から6節。
 そのあと、ヨセフは父ヤコブをパロのところにつれてきます。このとき、実に、ヨセフも周囲の人々も、そしてパロもあっと息を呑み目を丸くするようなことが起こったのです。7節。「それから、ヨセフは父ヤコブを連れてきて、パロの前に立たせた。ヤコブはパロにあいさつした。」
 残念ながら新改訳では「あいさつした」と訳されているのですが、これは「祝福した」と訳したいことばバラクです。文語訳で見ますと「ヨセフまた父ヤコブを引入りパロの前に立たしむ ヤコブパロを祝す」とあり、口語訳ですと「ヤコブはパロを祝福した」とあり、「ヤコブはファラオに祝福のことばを述べた」とあります。「祝福した(バラク)」です。「天地を造られた主なる神から、パロよ、汝の上に豊かな祝福があるように。」と老ヤコブは手を上げてパロに神からの祝福を授けたのでした。
 ヨセフは「あっ、しまった。」と息を呑み、パロの家臣たちも、驚いたでしょう。というのは、当時の常識として「下位の者が上位の者から祝福される」(ヘブル7:7)からです。エジプトは当時オリエント世界において最大の国家でした。ピラミッドや巨大建造物に象徴される古代エジプト王国の文明のすばらしさは、今日もなお驚異の的です。ましてヤコブの時代にあってエジプトの栄光はどれほどだったでしょう。そして、パロはこのエジプトに君臨する祭司王です。パロは太陽神ラーの息子とされたのです。当時のオリエント世界ではパロこそは最高位の祭司です。ところが、辺境のカナンから飢饉で逃れてきた羊飼いの難民の棟梁にすぎない、一人の老人が、あろうことかパロを祝福してしまったのです。驚かないものがありましょうか。下手をすると無礼打ちになりそうなところですが、パロを含めその場にいる人々は息をのむだけでした。

 とはいえ、ヤコブは自分こそは、まことの神のしもべであると気負ってパロを祝福したわけではありません。「自分は食料もなくなった惨めな一族の族長にすぎないけれど、ぼろは着てても心の錦だ、卑屈にはなりたくない。たとえ最大の権力者パロの前でも誇り高く振舞いたいものだ。」そんな気負いをもってパロの前に出て芝居がかった祝福を祈ったわけではないのです。彼は神の器でしたから、神は自分を通して世を祝福なさることをよく知っていましたから、「パロよ、あなたに天地の主から祝福あれ」とごくごくあたりまえのこととして祈ったのです。
 若いパロは白髪の老人ヤコブの祝福の祈りに、気をのまれたようです。通常ならば、「ええい下がれ。無礼者。そちは、朕をなんと心得る。われこそは、太陽神ラーの子、パロなるぞ。そちを祝福するのが朕である。」と叫んだところでしょう。しかし、このときパロは「ご老人、お年はいくつになられますか。」とたずねただけです。静かな霊的な権威がヤコブからは感じられたのです。


2.年寄りの繰言か、神の人のことばか

 パロの質問に対するヤコブの返事がいい。実にいい。「私のたどった年月は百三十年です。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、私の先祖のたどった齢の年月には及びません。」
 ちょっと聞けば、ただの年寄りの繰言ですが、前後の文脈をあわせて味わうと、なんともいいことばです。
 もしヤコブの中に変な気負いがあって、あのパロに対する祝福をしたのだとすれば、決してこんなことばは彼の唇から出なかったでしょう。「天地の主から、あなたの上に祝福があるように。」と言っておいて、「私の齢はわずかで、ふしあわせで・・・」とはいかにも矛盾しているように感じられるでしょうから。もしヤコブが気負っていたならば、虚勢をはって、「パロさまはいかにもお若い。わしは百三十歳になります。これまでの人生は、実に神様の祝福に満ちていました。」とでも言ったにちがいありません。あるいは「この年になるまで、わたしもいろいろ苦労しましたが、私は実にしあわせでした。」とでもやせがまんでも虚勢を張ったでしょう。

