苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

金銭還元論者ユダ

ずいぶん以前読んだ本に、「実在論的還元主義」の問題性を指摘したマッカイという英国人が書いたものがあった。彼は実在論還元論者を「でしかない屋」と呼ぶ。人間の宗教的行動は人間の道徳的行動でしかない。人間の道徳的行動というのは生物の種の保存のための行動でしかない。生物種の保存行動は、生物体内の化学変化でしかない。生物体内の化学変化は物理現象でしかない・・、結局、すべては物理現象でしかない。と、このように、より低い次元に還元して事柄の真相がわかったつもりになるのである。

実在論的還元主義は、たとえていえば、「スカッとさわやかコカコーラ」という電飾看板を指して、「あれは一万個の電灯の明滅でしかない。」として、「スカッとさわやかコカコーラ」というサインは幻想であると言っているのである。愚かなことである。この世界ははさまざまな意味の次元の層を成していて、それぞれの次元において意味があるということを、還元論者は見落としているのである。すべての次元の意味の層が把握できたとき、現実の具体的な認識ができたことになる。

主イエスが十字架を前にしてベタニヤのマルタ、マリヤ、ラザロの家を訪ねたとき、マリヤが主に高価なナルド油を注いだという出来事があった。このときヨハネ福音書によれば真っ先に「これを売れば300デナリになるのに。」と彼女を非難したのが、イスカリオテ・ユダであった。

私は、ここにマリヤの主に対する愛・献身を、300デナリに還元してしまったユダの金銭還元主義という問題性を見る。そして、ユダだけでなく、金銭というものにすべてを還元してしまうとき、世界は実に味気ないものになってしまうことを思う。Aさんの愛は10万円、Bさんの愛は7万円、・・・・というぐあいに。マモニズムこそ、現代における最大の偶像であろう。

偶像というのは神に代わるものである。神のみがすべてのものに価値付けをする資格と力を持つのだが、金銭はあたかも神のようにすべての物に価値付けをしているのである。そうそう『エンデの遺言』という本には、お金の物神性について目を開かれるようなことが書かれていました。NHK出版から出ています。お奨めです。