都市生活をしていたころ、生活はいかにも抽象的だった。なんでもお金という抽象的なものに置き換えられていたからである。田舎に暮らすようになって、生活の具体性というものが見えてきた。食べること一つとっても、ちゃんと土を耕して種をまいて、水をやって、草取りをして、そうして収穫して、そうして料理して口に入れるというのが食べるということなのだという、ほんとうは当たり前のことを初めて知った。
4月19日の説教で触れた、「二振りの剣」の理解は、そんな日常から初めて出てきた。
このことばは中世の教会では、キリストが教会に教権(みことばの剣)と王権(警察権)の両方を託されたという意味だと、ひどい解釈がなされたことであった。