 かつてのヤコブは勝てる相手だと思えば策略をめぐらして相手より優位に立とうとし、もし相手が強くて勝ち目がないとすれば、きわめて卑屈な態度をとるかのどちらかでした。ヤコブは兄エサウが自分よりもお人よしで鈍い男だと見た時には、策略をめぐらして兄を出し抜いて優位に立とうとしました。しかし、兄エサウの殺意を恐れてふるさとから遠ざかってから20年ぶりに故郷に帰ったとき、兄エサウが圧倒的に武力があるとなると兄を恐れて「私はあなたのしもべです。あなたの顔を神の御顔を見ております」などと歯の浮くようなおべっかを言ったことです。このようなヤコブの生態を見ると、今回のような場合には、かつてのヤコブならパロに対しては、まさにこういうときこそ、「しもべはあなたのお顔を神の御顔を見るように見ております。」などとおべっかを使うべきところでしょう。
 けれども、ヤコブはこのたびはあの権力者パロの前に出て、パロに天地の主からの祝福があるように静かな権威をもって祈り、また、年を聞かれるとなんのことばを飾ることもなく、「私の齢の年月は百三十年。私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで、先祖たちのたどった齢の年月にはおよびません。」と言いました。それが事実だったからです。
 ヤコブのたどってきた人生を、振り返ると、「ほんとうにそうだなあ。ヤコブの人生はしあわせなんてものではなかったなあ。実にふしあわせだったなあ。」とうなずいてしまいます。生まれる前から、ヤコブは争っていました。兄エサウとお母さんのおなかのなかで喧嘩していたのです。生まれ出てくるときも先を争いました。長じては兄をだまして長男の権利を奪い取り、後には父までもだまして兄への祝福を奪い取ってしまいました。このことからヤコブは兄にいのちを狙われる身となり、おじラバンのところでだまされて14年間ただ働きをさせられます。ラバンおじとの間にはかけひきや争いが満ちていました。
 家庭についてはどうか。ヤコブは四人の妻を持ち十二人の子供をもうけましたが、一夫四妻というありかたが、その家庭に不幸を招きます。妻たちの嫉妬と憎しみのなかにヤコブはずっと翻弄されつづけました。子供たちの間にも争いが満ちていました。
いよいよふるさとに帰ることになりました。ヤコブは兄エサウとの再会を恐れていました。兄エサウとは仲直りできたものの、直後最愛の妻ラケルが一人の子供を産んで死んでしまいます。 
 ヤコブラケルの忘れ形見ヨセフを猫かわいがりし、偏り愛します。その結果、兄たちはヨセフをねたみ憎むようになります。そして、兄たちはヤコブのいのちとも宝ともいうべき息子ヨセフを奴隷商人に売り飛ばし、父ヤコブに対しては野獣に八つ裂きにされたらしいとうそをいいました。ヤコブはヨセフは死んだものとばかり思い込んで、失意のどん底に晩年をすごさねばならなかったのです。
ですからヤコブが「私の齢の年月はわずかで、ふしあわせで・・・」というのは、もっともなことでした。ヤコブの生涯は実際、争いと悲しみに満ちていたのです。そして、ヤコブはその事実を、たいへん率直に認めているのです。

神様は130年ヤコブを取り扱ってこられました。陶器師が粘土を自分の望む器に作り上げるように、主はヤコブを長い年月をかけてご自分の器として作り上げてこられました。そして、ここに完成した姿を見るのです。かつてのヤコブは自我にとらわれた人でした。ヤコブが欲していたのは神の祝福ではありましたが、その祝福を自我の力で獲得しようとしたのです。だから彼はいつも人と争っていました。ヤコブは自我の人でしたから、いつも人との勝ち負けという観念の虜でした。勝てる相手にはひそかな優越感をいだき、勝ち目のない相手には卑屈なまでに手練手管を用いたのでした。
今、ヤコブは神の御手によって自我を徹底的に打ち砕かれました。そのとき、ヤコブは人に劣等感をいだいて卑屈になる必要がなくなりました。また人に対して優越感をいだく必要も、虚勢を張る必要もなくなりました。ヤコブには虚栄も策略も必要なくなりました。彼は神がたまわった神の祭司としての任務ゆえに、相手が誰であれ、その祝福のために手を上げて祈るのです。またヤコブは虚飾も自慢もなく「私の人生はふしあわせな人生でした。(それは神の御手があまりにも我の強い私をくだいてくださるためでした。)」と率直に語る人となったのです。

自分がふしあわせであったということを率直に認めるということは、実はなかなかできないことなのではないでしょうか。悲しみは悲しみとして受け止め、喜びは喜びとして受け止め、苦しみは苦しみとして受け止めるということ。あるがままの人生を受け入れること、こういうことが実はたいへん難しいことのように思います。そうすることができないと、どうしても生き方に無理が出てくる。
 こんな不平とも繰言ともつかないようなことばですけれど、ヤコブにとってみれば、それは自分におけるうれしかったことだけでなく悲しかったことも苦しかったことも、みんな人生を神の御手のなかにあったのだとして、受け入れたことばなのでしょう。
 自分の人生を受け入れるということ、これはたいへんたいせつなことなのです。それは、摂理者・配剤者である神をしることによってこそできます。
10節 「そして、ヤコブは再びパロを祝福してパロの前を立ち去りました。」
 ヤコブは、自分が祖父アブラハム、父イサクの約束を相続した神の器であることをはっきりと自覚していました。自分が不幸せだったとかいうことはそれとして、自分はたしかに世にあって神の器であり、神はその祝福とのろいを、自分を通して世にもたらしたまうということを認識していたのです。
 主はヤコブの祖父アブラハムにおっしゃいました。「あなたを祝福するものをわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族はあなたによって祝福される。」(創世記12:3)
 この約束をヤコブは祖父アブラハム、父イサクから受けついだのです。


結び
 私たち一人一人も小なりとはいえ神様の器です。神様の祝福の通り管として選ばれたものです。人々の祝福のために祈りたい。
 また私たちの人生は主の御手のうちにあります。うれしかったことばかりでなく、悲しかったこと苦しかったことも、主の御手のうちにあってのことです。自分が主の御手のうちにあると知れば、誰と比べることもありません。主をあがめ、主を恐れて、主のしもべとして生きるとき、私たちは人を恐れる必要もこびる必要もなく、自由な人として生きることができます。