苫小牧福音教会 水草牧師のメモ

聖書というメガネで、神が造られた世界と人間とその歴史を見てみたら、という意識で書いたメモです。

金持ちと乞食ラザロの話(ルカ16章)で気づいたこといくつか


1.主イエスはたとえ話で個人名を入れないのに、この話ではラザロという名が入っています。→これはたとえでなく、実際にイエス様が知っている出来事なんでしょう。

2.金持ちは名前は名無しで、乞食はちゃんと名があることにも考えさせられます。これはこの世では逆ですね、普通。→ラザロは神に知られていたということ

3.ラザロは単に「死んだ」とあり、金持ちは「葬られた」とあること。→ラザロはただ遺体が片付けられたのだけれど、金持ちはたいそうな葬式をしたのでしょう。しかし、葬式の立派さ粗末さと永遠の運命は比例せず、時に反比例する。

4.ハデスの金持ちは、主のみもとのアブラハムに対する訴えにおいて、ラザロを遣わして金持ちの舌を冷やしてくれるよるように頼みました。金持ちは「ラザロ」と名指したのです。金持ちはラザロと知り合いだったのでしょう。知り合いでありながら、門前で餓死する彼を無視したところに、彼の残忍さが現われています。