苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン11月24日  愚か者は心の中で

詩篇14篇3節
口語訳
彼らはみな迷い、みなひとしく腐れた。
善を行う者はない、ひとりもない。


新改訳
彼らはみな、離れて行き、だれもかれも腐り果てている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。


新共同訳
だれもかれも背き去った。
皆共に、汚れている。
善を行う者はいない。ひとりもいない。

 ローマ書に引用されているこの詩篇の一部をはじめて読んだとき、衝撃を受けたことを思い出す。自分は善人だと思っている無神論者から。だが、冒頭「愚かな者は心のうちに『神はない』と言う。」(口語)に始まるこの詩篇全体を読むと、これは無神論者一般に対する非難の詩篇ではないようだ。「彼らは物食うようにわが民をくらい、また主を呼ぶことをしない。」(口語)とあるように、主の民を食い物にしているイスラエルの悪しき為政者たちに対する非難のことばである。神権政治が行われるイスラエルで、彼らはもちろん表立って「神はいない」などとは言わない。安息日には、きちんきちんと神殿を訪ねて敬虔そうに礼拝するのである。しかし、「心のうちに『神はいない』」と言っているというのである。そういう人々を主は忌み嫌い、かえって虐げられる「貧しい者」とともにおられる。
 聖書はまことに不思議な書物だと思う。神権政治が行われていた社会での聖典といえば、神権政治を行う為政者の行動を正当化するためのことが書かれていそうなものなのに、実際は、逆なのだ。