苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン7月15日(水)

詩篇146:3
口語訳
もろもろの君に信頼してはならない。
人の子に信頼してはならない。

新改訳
君主たちにたよってはならない。
 救いのない人間の子に。

新共同訳
君侯に依り頼んではならない。人間には救う力はない。
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 口語訳が妙である。「救い」の語がない。
 それはともかく、この国の為政者たちのめちゃくちゃな動きを見ると、ほんとにそうだなーと思わせられる一句。
 君主たちに頼るべきでない理由はなにか。それは次節。「その息が出ていけば彼は土に帰る。その日には彼のもろもろの計画は滅びる」からである。「多数は取った、わが世の春だ」とやりたい放題の反知性主義の「君主たち」の息は出て行き、その計画も亡びる。
 

「146:5ヤコブの神をおのが助けとし、
その望みをおのが神、主におく人はさいわいである。」

追記
「ナーディーブ」にあてた、新改訳の「君主たち」という訳語はいただけない。
理由:「君主」は世襲により国家を治める最高位つまり王を意味する。この詩篇は、イスラエル以外の国々に向けて書かれたのでなく、イスラエルの民に向けて書かれていると思われる。だとすれば、「君主」は単数であって複数のはすがない。したがって、ナーディーブはイスラエル国内の有力者・領主たちを意味していると考えるべきだろう。よって、訳語としては「もろもろの君」(文語、口語)か、「君侯」が正解だろう。あるいは「諸侯」がよいのではないか。
 ただ、イスラエルに諸部族はあったものの、封建制時代のような諸侯にあたるものがいたのかというと、旧約聖書を読んでいてもよくわからない。