「この人は大工の子ではないか。母はマリヤといい、兄弟たちは、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではないか。」(マタイ13:55)
二千年前、イエス様は、この世界に人となって来られるにあたって、「大工になりたい」とお考えになった。そのわけは、父のみこころにしたがって世界を造られた御子はものづくりが大好きでいらっしゃるからである・・・と思う。
1:1初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。 1:2この言は初めに神と共にあった。 1:3すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。(ヨハネ福音書1:1−3)
1:15御子は、見えない神のかたちであって、すべての造られたものに先だって生れたかたである。 1:16万物は、天にあるものも地にあるものも、見えるものも見えないものも、位も主権も、支配も権威も、みな御子にあって造られたからである。これらいっさいのものは、御子によって造られ、御子のために造られたのである。 (コロサイ1:15,16)
これら新約聖書の章句の背景には、旧約聖書創世記1章はもちろんだが、箴言の知恵にかんする章句もあっただろう。
8:22 【主】は、その働きを始める前から、
そのみわざの初めから、わたしを得ておられた。
8:23 大昔から、初めから、大地の始まりから、
わたしは立てられた。
8:24 深淵もまだなく、水のみなぎる源もなかったとき、
わたしはすでに生まれていた。
8:25 山が立てられる前に、丘より先に、
わたしはすでに生まれていた。
8:26 神がまだ地も野原も、
この世の最初のちりも造られなかったときに。
8:27 神が天を堅く立て、
深淵の面に円を描かれたとき、
わたしはそこにいた。
8:28 神が上のほうに大空を固め、
深淵の源を堅く定め、
8:29 海にその境界を置き、
水がその境を越えないようにし、
地の基を定められたとき、
8:30 わたしは神のかたわらで、
これを組み立てる者であった。
わたしは毎日喜び、いつも御前で楽しみ、
8:31 神の地、この世界で楽しみ、
人の子らを喜んだ。
(箴言8:22−31 新改訳)
この箴言8章30節、31節を読むとき、まだ小さなイエス様が、養父ヨセフの仕事場で、木片で積み木をしている場面、また、少年になってヨセフの役に立つようになってものを造っている場面と重なって見えてくる。