苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

ローズンゲン10月2日  受難・信頼・宣教

詩篇22:22
口語訳
わたしはあなたのみ名を兄弟たちに告げ、
会衆の中であなたをほめたたえるでしょう。


新改訳
私は、御名を私の兄弟たちに語り告げ、
 会衆の中で、あなたを賛美しましょう。


新共同訳
わたしは兄弟たちに御名を語り伝え
集会の中であなたを賛美します。(22:23)

 詩篇22篇は、1節「わが神、わが神、なにゆえわたしを捨てられるのですか。」に始まり、17,18節「悪を行う者の群れがわたしを囲んで、わたしの手と足を刺し貫いた。わたしは自分の骨をことごとく数えることができる。彼らは目をとめて、わたしを見る。彼らは互にわたしの衣服を分け、わたしの着物をくじ引にする。」と展開する、キリストの十字架刑の受難を詳しく預言する詩篇である。
 だが、その受難の預言のあとに、神が彼を決して見捨てないという信頼が力強く語られて、本日の23節「私は御名を私の兄弟たちに語り伝えよう」と急展開する。イエスは、苦しみの只中で、神への信頼ゆえに復活の希望、それを宣教する日を見た。

信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。(ヘブル12:2)