苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

三つの次元

 先日、美的段階、倫理的段階、宗教的段階という、キルケゴールにおける実存の三段階説というのを少しばかり書きました。似たことをパスカルは、身体のordre、精神のordre、愛(知恵)のordreということばで表現しています。ordreはたいてい「秩序」と訳されているのですが、むしろ内容的には「次元」と訳したほうが現代日本語にはぴたりと来る感じがします。

身体から精神への無限の距離は、精神から愛への無限大に無限な距離を表徴する。なぜなら、愛は超自然であるから。
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この世の偉大のあらゆる光輝は、精神の探求にたずさわる人々には光彩を失う。
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精神的な人々の偉大は、王や富者や将軍やすべて肉において偉大な人々には見えない。
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神から来るのでなければ無に等しい知恵の偉大は、肉的な人々にも精神的な人々にも見えない。これらは類をことにする 三つの秩序である。

(L308,B793前田陽一/由木康訳)

 十字架につくべき日が近づいていたころ、主イエスエルサレムにほど近いベタニヤ村のマルタ、マリヤ、ラザロの家を訪ね、弟子たちと食卓を囲んだことがありました。イエス様はエルサレムで近々メシヤ宣言をなさるに違いないという期待感で弟子たちは沸き立つ思いをしていたようです。けれども、主は深い悲しみをうちに秘めておられました。主の悲しみに気づいたのはマリヤひとりだったようです。
 マリヤは、あるいは花嫁道具だったのでしょうか、宝物のナルドの香油の石膏の壷を割り、惜しげもなく主の頭に注ぎました。部屋はその香りに満ちました。そのとき、イスカリオテ・ユダは言いました。「ああもったいない。この香油を売ったならば300デナリ以上に売れて、貧しい人々に施しができただろうに。」そして、ユダの立派そうなことばを聞いたほかの弟子たちもいっしょになって、マリヤを非難しました。
 しかし、主イエスはおっしゃいました。「そのままにしておきなさい。なぜこの人を困らせるのですか。わたしのために、りっぱなことをしてくれたのです。貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。しかし、わたしは、いつもあなたがたといっしょにいるわけではありません。この女は、自分にできることをしたのです。埋葬の用意にと、わたしのからだに、前もって油を塗ってくれたのです。
 まことに、あなたがたに告げます。世界中のどこででも、福音が宣べ伝えられる所なら、この人のした事も語られて、この人の記念となるでしょう。」
 マリヤの香油注ぎの出来事は、キルケゴールで言えば倫理的段階と宗教的段階の断絶、パスカルでいえば精神の次元と愛の次元の隔たりが露わになった出来事ではないかと思います。そして、マルコ伝14章1節から11節の書き方は、この出来事がイスカリオテ・ユダを敵のもとに走らせた引き金となったことを示しています。ユダは主イエスのおっしゃることが理解できない、ついて行けないと感じたのでしょう。これはたいへん深刻な問題です。